プロローグ
巻頭歌
見上げる夜空はシアンにマゼンタがグラデーションを描く藍。
並ぶ三ツ星は巨人のベルト。
手足となるのは4つの明るい星。
彼オリオンを殺したのは女神の奸計。
南の空から這い上がる毒サソリの顔、
その視線はちらりと、
彼を追う。
ちらりと、
彼を追うよ。 荻原一葉
プロローグ
眠れない夜に風と雨の音を聞くのが好きだ。これに時計の音が混ざると更に絶妙。我々人類が自然の中にありながら文明に恵まれているこのあり方を、音という単純な媒体からよく感じられるからだ。もっとも、そのような小難しいことを考えていたら楽しくなくなるのだが。単にこの音が趣味に合うだけかもしれない。
杯からラムの香りを微かに嗅いだら目の前にどっしりと据わる置き時計を見上げる。1時54分だ。ショーケースに飼われているキングコブラはとぐろを巻いて首を立たせ、キングという名に相応しい不屈の視線でこちらを見据える。こいつの顔は好きだ。哺乳類よりも爬虫類の方が性に合う。昔日の覇者ー恐竜を思い出せてくれるからだ。
明日がどうなるかわからない。まだ時間が許されている今にしたいことをやり残して置くべきだ。そう思い、私は日記帳をめくったら万年筆を動かしはじめた。
ちなみにいま上に書いたのが、今日、2039年3月4日の日記である。
ここに「ヒメ」を取り巻く事件の諸々について記す。
ヒメという呼称は彼女と出会った頃のコミュニティに於いて、よく使われていた彼女の通名にすぎない。決して私が彼女に対する主観的な気持ちと客観的な評価を表すのに適した言葉ではないと認識している。けれども、その気持と評価の間に(両者の間に、またはそれぞれの中にも)解消しがたい矛盾があり、そもそも適格な呼称というモノは存在しえず。あるいは現時点ではとても解決できるような問題にならず。はたまた解決できたところでそれに掛る時間と労力に見合うほどの意味を持たず。それから時間的な余裕もないと判断したため、当面ヒメと称す。
この記録はいわば私という人間、男性、などのアイデンティティの持ち主が、変わりつつある自我に臨み、嘗ての自分の持っていた性質に対するけじめである。それ以外の意味はない。
というのはほかでもない、かのヒメのところには、私ごときが書き下ろした駄文などでは到底比べ物にならない、あらゆる事件についての、それ以上は考えられないほどの厳密性を誇る、空前絶後の、今までの記録媒体を超越した真新しいメディアによる記録があるからだ。
しかしながら、ヒメは彼女が所持しているはずの、完全無欠な記録を他者に対し公開する意欲が確認されていない以上、私の駄文にもあるいは自己満足以外の意味が生じる時が来るのかもしれない。お断りしておきたいが、これはあくまでも一種の可能性の提示にすぎないこと。本文を書き始めたのは、今まで書いて来た日記を読み返し行くうちに、あの頃の自分が面白可笑しくてたまらず、一人称で書いた日記にいわゆる「第三視点」での解説を付けたくなったからである。いわば日記の付録みたいなものである。墓まで持っていくほどの秘密と言わずとも、安らぎを得るために、誰かへの告白行為に断じてならず。
私がヒメを知ったのは更に2、3年ほど遡ることになるが、二人の関係を一変させた「事件」が起こったのは確かに、本文が執筆される今より3年前の2036年のことであった。であるはず。はずという言葉を裏返せば、言い切れないということである。即ち、事件の発生時刻という記録行為にとっては最も大切に、確実にしなければならない事項をすら、執筆者は保証できないのである。それほどに私の記憶、あるいは私の正気と言うべきナニカがナニモノカによって撹乱されている。何者というのはほかでもない、ヒメでなければならない。しかし本文の読者のあなた、ここで「既に常軌を逸したキチガイの語る言葉など意味を待たない狂言にすぎず、読むに値するものか?」とお考えになるのは些か早計と言えよう。理性ではあれが2036年のことであると分かっている。ただ感情的にはやはりスッキリしない部分がある。その理由については私の説明を追い追いお読みになればきっとお分かりになろう。
ヒメとは荻原一葉のことである。いまどき荻原一葉の名を聞くと、おそらく全人類の半分以上がイメージする人物像はたった1つしかあるまい。知識層からの評判はアンチノミー。いわゆる常識人/一般人はその恐ろしさに怯える。いつの時代にもある、先進性を主張しつつ、その実は反社会的な行動を楽しみたいだけの若者や活動家には謳われる。国際的指名犯。テロリスト。世の中の話題をその一身に集めたkazuha ogiwaraで間違いない。彼女については、公開された表向きの履歴のほかを知る人間は何人いようか。おそらく父親の敏光氏以外にほとんどいないだろう。
現代医学の総本山であり、その研究成果を持って日本という国そのものを先進国の一角から確実なる頂点に吊り上げたとまで言われる荻原敏光博士を知らない日本人はすくなかろう。ところが、例の事件が起こるまでは、その敏光氏の実験の第一受験者にして側近助手、いつくかの要職に跨る長女の一葉はそれほど有名ではなかった。少なくとも高校入学前、この町に来る前の私は知らなかった。かくして、自分が荻原一葉の顔を知り、彼女が敏光氏の娘であることを知ったのはいかんせん詰まらないきっかけで、高校で同じクラスになったことに過ぎなかった。そのノンセンスなきっかけまでもが運命の手に用意された布石にすぎなかったことをもちろんあの頃の自分には知る由もなかった。
本文をお読みになるあなたがご存知の通り、高校時代のヒメこと荻原一葉は、あのありとあらゆる視聴者を仰天させた甚だしい報道がなされる前の彼女であり、あなたがご存じの彼女とはまた違う彼女である。
「すきです!」
見ず知らずの男子生徒に呼び止められ、出し抜けにその言葉を掛けられた荻原一葉は驚いて、僅かの間に放心した。くだらないと思いつつも、彼女の中の「優しさ」と言った部分の倫理観を限界まで用いて、相手の話に付き合うことにした。そして聞き返す。
「何が、でしょうか?」
男子生徒も彼女の返事に虚を突かれたた様子で、目を微かに見開いた。
「貴女のことですが?」
一葉は恥じらうつもりで、右手で頬に触れる仕草をした。それが演技であることは、相手の発言を聞いてから動き始めるまでに少しの間が開いたところから伺える。
「あらら、まぁ…」
それから何十秒間の沈黙が続いた。一葉としてはせめての礼儀として続きを聞くつもりであったが、それがひたすらに来なかった。
「それで?わざわざそれをおっしゃりに来られまして?」
男子生徒はとうとう追い詰められたらしく、両手を拳に握りしめ、緊張のあまりに顔中の筋肉を強張った。その状態で次のセリフが留まりなく言えたことからして、それなりの度胸の持ち主ではある。
「いいえ、それだけではありません!こんな、不束者ですが、付き合ってくだらないでしょうか。」
付き合う?何しに何処へ?と一葉は聞き返そうとした矢先に、違う可能性に思い付いた。これで辻褄が合った。
「なるほどね。そういうことでしたか。」
そう呟いて、一葉の口元がわずかに緩んだ。その微笑みには珍しい体験をしたことに対する純粋な喜びと、目の前の男子生徒に対する同情と嘲笑が混ざり合っていた。彼女が彼を笑ったのは彼が不相応な申し出をした訳ではない。ただ単純に、相手の無知による単純さ、可愛げのなさを嘆かずに居られなかったからである。
「申し訳ございません。私は単為生殖にいたすつもりですから、配偶者は作りません。」
これが荻原一葉に告白した最初で最後の勇者による記録と、私が長い間に彼女を観察して来たことによって得た、彼女の人格についての理解を附加した解説文である。
本文をお読みになるあなたがいわゆる常識人であれば、私の申し上げたいことがお分かりであろう。それほどに、荻原一葉の頭脳は常人の斜め上を行っていた。彼女のような人間は長い歴史の流れの中からいくらでも挙げられる。けれども、たとえその人物が本物の天才であったとしても、一時期は理解されず、不気味に思われ、忌み嫌われることはよくあった。挙句の果てにキチガイ扱いされる人までいた。
ところが、この荻原一葉だけが、古今東西の超人たちが背負い続けて来た「業」から免れたのである。というのはほかでもない、彼女の突拍子もない言動が致命的に様になっていた。カリスマ性とでも言うべきか、男女ともに慕われていたい。一時期キャンパス内では、彼女が例の勇者を断った時の態度を見習い、男女が交際を始める時に先に血液型や健康診断の結果を見合わせて、ただより良い種を残すために配偶者を選ぶという「絶対唯物ブーム」までが流行っていた。それほどに荻原一葉の「正しさ」が絶対的であり、ヒメのゴールデン・エイジが揺るぎなきものであった。
ヒメこと荻原一葉の人気を裏付けるには他の人気者と同様に容姿、才覚、人柄、家柄などの何点かが考えられるものの、あの閉鎖的な空間に於いて、あれほどに尊敬、愛慕されていたことには他の理由も考えられる。何故かというと、よそから来た私からすると、彼女に備わる性質、気質には確かに常人を超えた素晴らしき輝きが見えたものの、あの時代の、あの学校に集う、あの国、人種の少年少女が、あれほどに彼女を慕うことの理由としては不十分であると考えたのである。そのオカルト的なカリスマ性の実態を究明するまでに、この不可思議、不可解さこそがヒメの私に対する何よりもの魅力であった。
それでは、今となっては既に明らかになった、右で言い及んだ「他の理由」を説明させてもらおう。これ説明するにはまず先に、彼女の「家柄」、即ち、父親—荻原敏光氏の実績について説明しておかなければならない。荻原敏光は今となっては、もはやあらゆる倫理観から逸したマッドサイエンティストのシンボルとして認識され、その研究成果が果たしてアンチヒューマンであるかどうかは未だに学界でも世論でも意見が両立しているものの、第三次世界大戦にまで発展しかねないこの戦が起こる直接的な原因を作った張本人として、やはり科学者の輪から除外視され、その名は1種の恐怖の象徴となっている。ところが、今より5年前、即ち2033年の頃はまだそうでもなかった。ただの偉大な科学者、医者であった頃の敏光氏は20年間どれを取り出してもノーベル賞を受賞してもおかしくないような重大な意義を持つ論文を発表し、現代医学、生物学、化学、物理学に貢献して来た。そのほとんどがすぐに人々の生活に影響を及すような成果ではないため、比較的に有名な「神経コントロール手術」のみが、現代科学に興味のない一般人に記憶されていた。アインシュタインと「相対性理論」がそうであったように。
神経コントロール手術。脳髄と全身の各器官に繋ぐ神経を脳の意思で切ったりまた繋いだりできるようにする手術である。それを受けたらなにができるかというと、たとえば手の皮膚が切られて痛い時、または蚊に噛まれてかゆい時にその局部の神経と脳の連続を断てば麻酔のような効果が得、手は痛いが脳はそれを知らないのである。その切り変えの感覚は息を止めるように自由自在のため、極端な例を挙げると、真剣で対決する時先に腹を突かれても、その場で腹部の痛みを止め相手と相打ちになれるわけである。
唯一に残った問題としては、自由自在に麻酔が行えるとなると、いつどこでも安楽死が自発的に行えることになる。従って、自殺、または「捕まったら自殺」を前提とした重犯罪が増えることへの危惧であるが、今のところそのような現象が未だに確認されていない。また、すべての神経を一度全部切断すると、意識はそうしないと決して味わえない絶対の暗黒、静寂、虚無に陥ることができる。短時間ならさしあたり問題もないが、その感覚がくせになって、限界まで引きこもってそのまま衰弱死になってしまった事例が多発している。しかし、このすべての神経を切り離すことによって得られる安静状態にも積極的な運用方法がある。即ち、末期がん患者や事故などで絶境に陥った人間に苦痛から逃し、来るべき死までの間に安らぎのひとときを与えることができることである。教皇庁から「私たちは誰にも、何事にも、あらゆる感覚にも邪魔されずに、今までの人生を顧み、懺悔し、ゆっくり祈りを捧げる時間が必要である。」と言われ、キリスト教では宗派に問わず盛大に評価されていた。
それから、20世紀末からはじめたインターネットの普及と同時に深刻化されたポルノの氾濫に、日増しにモラルが脅かされつつあった。その影響がもっとも著しい時期と言われる2020年頃は、世界中で家庭の崩壊、性的犯罪が多発していた。これを背景に、学会はいままでの態度を一変し、そもそも総人口が100億にも足し、これ以上の拡張は考えられない人類社会の現状を、我々の肉体は理解していないのが根本的な問題ではあるまいかという考え方が流行った。従って、当時の医療環境に於いて、全世界すべての家庭の各世代に2、3回の人工授精手術を提出するのが困難ではない以上、そもそも我々にポルノに興味を持たせる性欲そのもの、並びにその性欲を必要とする生殖行為そのものが不要になっていると結論づけた。性ホルモンを産出している生殖器官自体も盲腸と同様に、進化の速さに付いて来れなかった、今となってはもう危惧を生じる他に意味を持たない残骸となったということである。解決案として、人類全体に「非完全型去勢手術」を促した。即ち、生殖器官の機能を大幅に削り、性ホルモンを作らないようにし、人工授精の時に必要となる精子と卵子のみを僅かに作るように制限する手術である。性ホルモンからの脱却は人体にいく分か変化を与えることになるものの、やはり重労働を必要としない現代社会にとって根本的な障害にはならなかった。その上に平均寿命の25%ほどの延長が期待できる以上、反対意見は医療界では少なかった。
ところが、視点を変えたらどう見えるのだろう。仮に人類全員が生まれてすぐこの手術を受けたとしたら、第二次性徴はなくなり、性別は血液型と変わらないほどの意義しかもたなくなることにほかならない。それにつれて道徳はもちろん、法律、教育学、服装のデザインを始めとするあらゆる芸術形式、スポーツのルールの見直しが必然的に求められる。のみならず、これまで幾千年に渡って、文学、詩、絵画、彫刻、音楽などの芸術形式の要となっている「ロマンス」がここで断ち切る危機に晒されることでほかならない。もちろん、中性、同性の場合恋愛が不可能とは言い切れないため論拠としては強さに欠けるが、大多数派にとってはむしろこれが一番の難関であることが容易に推測できる。
これらの他にも、もしもいずれ文明の継続ができなくなった場合、生殖能力の放棄は完全の滅亡に繋がりかねないというような意見があった。というような状況からして、「非完全型去勢手術」は人々に受け入れられず、殆どの国、自治体では手術の施行を認めたものの、成人した大人の自己判断を必要とし、親の意向による未成年者への実行を禁じた。実際に2020年、日本で行われた調査アンケートの結果によると、この手術を受けたいと考える20代は35%で、成人したばかりの二十歳では75%、他の年齢層では殆ど見当たらず、そもそも人口数の半分以上を占めている40代以上は必要としなかったため、全体の比率は公開されなかった。それから、手術を受けようと考えた20代の35%も、親族の反対、受けた後の世間体からの冷遇への危惧、経済的、時間的に余裕がないなどの原因で、実際に受けた人数は5年間を経て15%ほどであった。
ところが、2025年に、荻原敏光の「神経コントロール手術」が発表されることにより、この問題ついてまたあらたな可能性が人類に示されるのであった。ということは、即ち、「神経コントロール手術」でも「非完全型去勢手術」と同様に、若者の性欲に関わる煩悩を解決できるからである。腹が減る時に胃の感覚を止めてもエネルギー不足で反応が脳と全身に伝わってしまうため無意味であるが、性欲に関しては生殖器官の感覚さえ止めればそれで事足り、膀胱のコントロールを止めたら失禁してしまうようなこともない。その割に「非完全型去勢手術」と違って生殖器官そのものと第二次性徴への影響がないため、比較的に穏やかで受け入れられやすい解決案となっていた。また、そもそも性欲とその欲に強要された生殖のためではない性行為を苦痛と考えず、享楽的な価値観の持ち主たちの中では、一時的な禁欲生活を行うための方法として、都合がよかったのである。
また、敏光氏の実験レポートによると、「神経コントロール手術」を受けた15から25歳までの青年男女はそれにより性欲を断ち切り、清く正しく、ストレスから開放された生活を送るようになったものの、その反動で、原来持つべき異性への興味が薄れたことはないと言う。異性を性行為の対象として考えなくなったものの、理性による異なる習慣の持ち主への知的好奇心、感受性による異なる造形への反応、ある程度の社会常識が身に付けた後から目覚めるより良い種を残すべくより良い配偶者を選ぶための意欲は残されていたと推論を立てたのである。とある宗教家曰く「濾過されたより優れた恋愛感情」とはこのことである。
総じて、積極的な意義がより多い「神経コントロール手術」は「非完全型去勢手術」の後を辿らず、大半数の人間がこの手術を受けたがるようになっていた。されど、この手術を行うにはまず受ける人の体から一部の細胞を採取し、それから何ヶ月に渡って、その人だけのための新しい器官を培養する必要がある。その後手術にて、それを脳髄の増殖器官として付け、脳髄から切り離した神経をその器官に繋いだら完了となるが、掛かる材料、エネルギー、時間、人力を合わせたコストを考えると、その時点ではとても全員が全員受けられるようなものではない。また、敏光氏はこの実験結果と過程の詳細を学界に発表したものの、例の新しい器官の栽培に関しては「臨機応変な対応が必要のため、一つ一つの事例の過程報告という意味のレポートは提供できるものの、それらをまとめた「判断基準」を現時点で論じても机上の空論にすぎないであるため、これからの臨床実験の結果に期待。」と言い残し、この技術の要となる分野を公開しなかったである。各国の一流大学の医学部からエリートの留学生を受け、直接に技術を教えてはいるが、10年間に渡って卒業者が1人もなく、全員が全員そのまま彼の病院に残り、助手として働く希望を持つようになった。従って、現在に至っても敏光氏の経営する病院より他に「神経コントロール手術」を執り行えるところは存在せず。このことに関してはもちろん世論は芳しくなく、敏光氏の私利私欲のための独占的行為ではあるまいかという論調が濃厚である。その後人知らずに建てられた巨大施設にて、敏光氏の手によって行われた数多くの、想像を絶するほど莫大な予算(当時の国家研究レベルの何倍)が掛かった、甚だしい実験が暴露された(と言うよりも彼自身が公開したのであるが)今となっては、「神経コントロール手術」の意図的独占行為はまず間違いなかったと言えよう。とは言え、暴力的な手段を何一つ持たざる科学者1人の力では、莫大な資金をスムーズに運用して行けるとは考えにくに。非公式であるにせよ、国家並びに、当時の同盟国、団体勢力から支持を受けているに違いあるまい。要するに、何かが起こった時、その罪を表向きに敏光氏一人に被せようという打算であろう。まさに、今の状況がそれを証明しているのである。
その全人類に望まれ、尚且つかなりの財力か権力を持たないと現時点ではなかなか受けられない手術であるが、敏光氏が所長を務まる「京大附属病院神経外科宝ヶ池出張所」が設立されている宝ヶ池の町周辺では、5歳から16歳までの青少年が無償で受けられるようになっている。そのおかげで私も高校入学前にそれを受けた。進学した隣人院高等学校ではほぼすべての生徒がそれを受けていた。理由としては、施設の近くでは管理と観察がしやすいことと、発育期の青少年の方が成功率は高いなどで公表されているが、これに関しても敏光氏がわざとエリートを身の回りに集めるべくして、地盤を固めているとの陰謀論が挙げられている。近くに住んでいて、なおかつ子供であれば誰でも受けられるともなれば、こちらに移住して子供に手術を受けさせたいと考える親は当然多数あった。そのために主張所近くの地価が著しく上がった。それを見込んで宝ヶ池の町にタワービルを建設し住宅を売ろうと働いた不動産会社まであったものの、これがちょうど京都市の高層ビル禁止令に引っかかり実現できなかった。うちの両親も出張所への転勤が決まってなければ、この町への移住はとても考えられなかったのである。
ここで、5歳から16歳までの子供が全員この手術を受けるとは何を意味するかというと、10年前から実施されたこのサービスにより、今この街に住む、または嘗てここに住んで町を出て行った5歳〜26歳の人間が全員この手術を受けていた。言うまでもないが、この町で手術を受けるのが当たり前のようなことであるが、町を出たらそれだけで相当に注目される。また事実上、神経コントロールによって脳の働きが更に効率化され、町を出た若者全員が常人を逸した能力を世の中に見せたのは確かである。そのために、宝ヶ池の町から出来た神経コントロール手術を受けた若者は全員が全員エリートであるという認識が外で広まり、また町の中まで逆流して来て、町の若者たちの誇りとなった。それを与えてくれた荻原敏光氏を神の如く君主の如くに思い、一人子の一葉氏を冗談半分で「ヒメ」と呼ぶのも頷けることであろう。彼女に対して周りの人が、ただの「家柄の良さ」から感じた自分とは無関係な「お嬢様」ではなく、忠誠心、恩返しの対象と成り得る、自分たちの「君主」であると認識している部分が、私の申し上げたい「他の理由」である。
という差し当たるところ、荻原一葉はどのようなお嬢様かお分かりになろう。町の若者たちに心酔されるのみならず、敏光氏本人に過保護のつもりがないにしろ、幾つかの実験の第一受験者の一葉氏は国家機関、学界、メディアなどに注目されることになる状況は免れなかった。とうのヒメ本人といえば、この待遇を気にしていない様子で、清々しく受け流している。理科、文科、音楽、造形学などいつくかの分野に才覚の開花が見られたものの、論文や作品はあくまでも学内の知人の間に公開し、学界への発表を望まなかった。隠し通す姿勢でもなければ、認めてもらいたい気持ちも見当たらない。その心理の裏を返せば、即ち、自分の正しさに相当な自信を持っているのではあるまいか。考察をする必要もない。間違った事を言って笑われる心配もない。ただ自然に、ひたすらに、研究して、知って、作って、楽しんで、その楽しさを大切にした身内の人とのみ分け合って、それでおしまい。学業の成績も上位に入るが、決して全問正解のような優等生ではない。苦手な科目や、頑張らない科目もある。それも即ち、「全てを完璧にこなす必要はない。限られた時間に自分のペースを作り、自分の望む方向に向けて最大限に活用する」という大人の価値観を持っている証拠でほかならない。天才であることを確かに自覚し、焦らずに、尚且つ怠らずに、地道に確実に雲の向こうにある輝きの頂点に登りつめて行くその姿勢が、美しく、人を魅せつけるのである。その余裕が、彼女の一番特徴的な美点と言えよう。
と、美しさ云々を語るまえに、まずは個人の審美基準を先に提示して置きたい。美学という言葉そのものは、1750年アレクサンダーにより出版された「美学」(Aestheica)という本からはじまり、森鴎外に「審美学」と翻訳されたことがあった。と、どこかに書いてあるモノを流用させてもらったけれど、ここで大切なのは語源ではなく、アレクサンダーが提示した美学とは即ち、理性(科学)と習慣(倫理)と区別した「感性学」を言う言葉である。論じるではなく感じる。正しいか間違いかではなく好き嫌いを言う。趣味に合うかどうかで決めていい。それが感性学。人の顔が美しいかどうかと言うことはまさにそれに当たると思う。ヒメこと荻原一葉の容姿は私の趣味に合う。事実を述べるのに、その一言は形容詞や感情論を並べるより適すると思う。それから、荻原一葉の容姿をあなたもご存じのはず。ご存じでなくても検索すれば出回っている顔写真や動画などで確認がとれるはず、その実在する形態を言語化したところで、よりレベルの低い形に変わるだけで無意義である。
ここまでが、私が今の立場に立ち、記憶の中にあるあの頃の彼女について大まかに解説させて頂いたものである。如何だろうか。これだけでも、あなたのご存じの彼女とは大分違うであろう。ここから先は私が当時書いた日記をご覧になって頂き、あの頃の気分に成り代わって、彼女の性質を、その仮面の下に隠されたナニカを、より間近なところで観察して行こうではないか。とは言え、あなたはあの頃の「僕」ではないから、やはり日記だけをご覧になると分からない、迷う時もあるかと推測するため、時どきに今の「私」に帰って、説明させて頂くことにする。前にも申し上げた通り、そもそも私はその「説明文」を書きたいから本文を書き始めたのである。
日記になるともちろん、書き記したことはあくまでも当時の僕の一人称視点による観測結果であり、主観的な解釈が殆どである。そこから如何に内包している客観的な事実を掘り出すことは、あなたの脳内で行われる補正作業に掛かっている。そのための参考資料として、当時の僕の個人情報、心理状態などについても予めある程度記すことにする。これも撮影と同じ原理であるところが笑える。撮影時のライティングの色温度を知れば、フィルムからその歪んだ部分の色を復元し、白いライティングで撮ったように、写真を現像することができる。
日記を書く習慣は子供の頃から親に躾けられて来た。読み書きにまだいく分不自由がある頃からではあるまいか。嫌になった時はもちろんあったけれど、投げ出した試しはなかった。母上のあの言葉がすきだ。「私たちの魂は肉体ではなく、記憶の中にあるのよ。あなたの日記は記憶よりも確かにそれを記し、未来に繋いで行けるの。日記には私たちの命がそのまま入っている。大切にしなさいよ。」あの日の日記はどのように書いただろうか。遠すぎて、何歳のことかも忘れたので探しだすのが困難である。けれども、母上曰く、その日記に劣る記憶の中にもぼんやりと覚えている。あの時の母上の優しいながらも、どこか厳かで、透き通った笑顔を。きっと私はその微笑みを裏切るのが恐ろしくて、今まで日記を書き続けて来たのであろう。
高校に上がるまでの私は周りの少年と比べたらいく分内気で陰気なところがある。その元を辿れば、読み書きや思索を好む自らの頭脳を高く買っており、自分でも気付かないうちに周りの騒がしい連中らを見下ろし、傲慢な気分に陥ったのであろう。知人はあるものの、こちらから友人と思う人も、私を友人と思っている素振りを見せた人も居なかった。その孤独感を厭うどころか堪能しつつ生きて来た。「あなたは寂しくないか?」と誰かに聞かれたことがある。私の答えは「寂しい、その言葉は言ったことがないから、正しい使い方すら分かりません。」だった。それもそうであろう。子供にせよ一人の男性としてその言葉を口にするのは些か沽券に関わるはずだ。その強がりを誰に対しても演じ過ぎたら、いつの間にか、それ以外の生き方が分からなくなり、強さにもなる。そうやって、私は一人でいることに慣れて来た。目線の先には常に、本の中の自分より優れた者たちの姿があった。優秀な人間は好きだ。奇跡的と思えば思えるほどに、好きだ。周りの愚か者たちに成り下がるぐらいなら生きる意味はない。本の中の素晴らしい大人たちこそが私の生きる希望であった。想えば、乱歩を読んで50代の明智小五郎に憧れてはじめて、50歳まで生きたいと思うようになった。それまでに老年期の存在意義が理解できなかったのである。
この街に来て高校に入ったら、周りの状況がいっぺんした。愚か者はなくなった。同級生の誰もが話せば分かるような知性の持ち主であった。この状況の改善を嬉しく思う間もなく、私はまた新たな問題に対面しなくてはならなかった。それは即ち、私は余所者であるという事実である。特に、この出来た間もない小さな「王国」にはれっきとした仕来りがあった。それを十分に理解し、身に付けるまではやはり下手に動けなかったのである。相変わらず、私は今まで鍛えて来た生き方でここで一人で生き、一人で楽しむのであった。そして、その楽しみ方なのだが、ここでは今までと違って、リアルにも「ヒメ」があらせられるのである。
あの人たちの「ヒメ」に対する熱狂的な信仰はすぐに私にも染まった。流された。流れに入ろうと敢えて真似した。のどちらでもなかった。私はあくまでも本心からあの人たちと同じことをしようとしたのである。その心理の元を辿れば、祖先から遺伝されたかと思われる三國誌の登場人物によく見られるような支那式の忠誠心と神経コントロールによって切断された性欲の名残りかとも思われる、異性に対する興味、知的好奇心、またあるいは性欲と連動せずに単独で働いたより良い種を残すべく、より良い配偶者を選ぶためのセンサーのような叡智などが混同した欲求。当時のフランス人の男性がジャンヌ・ダルクに、またはイギリス人がエリザベス一世に向けた感情のそれに近いモノではあるまいか。
さて、長らく続いた自己紹介はここまでにし、私が語りたいのはあくまでも「ヒメ」その人であり、主従逆転になってはいけない。では、日記に入って行こう。
私は、いや、僕は、荻原一葉に夢中になっていた。
2033年4月10日
始業式
よその学校がよく式典を執り行うのに使う国立京都市国際会館がすぐ隣にあるにも関わらず、この学校の始業式は学内の大講堂にて行われた。それ程に、この私立隣人院高等学校は学生の数が少ない割に敷地と施設に困らないということである。スポーツがメインというわけでもないのに、プロの競技大会で使われても文句を言われなさそうな素敵なグランドの他に、テニスコート、サッカーコート、野球グランドなどが用意されていた。学校の歴史が第二次大戦前に遡るため、ここ十年間この町の急発展とは無関係のようである。
スピーチの内容は案の定つまらなかった。発表者の顔や人数が覚えていないほどに聞いていなかった。総長は痩せ型の老人で、普通にスーツを着ていた。それだけが印象に残った。「着物かタキシードにしても良かったのに」と思ったからである。
それから学生寮で晩餐会があるようだが、帰宅勢には関係ないようである。
それを聞いてホッとした。長い時間ぼうっとして疲れたので、あの後これからお世話になる先生とクラスメートたちに挨拶をしないといけないようなら、さすがにしんどいと思う。
出席しなくてもよくて良かった。
結局マスクして行くことにした。
あした先生に指摘されないといんだが…
如何でしょうか。これが私の日記である。いきなりどうでも良い内容で面食らわれたかもしれないが、この日の日記に記された事実に、確かに1つの大切な点があった。敏感なあなたなら既にお分かりかもしれないが、そう、即ち、スピーチの発表者に「ヒメ」がなかったということである。日記を読むだけなら、あの日の私が気付かなかったが、実は発表者のなかに居たとの可能性も考えられる。なので、この解説部分に断っておく、それは断じてない。確かにあの時点で私はまだ荻原一葉の名前も顔も知らなかったが、彼女が舞台に上がっていたら「案の定つまらなかった」はずがなかったからである。
この始業式のスピーチ出る資格があり、また本当を言うと義務もあったはずの「ヒメ」が出なかった。この事実は彼女の性格を物語る材料の1つとして成り得ると考えたため、ここで強調したのである。
2033年4月11日
初授業
自己紹介は嫌いのである。理由はほかでもない。そもそも自分が嫌いだから。みっともない自分を他人に知られるのが恐ろしいという虚栄心からではない。知られても構わない。しかし、敢えて知らせることはないんだ。それはナンセンスなこと。時間の無駄だから嫌いのである。
荻原一葉、あの女子生徒の名前は確かそうだった。荻原と聞いて気になったので、後で調べたら本当にあの荻原先生の娘である。あの科学の下僕のような人間にも奥さんがいて、娘さんがあるなんて、なんだか不思議。あんなことも、するのかな… そういえば、自分も父上と母上があんなことをした結果で生まれたのでなければならない。あの母上が、あの父上と、そう考えると、なんとなく不潔な気がして、落ち込む。悲しい気分が漲って来て、死にたい。
あの娘も、不潔なことの結果で生まれたのだろうか。それがなぜか、信じられなくて、信じなくてもいいような気がして来て、救われる。清らかさとはあの娘のような状態を言う言葉だろうか。本当に、清々しいのである。
「この短い時間で私の全体について語っても無意味だと思います。それは無数の三角形で構成された円形のようなものですから。これからあなた方が見て行く私の部分部分は、私の全体像と何の関係もない、それぞれの理由を持って、そうでなければならないのですから。あなた方はこれから、それらを見て、私という部分の集合体を本当の意味で理解してから、シビアに評価することを期待します。その上で、私が正しき者と判断し、交際相手として相応しいと考えるのなら、これ以上の幸いはありますまい。」
確かに、そのような発言だった気がする。語彙が多少違っても、だいたいの意味はこんなものだった。要するにこうではないか、「本当の私は複雑だ。簡潔に説明する気はないし、分からなかったらそれでいいんだ。」というように、理解した。些か違和感を感じた。この人は何処か普通じゃないという曖昧な疑惑。何なんだろう。傲慢?違う。彼女は見下していない。気取り?違う。彼女はあくまでも彼女であり、誰の真似もしていないはずだ。自己中心的?これは近いかもしれない。しれしそれにしても、彼女はちゃんと自我に対しても、検証の態度を持っている気がする。とにかく、気に入らないナニカがある。それが具体的に何なのかについては、彼女が言うようにこれから見て判断しよう。最も、「おともだち」になれるとは到底思わないけれどね。
マスクは、先生に指摘されなかった。本当によかったと思う。被って来てよかった。あの娘に顔を見られると思うと、気分が悪くなる。
そう、あのう先生。担任の四谷先生。下の名前は…たしかレイジと言われたか。レイの字複雑そうで覚えられなかった。後でちゃんと調べないと。理解がある先生であった。私のマスクと、荻原さんの風変わりな自己紹介に何も言われなかった。気にされてなかったと言うよりも、お聞きにすらなってなかったような、どうでもいい様子であった。言葉遣いといい佇まいといい、一見覇気がないように見えなくもないものの、よく見ればそれは、目の前の仕事に対して絶対的な余裕を持っていて、熱意を捧げる必要もないと判断したからそうしていらっしゃるように見えなくもなかった。何故そう思ったかというと、父上の雰囲気に似ていたからである。高校の講師にしては惜しい人物と思った。彼の授業はあの後の数学で、簡単な方式を説明するために、ミクロマクロ物理学での実例を挙げたりして、とてもわかり易かったけれど、やはり教科書に沿ったような高校らしい授業ではなかった。
この日の日記は些か多めだった。初対面の人が多かったという理由もあろうが、核心にあるのはやはり「ヒメ」でなければならない。ヒメの自己紹介、如何でしたか。あの日の私がヒメに抱いたイメージはマイナス的だった。その理由は即ち、ヒメについて容姿と父親が敏光氏以外に唯一知り得た情報—彼女の自己紹介の内容を正確に読み取れなかったからほかならない。あの一見突拍子もない文面の裏に隠された、巧妙無比な真意を、初対面の私と本文の読者のあなたどころか、あの教室にいるもとからヒメについてある程度知っている連中ですら、理解できた人はそうそういるまい。四谷嶺二なら造作もあるまいが、日記の中に書いた通り聞いていたらの話であるが。
では、早速ヒメの自己紹介の解説に移る。「無数の三角形で構成された円形」とはなにかというと、即ち「私は科学者であり、作家であり、作曲家であり、僅か16歳の女子生徒である。それらの性質をまとめて1つの言葉にしたら、それは即ち、万能である。」 万能?最高ではあるまいか。それなら何故わざわざ「全体を見ずに部分部分を見て欲しい」と言われたのだろうか。その理由は、「ただの万能」1つの言葉で片付いてしまったら重みがないのである。文書を書く人にとって、万能な神などよりも、あこがれの人間の作家の方が余程影響を与える。有能な人間は常に人間を見ている。四文字の神の教えが威厳を持つようになったのも、モーゼのような偉人がそこにあったからではあるまいか。
従って、「ヒメ」はこう言われた。「文学の道を進む者なら、小説家としての私だけを見よう。音楽を好む者は作曲家の私を知るがよい。巨人の肩を登りつめて世のことわりを知り尽くしたい人よ、私はあなたの先を進んで、いつか肩を並べる日を心待ちにしている。」ということである。また、裏を返せばこのようにも読み取れる「私の全体を見るあなたは、他力本望の軟弱者か、私の力を利用しようとし、俗を企む野心家のどちらである。こちらから用はない。」という遠回しの警告でほかならない。しかし、ここで明確に言われなかったと言うことは、宣言のつもりではなかったと見える。あくまでも、これからはこのような態度でこれから3年間の学園生活を送って行けたいという計画を、言語化することによってまとめ整理したのではないかと推測した。あれから、ヒメの一つ一つの行動、他人の要請に対しる反応を見て考察していけば、どれもこの日彼女が彼女自信に対して提出したこの「考案」に沿っていることがわかる。
それから、四谷嶺二であるが、差しのいいあなたなら既にお分かりかもしれないけれど、敏光氏の側近助手で、ここではヒメのお守役ということになる。
2033年4月13日
教室に入ったら、少しばかり対処に困る情景がそこにあった。
まず、真ん中の近く、やや窓に対して壁の側よりの席に、授業用のディスプレイ・ヘッドホン付きのヘルメットを被った女子生徒が一人、背筋を伸ばしてぴっしり座っている。あのブラックホールのようにひかりを反射するのではなく吸い込んでしまうかと思われるほど漆黒のストレートタイプの長髪からして、あの荻原一葉さんだとすぐわかった。
それから、彼女以外の生徒は全員後ろ寄りのある席を取り囲んで、密かに何かを議論している様子であった。その図が可笑しくて、対処に困ったのである。なにせ、その環に入ってなかった生徒なんてたった一人しかなく、尚且つ防音性能がそれなりに優れているはずのヘルメットを被ってのにもかかわらず、あんなに気を付けて小声で話す内容は何かをと思うと、可笑しかった。あの娘に関わることに決っている。悪口ではあるまいか。それにしてはあからさま過ぎるのではないか。と思った。
どちらにせよ門口にいつまでも突っ立っているわけにもいかいので、とりあえず中に入り、自分の席に戻ることにした。それから着席し、午前中の授業のための支度を済ましてからいつの間にか自分でも知らない内に耳を澄まして、連中の密談を盗み聞くことになっていた。
「まじかよ。アイツ本当にヒメに告ったのかよ」
男子生徒にしては高い部類に入る声色だった。些か気分に障るがこの場合は聞き取れ易くて良かったと思った。内容はよくわからなかった。気になるワードがあった。ヒメ、とはなんだ?誰かのアダ名ではあるまいか。そしてこくったとは?告る、即ち、密告、だと思う。ということは、おそらくヒメとはとある厳しさで有名の先生の通名で、この人達がやらかした、若しくはやろうとした何らかの良くないことを、「アイツ」は、密告したのではあるまいか。
「あぁ、ヤツめ。身の程知らずが」
他の男子生徒の、はりのある低い声だった。憤怒、軽蔑、嘲笑、幾つかの溢れんばかりの負の感情をその声が耳に届くと同時に、肌で感じた気がした。
まさか入学早々こんな会話を耳にするとは思わなかった。しかしどうゆうことだろうか。やはりこの人は自分たちがしたことの崇高さを疑わずに、それに対して反逆行為をした「アイツ」をけしからんと思っただろうか。それだけのことは普通、教員としての「ヒメ」は理解を示さないだろうか。よくわからないな、今どきの若者の考えることが。
そのあともしばらくその会話は続いたが、意味がわからず、それに何となくつまらない気がしたので、聞くのをやめた。それにしても、あの娘はあの輪に入らなかったな。あれ?それではまさか「アイツ」とはあの娘のこと?告げ口するような人とは思わないけれど。自分と直接関わらないことに決して足を突っ込まないような人種に見える。まさかねぇ…事情はよく分からなかったけれど、群れてこそこそ喋る連中よりも、仲間はずれにされているか自ら入ろうとしなかったか知らかないけれど、外にいるあの娘の方にいい印象を受けた。そちらの意味で僕は同じ立場にあるがためかもしれない。
鋭いあなたなら既にお分かりでしょうけれど、そう、これはプロローグで書いた「ヒメ」にとある勇者が「愛の告白」をした次の朝のことである。あの日の僕は見事に彼らの語る内容を読み違っていた。ここで特に注意して欲しい点はむしろ、会話を聞くまでに、僕が内心に考えたことである。初日の自己紹介を聞いて印象が悪かったはずのヒメが悪口を言われていると思ったら、すぐに、無意識に、ヒメの方を持つようになった。お断りしておきたいが、あの頃の僕は断じて正義感のある人格者というわけではなかった。ヒメに同情したのはやはり彼女は彼女だったからである。即ち、ヒメの自己紹介を聞いて表層心理では印象が悪かったものの、対して深層意識、または自分が認めたくないところで、惹かれていたことにほかならない。またお断りしたいけれど、これは断じて惚気話ではない。「僕」の体験談という分かり易い例を持って、ヒメの「計らい」の巧妙さを説明したいのである。クラスメートたちの反応はわかりやすかったため、これ以上の説明はいるまい。
2033年4月14日
「あれかどうなったの?」
「なにがですが?」
「ほら、あの…」
そう言いつつ、女子生徒Aは連れのBに意図を伝えるべく、目線を荻原一葉の方に向けた。荻原さんは相変わらずヘルメット着用で、勉強か読書かしている様子である。やはり彼女に関わりがあったのか。昨日帰宅してから暫く考えて、「徴収」したメッセージを整理して見たが、やはり肝心なところは分からずじまいだった。
「ヒメは何もおっしゃいませんでしたよ。そもそも気になさっておられないようですし。問題はむしろあちらの方かしら。風当たりが強いせいで退学とか自殺とかならないといいですね。物騒ですし…」
すぐとなりの席で行われたその会話は、自分の座るところでは聞こうと思わなくても聞こえた。ということはこの場合、荻原さんはともかくとして部外者の自分には別段隠す必要のなかったことであろう。それなら知っておいた方に越したことはあるまいと思った。物騒のようだし、関わらないためにも事情を把握した方がいいと思う。そう思いつつ、僕は腕時計が示す時間を確認したら、立ち上がり席を立った。向かう先は職員室である。四谷先生は紙媒体の新聞を読んでいた。ヘルメットにしたらいいのにと一瞬思ったが、机の上においてある、一筋の蒸気を発散しているコーヒーカップを見て、なんとなく納得ができた。今どきはヘルメット着用のために、ホットドリンクをもストローで飲むが一般的になり来ているが、確かに紙媒体をめぐりながらカップで飲んだ方が様になる。それに、ストローで飲めるほどのホットはぬるいと考えている人間もいるらしい。父上は確かカップ派だったかな。何年も会ってないから記憶が薄い。四谷先生はこちらに気付いた様子で、新聞を畳んだ。
「おはようございます。四谷先生」
と、特に何も考えずに普通に挨拶した。
「君は、確か…内野君ね」
学生の名前を思い出すにも苦労する様子は彼らしかったけれど、その後ちゃんと思い出したところが意外であった。
「はい、先生のクラスの内野隆信です。」
「それで、何かね?内野隆信くん?」
敢えてフルネームは嫌味ではあるまいか。まぁ、そこのところがこの先生のモードだとは思うけれど。
「少々先生にお尋ねしたことが… 先程、クラスメートたちが先日学校で起こった何かしらの事件について語っていました。何やら物騒な様子で、それと、「ヒメ」というワードが幾度か出てまして、先生ならもしやご存知かと思いまして、お尋ねに参りました。」
口に出した途端後悔した。先生に聞くようなことではない気がして来たからである。そして答えは案の定…
「ひめ?しらないな。俺は君のお守りではない。なんだ、君はヘタレか。そのような質問は同級生に聞き給え」
ヘタレと言われた。こちらに非があるにしてもこれはさすがにひどいと思った。しかし教員の言葉ではないとは思わなかった。彼はこのままでいいと思った。ムカつくもしなかった。この人には本能的に反抗できないようである。それから職員室を出て、また教室に戻った。
先程となりの席で話していた女子二人に声を掛けることにした。
「あのう、失礼致しますが…」
「はい、どうかなさいまして?」
幸い、驚かわれた様子はなかった。
「先程、お二人がお話になっていた事件について少しばかり伺いたいと存じます。お時間の方はよろしいでしょうか。」
「はい、事件とおっしゃると?」
「誰かがヒメに告げ口をしたとのことのようでしたが…」
「つげぐち?はて?」
女子生徒は本当に意味不明の様子で、困惑していた。そこでとなりのもう一人の女子が反応したらしくて、会話に割り込んで来た。
「あぁ、あれじゃありませんか?けれど、あなたもなかなか面白いことをおっしゃいます。告げ口ではなくて告白でしょう?」
「告白?」
「そうそう、愛の、告白。」
なんと、とんでもない勘違いだったようだ。恥ずかしくて死にたいと思った。一刻もはやくこの話題をずらさなくては僕の心臓が持たない気がした。後から会話に入って来たショートヘアの女子生徒のキラキラとした大きい瞳と、どこか挑発的な微笑みがきつかった。
「なるほど、そうゆうことでしたか。では、ヒメというのは、教員の方ではなかったでございますね。先程四谷先生にもお尋ねしたけれど、叱られましてクラスメートに聞くようにと…」
我ながら小者であると思った。ここで先生の名前を出すのは明らかに自信がなかった証ではあるまいか。ヘタレで間違いない。
「おや?あなたは、ヒメをご存知でないと?ね~きょうちゃんどうします?」
「なるほど、町の外から来られたということで?」
「はい、石川の方から参りました。新参ものです。不束者ですがよろしくお願い致します。」
「はて、どうしましょう。」
この話の流れでうまく行けるはずと思ったところ、思いの外二人とも対応に困った様子である。先程の余裕に溢れたB女子までが真剣に悩んだようである。いったい何を言い間違えただろうと思って、意味不明のままそこに立ち尽くすしかなかった。
「うんん、ちょっとお待ちくださいね。聞いて参ります。その方がいいよね?」
と、B女子はA女子に意見を伺う。
「そうですね。あのう、申し訳ございませんね。少々お待ちください。」
A女子は自分に向けて頭を下げたら立ち上がり、昨日「会議」が行われた席へ向かった。B女子も彼女に続いた。それから、その席の男子生徒と何らかの意見を交換したあと、B女子だけが戻って来た。
「委員長のご指名ですよ。ついていらっしゃい」
そのイタズラっぽい口調は何故か、今度は僕の張り詰めた気持ちをいくら分和めてくれた。さきほどの会話の時は苦手だったけれど。女子生徒について行った。
「はじめまして、僕がこいつらの取締役の大石だ。大石俊介。以後お見知りおきを。」
聞き覚えのある、はりのある落ち着いた男子生徒の声色だった。座っていたから身長は分からなかったけれど、少なくとも僕よりは図体が大きくて、180センチ以上はあると思う。細くも太くもなく、筋肉質というタイプの男である。
「はじめまして、石川から来た、内野隆信です。」
敬語が外れた。この男にはこの方が受けがいいと瞬時に判断した。後から思い返すと、やはり自分の卑屈さがみっともなくて、恥ずかしかった。
「では、早速だが、君も『神経コントロール手術』を受けたで間違いあるまい?」
何秒間、きょとんとした。録画がないため確認できないが、一瞬、瞳の焦点が拡散したように見えたのであろう。それほどに驚かされていた。神経コントロール手術を受けたことは別に秘密ではない。むしろ簡単に推測できる個人情報のため、知られて困るようなことはない。しかしいきなりそれを聞かれるのがはじめてで、出し抜けでまったく予想が付かなかったのである。
「はい、昨年の冬に、受けました。」
「ならば話が速い。君はここに来て、これからここに住み、そしてここの者になるのだな。いまはまだその深い意味がわからないかもしれないが、何れ君も、帰る場所はここしかないと思うようになるだろう。」
初対面の人とこんな話ができるとは思わなかった。けれど、彼は僕を見くびっている。わからなくは、なかったんだ。
「いいえ、言いたいことは、何となくわかります。そして、僕も同感です。むしろそう思われたら嬉しいと思います。」
「ハハハ、よいではないか。話がはやくて助かる。それで、ヒメのことだな?」
話自体は分からなくはないけれど、なぜこのタイミングに、そしてヒメとなんの関係があるについてはやはり意味不明のままである。だいたい、本当にヒメとはなんなんだろう。このワードに引っかかるたびに話があさっての方向へ曲がるのがわけが分からないのである。
「はい、ヒメとは、如何なものでございましょうか。」
そのワードに潜めているミステリアスがいよいよ白日の下に晒されると思うと、恐れ入り、厳かな気分になり、また言葉が敬語に戻った。
「ヒメとは、あそこにお座りになっておられる、荻原一葉様のことだよ。」
この日の日記はここで切った。自分の日記にこのような投げ出した終わり方はなかなか少ない。長かったため書くのに疲れたのもあるけれど、それよりも、この後の起こったことは、「ヒメが荻原一葉である」事実と比べたらどうでもよかったからであろう。私がこの日記をお見せにしたのも、「僕はこのようにしてヒメを知った」という過程を示したかったのである。長い割に、特に注意を促すべきところは少ない。四谷と大石については覚えておいた方がいいのかもしれない。どのみち、ヒメを語るのに外せない人物たちであるから。あと一つ、お見せしていない日にちの日記は書いてなかったのではなく、ヒメに関わる大切な内容が書かれていないからだ。私の日記に休みの日はない。
2033年4月20日
教室に入って、いつも通りに大石さんの席を囲んで「朝会」が行われていたので、その輪に加わった。あれから、毎日彼らと話すようになった。不意に、相変わらずひとりで座っているヒメに目をやった。
「大石さん、ヒメを誘わなくていいんですか?」
出し抜けに、聞いてみた。
「なんだ、お前そんなにヒメと話したいのかい?」
「えぇ?」
ヒメがこの輪に入ってこない理由はある程度推測できるけれど、彼らの口から確認したい意味で聞いた質問は明後日の方向から返って来た。意味がわからないよ。
「そんな、僕は単に、この構図は些か、不気味と言うかなんと言うか…」
視線をヒメの背中に当てて、そしてまた大石さんを見た。大石さんもつられてヒメを見た。
「言わんとすることは分からんでもないが、ヒメはヒメだからね。何もおかしなことはないぞ。」
「あのさ、それ答えになってないぞ」
意外なところから助け舟を出された。セミロングのブロンドの女子生徒、名前は確か、蔦屋さん。大石さんとは恋人関係だそうである。
「ありがとうございます。けれど大丈夫です。あれでちゃんと伝わった、と思います。」
「ニハハハ、そうだろう?男の会話をあんた程度じゃわかるまい。」
「うそお!あんなので通じるなんて、つっことはあなたもこの人と同じあの娘に惚れ込んでるわけ?まだ会って10日も経たないうちに」
蔦屋さんは驚く。そしてまた変な方向に誤解されて、説明に疲れそう。
「何だと?お前もしやヒメに劣情を?」
「そんな、劣情なんて微塵もありません!」
大石さんも何故かつられて訳の分からないことを言う。さすがに焦って即答した。
「ならばよし、しかし覚えておけよ、ヒメに、惚れるな。」
「あなたがそれを言うわけ?」
大石さんの切り替えの速さから、彼の度胸の大きさが伺えた。その後の厳かな雰囲気で言った警告の言葉も、そのままの意味で印象に残った。蔦屋さんはいちいち突っ込むが、恋人の心理的な浮気行為に対して寛容であることが分からないほど僕は子供ではない。2人の会話を聞いててなぜか微笑ましい気分になった。いい漫才コンビである。
「一人の女は千の男のこころを支える。そして残りの999人の女は黄昏に佇む。いつの時代も、そう」
「はいはい、センチメンタルタイムおつ」
僕と席が近い女子生徒の2人、西ノ宮さんと小笠原さん。西ノ宮さんは先日僕を大石さんのところに案内してくれたショートヘアの女の子である。たまに予想外な発言をするけれど、明るくて話してて疲れない人種である。西ノ宮さんのような娘ならいつか好きになれるかもしれない、と思った。
この日の会話は参加者全員がヒメの崇高さについて頷き合ったようなものである。大石と蔦屋の会話を聞いてほっとしたのは、無意識のうちに既にヒメの立場に立って考えるようになり、純然たる忠臣に化した私は、主の身の回りに起こり得ると想定した不安定要素がいらぬ心配で済んだから、安心したのである。また、西ノ宮を好きになるなどあるものか。密かに抱えていたヒメに対する恋愛感情が吊り合わないものであると、大石の一喝により確信を持つようになった。卑屈になった自分のみっともなさを紛らわすためにあのような虚言をしたにすぎない。
2033年5月3日
みどりに輝くオーロラに照される紺色の夜空の下に、枯れた松の木は雪原に二列に並んで、厳かな存在感を顕す。間を歩く少女を極圏内の寒風から守っているかのように。少女の出で立ちはブラウスの袖口にむくむくとした絨毛がついているからして、冬着であるに違いはあるまい。であるものの、華奢なボディラインにさわらない程度のスリムな仕様である。先がふたまたに分かれた帽子と真っ白と白黒チェックでミ・パルティスタイルのブラウスからはピエロ形式の趣が感じられるものの、少女の容姿に備わる溢れんばかりの尊さと神々しい景色に、服装の珍妙さは掻き消され、無理矢理にマッチされて行く様子である。
これほどの素晴らしい作品を作るぐらいなら、もっと衣服の選択に力を入れてもよかったのではないかと思った。
「カジュアル系の服だったら完璧なのにね。」
不意に、感想をそのまま口出してしまった。
「あら、あなた知らないの?ヒメの普段着って、必ず縞模様かチェックの柄が何処かについていらっしゃるの。アブストラクトというか、アーティフィシャルというか… ほら、ペン入れもそうでしょう?」
隣に立っている西ノ宮が未だに知らないヒメの情報について教えてくれた。それはありがたいけれど、その「僕はヒメについて詳しい」と言う無根な結論を確信しているかのような口ぶりは勘弁してほしい。
「知りませんよそんなこと。注意してみたことがありませんし」
「あらら、ヒメ博士として一本取られたな!」
「ヒメ博士であるものか?だいたい僕はまだここに来て間もない…」
「うん〜じゃ、まだだけれど、何れはなるつもりなんですね!ヒメ博士のタマゴ君」
「ハァ… ご想像にお任せしますよ…」
西ノ宮がこのモードに入ると口先で勝てるわけがない。ご本人に聞かれたらさぞかし迷惑に思われるだろうが、ヒメのところにまで言いふらすほど彼女は分別の付かない人間ではないと思う。今書いているのはこの日の昼休み、くじ引きで運悪く当たった西ノ宮が皆さんのために購買部でパンを買ってくれる役を任されたところ、何故か僕が付き添いに強制的に選ばれた。僕もそのくじ引きに参加し、逃れたにも関わらず付いてくることになった。その道のりに二階の廊下を歩いたところ、新しく貼られたヒメの写真に2人共見惚れたのであった。その写真は横3メートル、縦1.5メートルほどのデカさを誇る、インパクトにしても、クオリティにしても、また垣間見える作者の想像力、行動力など、どちらにしても文句のなかった、いや、感動させられるばかりの傑作であった。唯一、ヒロインのヒメの服装の不可解さを除いて。
「しかし、ここは何処でしょうか。」
「ん〜ん、オーロラだから、ノルウェーかスウェーデンなんじゃない?」
「それにしても、あのヒメがわざわざ写真を撮りに北極圏へ行くなんて…にわかに信じ難いですね。」
「あぁ、それなら…」
「そのことについてはこの俺から説明させてもらおう」
「あぁ!ひどいですよ風間先輩、せっかく知識を売って見返してもらおうと思ったのに…」
会話に割り込んでくる男子生徒は185センチほどの長身、大石さんと違って痩せ型、セミロングの茶髪は見事今流行っている男子の髪型にカットされている。イケメンという言葉そのものを具現化したような男である。
「このオーロラの写真が撮られたのはスウェーデンのキールナだ。しかし、ヒメはそこへ行かれなかった。」
驚いたことに、上級生もヒメでいうようである。
「合成?」
「厳密に言えばそれに違いないが、多分君の想像しているやり方とは違う。」
「と、仰いますと?」
「フフフ…」
腕を組んでもったいぶる先輩。
「なんかねぇ、よく分からないマシンがあるのですよ…」
「こら西ノ宮、俺が説明しようとしたところに!」
「先の仕返し」
「仕返しなものか!そもそも、君が先言おうとしたことは、この俺からの受け売りじゃあるまいか?」
「ですよ。それがなにか?」
「もういい。とこれでその君、先の続きだが、このオーロラの写真は確かに俺がスウェーデンで撮ってきた。そしてヒメは俺のスタジオ、即ちこの学校の写真部で俺の創作に協力された。しかしそれは二枚撮ってレタッチで合成したわけではない。俺の撮ったオーロラをスタジオに映して、そこにヒメは確かにオーロラに照らされて撮影されたのである。そのための機器なのだが…」
「シュナイダー・エア?」
「なんだと?」
「ええ?分かるの?」
僕がその機材の名前に反応したことに、西ノ宮も驚いたらしい。その感覚は分からなくもない。それを知っていると白状した時点でカメラマニアであると認めたと同義である。しかし、現にそんなとんでもないものがここにあり、誰かに使われているのではないか。驚くべきのは明らかに僕の方である。
「はい、その、昔から撮影が趣味で、それにしてもこれほどのいい作品が高校生の先輩が撮られなんて、にわかに信じられません。それに、シュナイダーなんて恐ろしすぎます。何千万もする機材を高校の部活予算で?」
「俺が買った時は日本円に換算して3500万だったな。いや、予算じゃなく自腹で」
「ええ?マジで?」
「マジマジ」
「そんな、信じられません」
さすがに返す言葉もなかった。なるほど、この予算力あってこそのあの作品かと一瞬思ったけれど、後に自分の浅ましさに恥じ入った。
「いいえ、信じられませんのはあなたですよ!内野君。この精神異常者先輩の話題についていける人間がこの学校に存在するとは思いませんでした。」
「精神異常者とは何だ!」
「いえ、なんとなく、分からなくもありません…」
まさか僕が初対面の先輩に向かってこれほどの毒舌を晒す時が来るとは夢にも思わなかった。それほどに、シュナイダーエアの衝撃が強かったようである。
「お前らそれでも後輩かい?」
「いえ、ならシュナイダー先輩でもいいんです。どのみち僕の中では意味は同じですから。」
「おおぉ、いい事を言うね内野君。そう、この先輩はまさに今あなたが感じている通りそのままの、とんでもなく甚だしい、理解に値しない人種なのですよ。」
「芸術家とはそうゆうもんだろう?」
先輩は西ノ宮の聞くに堪える、罵りと言っても過言ではない批評を聞き逃した。単にこの人はこのような性格の持ち主で度胸がそれなり広いのか、それともこの2人の仲がよかったのか。どちらもあるように思える。それから、先輩が先言った言葉はまさに僕の言いたいことそのものでもあった。
「それについては、同意します」
「な、なんだ。面と向かって認められたら照れるじゃないか…」
そっぽを向いた先輩。リアクションがいちいち大きくて分かりやすいところはこの人のキャラであろう。受けると思う。イケメンなら尚更である。
「いえ、正当な評価です。人物と背景のマッチ感の良さは正にシュナイダーエアでなければ実現出来ないものでしょうけれど、それもオーロラをあれ程に美しく撮られた先輩の腕前がなければ成り立ちません。観賞スポットでも三日間1回と言われますし、これほどのクオリティ高い写真ができるまで相当な時間が掛かったのではないかと推測します。」
「よく分かるね。実際半年もかかったな。長期間在住の手続きは面倒くさかった」
「えっと、学校の授業は?」
「試験は当日往復の帰国で受けたが、授業はサボった」
「なるほど…それで進級できるのもすごいと思います」
「いや、出来てないよ。とういうことで、今は3年生だけど、また来年もよろしくって感じ、嬉しいだろう?」
「なるほど、はい、先輩はそれで良いのなら…」
「それにしても、よくそんなことまで知っているな、君もオーロラを撮ったことあるのかい?」
「いえ、いつか撮りに行きたいという夢を持っていますけれど、そのためにまず機材も新調しないと…」
「君今なにを使っているのかい?」
「ニコロの…」
「あのう、内野くん?」
なんだ、せっかくいいところにと思って西ノ宮に振り向いたら、笑っているような怒っているようなという顔をしていた。いや、この場合は怒っているに決まっている。
「えっと、西ノ宮さん?」
「私たちはいま、何をしようとしているかを、まさか忘れたのではなくて?」
「あぁ!」
慌てて腕時計を確認したところ、12時34分と表示されていた。
「うん?なか野暮用でもあるのかい?」
部外者の先輩は僕らの慌てぶりに影響されずに、落ち着いて聞いてきた。その質問に答える暇も惜しいと思った。
「アハハハ、まぁそんなところ、それでは先輩、またいつかあたしの写真も撮ってくださいよ」
たった一言で先輩の質問を振り切ったら、西ノ宮は僕の腕を掴んで、購買部へ走って行った。この切替の速さに僕は思わず感心した。
風間先輩ともっと話したかった。カメラの事、あの写真の事、それと、ヒメの事。
この日の日記に注意すべき大切なポイントは1つある。即ち、展示された風間の受賞作品の写真の内容を事実として覚えて欲しい。これからの日記に示していく事実に繋がり、後に明らかになって行くヒメの本質のより奥深いところに関わるからである。現段階で解説できる内容は左の通り。
まず1つは、写真の内容そのものが僕に与えた変化である。ヒメの私服に対する拘り、それが示す強烈なアイデンティティを僕はこの日にこの写真にて垣間見えることになった。それは僕のもともと持っていたヒメに対する好奇心を倍増させ、より確実なモノへと定めた。ここで、先日の日記の解説に書いた内容を思い出して欲しい。13日前の20日に、僕は一度卑屈になり、ヒメに抱いた淡く不確かな恋愛感情に近い感心を諦めようとした。しかしこの日のことを経て、目を覚ましたつもりの僕は、もう一度目を覚ますことになった。具体的にいうと、僕は、そもそも自分はまだヒメの何たるかをほんの少しも理解していないという事実に気付いた。恋愛対象として自分が相応しいかどうかの前提も可笑しかった。その考え方はまず恥じるべきである。ヒメの偉大さ、ミステリアス、それらを僕はまず研究対象として、解明しなければならない。男女云々の話ではなかった。知能を持つ高等動物の頂点に立つ人間として、ヒメという命題の解読を放棄することは即ち、あらゆる尊厳を捨てる行為でほかならないという義務感、使命感が僕の中に目覚めた瞬間であった。
それから、風間貴久という人物についてだが、ここで語られることはまだ少ない。というのは他でもない、彼がこの日の会話に見せた性質は殆ど「素」ではないからである。しかし、これから僕の頭上にのしかかる山となり、劣等感と嫉妬感の深淵へ押し込んだ人物として、そのいくつかのステータス、即ち実績、経済力、ルックスが既にここで示されていた。
あとは西ノ宮につい、この日の日記にも特に彼女の描写が多めだったことはお分かりになろう。前回に解説した通り、これは日記の筆者である当時の僕の自己欺瞞にすぎない。ヒメについての認識が僕の中で大きく揺らぐ度に、僕は西ノ宮を見ていた。プレッシャーから逃れるために、手が届きそう「と思った」彼女への、精神的上の逃避行である。彼女に対して、あの頃の僕はいつも都合よく想像するだけで、検証もせずに分かるつもりでいた。理由は至って単純、深層心理では「読み違ったとしてもどうということはない」と認識していたからである。彼女を恐れてはいないことは即ち、彼女を見ていないと同義である。この如何にもおこがましくて自分勝手な心理状態は、後に僕が更なる地獄に陥ることの病因となった。
2033年5月4日
大石の席を囲んで毎朝の朝会が開かれている。そして今朝はの普段と違い、名実共に「作戦会議」である。各々が落ち着いた表情を保ちつつ物静かに立ち竦み、議長の発言を待つ。4月13日の集会に参加しなかったが、おそらく今日のこれと同じだったのだろう。そして、廃墟になった城塞にこだまするデュラハンの声はおもむろに
「事件の概要について諸君はもう把握だろうから、ここで敢えて説明はしない。」
「いいえ、何のことかさっぱり分かりませんが。」
手を挙げた。声は彼に見習い限界までに細めたものだった。
「お前は見習いだ。分からなくてもとりあえず聞いておけ。いちいち説明したら日が暮れる。」
「ほら、あの写真のことよ。君も知ってるでしょう?」
「あぁ、なるほどね」
西ノ宮の説明は日が暮れるほど掛からなかったし、そもそも大石さんの断りよりも短い。
「というわけで、あれは手強い敵だ。」
「敵?風間先輩がですか?」
発言を慎むように命じられた僕の代わりに知りたいことを聞いてくれた西ノ宮、なんという有難さ。
「あれは我々の知らないところで、ヒメと睦まじい関係を築いている。それでは我々の立つ瀬はない。」
「クラスメートとして?」
「騎士として」
「騎士はあなただけでしょう?」
「あたしも騎士はさすがに…」
「ねえ…」
女性陣は西ノ宮に同調する。
「じゃお前らはなんだ?」
「えっと、兵士?」
「それって騎士となんか違うのか?」
「いや、騎士の方が断然恥ずかしいから。」
思わず親指を立たせたくなった。いいセンスだ西ノ宮!
「あたしも兵士でいい」
「うああ、わかったわかった。じゃ、兵士どもよ。これからどうやって魔王風間と戦っていくについてだが…」
「戦うの?勝てないよ〜あたしたちが束になっても」
「それは、喧嘩的な意味で?」
「経済的な意味で、技術力的な意味で、知恵的な意味で」
「だからお前は女だ。兵法の何たるかを知らない。わざわざ敵の強いところへ突っ込んで行くものが何処にある?」
「じゃなに、弱点でもあると?」
「あのう、蔦屋さん、最後のはちょっと…」
意外な事に女性陣に意見の分離が発生、西ノ宮が蔦屋さんに疑問点を唱える。
「最後というのは?」
「知恵的な意味で」
「ふん〜ん?この中にとりわけ賢い者がいるとでも?」
「いいえ、あの人、バカだから。」
「ええ、マジで?」
「マジマジ。」
「これは聞き捨てならないな、西ノ宮。お前のその発言に根拠があるのかね?」
疑問に思う大石さん。実を言うと僕も納得できないところがある。あの人の態度は、はたして単なる「バカ」と捉えていいものだろうか。
「しゃべる内容、でいいのでは?」
「それが演技である可能性は?」
「ある。けれど、誰得?」
「誰得?愚か者はお前ではあるまいかね?ただいま、ヒメを護る騎士、いや、兵士と言ったか。兵士の一人のはずのお前は、騙されて油断して、敵を見違えようとしている。それだけは不足と言うのかね?」
「なるほど、確かに、あいつはバカか腹黒いヤツかのどちらと聞かれたら、後者の臭いも濃厚かも!」
合点が行く2人。
「では西ノ宮、お前に任務だ。クエスト内容は、「ヒメと風間貴久の間になにがあった」のを偵察してくること、よいな」
「わるいに決まっているでしょう?代表者の大石さんが率先に行くべきでしょうこの場合」
「考えてからことを言え、俺があのヒメに質問して行く?この、どこからどう見ても怪しげなオッサンにしか見えないこの俺が?」
大石さんは客観的に好男子に見えなくもないと僕は思う。しかしあのヒメを前にすると卑屈になる気持ちもいやというほどに分かる。そう考えても、分かり切っていることだがやはり風間先輩は只者ではない事実を実感してくる。
「あらら、自覚あるんだ…」
「ふざけるな。分かったならさっさと任務を実行したまえ」
「それでも納得行きません。私に決まる理由は何でしょうか。まさか発令した直前に私と話していたからではありますまい?」
「ええい!お前が風間先輩と一番仲が親しく、あいつの素性を知っているのではあるまいか?それがヒメに対する質問を汲む時の材料になると俺は拝領した上でお前にこの名誉な任務を与えたというのに、その不満はなぜあろう!」
「私と風間先輩は仲がいい?ないない。昔からの知り合いというのは確かですけれど、犬猿の仲というほどではないにせよ、赤の他人レベルなんじゃないでしょうか?」
昔の知り合いでありながら赤の他人、というのもひどい例え方だとは思うけれど、どうも西ノ宮は人の悪口を言う才能があるようだ。このタイプの芸人はいなかっただろうか。興味はないから調べるつもりもないけれど。
「俺の話のどこを聞いてたんだい?犬猿の仲にせよ、あいつを俺たち以上に知っているのならそれでいいのだ。」
「それならさぁ、この人がもっと凄いよ。だって、風間先輩の言うキザイのお話が分かるもの」
「それは本当かい?」
「え?」
いきなり話は発言禁止された僕にふられた。
「えっと、撮影を趣味にさせて頂いておりますので、カメラや周辺機器の話ならある程度わかりますが。本当に、ほんのすこしですよ!」
「シュナイダーエアとやらに反応したくせに、ほんの少しとは言いますまい」
「あれは本当に有名ですから!こちらの趣味を持たない人間でもニュースやCMで聞き覚えぐらいはあると思いますが」
「いや、俺はしらないな」
「あたしも」
「分かりません」
「シュナイダー?」
十数人のうちに反応した人はなかった。演技である可能性は否めないけれど、これではもう引き下がれないか。「まったくなんということをしてくれたのか西ノ宮!」と内心で文句を溢す。
「見ての通り、どうやらこの中に君ほどカメラ趣味に詳しい人間はいなさそうだ。よし、ではクエストの参加人数を再発表する。西ノ宮と内野の二名で実行して来たまえ。そろそろ時間がないんだ。異論は認めん。」
「えぇ、私を外してくれないわけ?もっといい人材を推薦したのに」
「うるさい。さっさと行きたまえ」
「あのう、本当に僕も行くのですか?」
「情けない声出さないの!男の子でしょう?ここは私に分も含めて頑張ってくれるべし!」
「無理ですよ」
「はぁ…まぁ、それはそうでしょう。じゃ、諦めて協力しましょう。あいぼう!おお!」
ハイタッチのポーズに出る西ノ宮、一瞬迷ったものの、結局流されて恥ずかしさを偲びながら両手をだした。
「おおぉ…」
パァ という僕らの喋る声と同レベルの音量のタッチ音がしたあと、僕は西ノ宮の後ろについてヒメの席に向かった。まさかこんなに早くヒメと面と向かって話すことになるなど夢にも思わなかった。
2人並んでヒメの席の横に立つ。何秒間経たないうちにヒメはこちらに振り向いた。ヘルメットを付けているのにどうやら視野は阻害されてなかったようだ。ヒメはヘルメットを外すことなく、目隠しの紫色のガラスのみをスイッチで開けた。お人形のように長く、毛先がなめらかな曲線を描くようにカットされたまつげに隠されながらも、漆黒の円心をグラデーション状のグレー色が集中線を描きながら包んでいくその瞳はただならぬ存在感で僕を戦慄させた。火傷をさせるほどの熱い物体に迂闊で触れたら手を引くように、条件反射ですぐ目線を外した。けれど忽ち後悔の気持ちが湧き上がってくる。もっと、じっくり見たらよかったと。それどころか、間近に寄って観察したいほどにあの瞳の美しさ、造形の絶妙さ、色彩のチャーミングさ、白目に血管が一線も見当たらなかった生物的のあり得なさに興味を惹かれていた。写真の趣味を持つ人間にしか分からない感想かもしれないが、マクロレンズで接写し、大きいな用紙に刷り出して観賞したいほどのものだった。そして、ヘルメットの両側についた内蔵スピーカーを通過し、ヒメの声色がステレオで僕の両耳に流れて来る。静電型ヘッドホンで聞きたかった。
「どうか、なさいまして?」
脳髄に染み渡る。自己紹介の時に一度聞いたことある声だけれど、間近でよく聞き取れるから分かることも違ってくる。あの時はただ声を言葉として、内容に注意を引かれたものの、今回の場合は音として聞くことができた。絶対音感を持っていないから確かなことは言えないが、直感的に高かった。ヒメの声はひたすらに高かった。少なくとも西ノ宮より、蔦屋さんより、ルーシーさんより、母上より高かった。そして厚みがある。高くて細い女性の声をヴァイオリンに例えれば、ヒメの声はフルートのそれに近いと思う。舞台俳優に詳しかったらもっとマシな例え方ができたかもしれない。しかしこれが意図を通した発声ではなく素の声であれば、発声の時はオルガン級の音が出せるのではないかと、一瞬失礼な発想が脳内によぎり、おののいた。
「えっと、いい天気ですね。」
ダサい!それはない!それと僕に同意を求めるような視線をよこさないで欲しい!
「はい。けれどどうか畏まらずにご要件の方を仰って頂戴」
これは手厳しいのである。名前を聞かずに先に要件を聞きに来たということは、「私は忙しいのですよ!」と言っているようなものだ。そちらの肌にも伝わったか、西ノ宮は冷や汗を掻いたようだ。
「そうですね。あのう、お写真、綺麗でしたね!」
唐突すぎ。説明が圧倒的に不足である。せめて「廊下に貼っている」を付けて欲しかった。しかしそれで伝わるぐらいの解析力を当然ヒメは持っている。
「ご感想に感謝を。けれども、あのお写真に私がお手伝いしたのはほんの僅かでした。良い結果を残せたのはほとんど風間先輩お一人のおかげです。」
語られる内容は単なる事実であると感じつつも、ヒメの謙虚さに感心してしまう。すぐさまもう一つの可能性に気付いて、緊張感が更に高まる。即ち、これは「私に関係ないから感想なら風間先輩に言ってください」との拒絶ではあるまいか。しかしさすがに今度の言いようがまわりくどかったせいか、あるいは聞き手の単純さゆえか、西ノ宮にはそう伝わらなかったようだ。
「いえいえ、そんな、受賞できたのもきっと荻原さんのおかげに違いありません」
「荻原さん」のところは評価に値する。西ノ宮はまだ僕の想像するほど無頓着なわけではないようだ。ここで「ヒメ」が出たらさすがに最悪である。
「はて?私にはそう思いませんけれど?」
これはきつい、まさかの会話が始まって早々意見が平行線に入るとは、と思ったところに足から痛み伝わって来た。すなわちこれは「詰んだ。助けて。」という救援信号に違いあるまい。もっと穏やかなやり方が欲しかったものの今は不平を言う場合ではない。しかし僕になにが言えると仰るのだろう。
「創作時に何か心に残るような出来事はなかったのでしょうか。あのポーズとあの衣装になさったのに何かしらの意図がありましたら、コメントをお聞かせください」
「そうそう、楽屋裏的に」
楽屋ではなくスタジオだろうけれど、意思疎通さえ果たせばここは大目に見るべし。
「ポーズと言えば、風間先輩に『満天の星空が見える夜に公園を散歩する感じ』と言われたまま歩いただけですけれど、その間に彼がベストショットをお決めくださったのでしょう。後から思うと、オーロラの見える寒いところに居たら、本当は体がもっと縮んでいたのではないでしょうか。お洋服と言えば、私はあの様式の私服しか持っておりません、中から暖かそうなのを選んだけです。それから、興味深い出来事は個人的にとくにありませんけれど、無知のゆえお恥ずかしながら、風間先輩のカメラは新しく見えました。カメラとはレンズが一つ付いているモノと勘違いしておりました。」
この瞬間から、ヒメとの距離が縮んだ気がした。会話を交わしたわけではない。おそらく自分が知ってヒメが知らない知識がこの世に存在したところに安心感を得たのだろう。たかがマニアチックなマイナー知識、専門家とオタクでなければ誰が知り得ようか。我ながら小者だと思えてならない。
「では、短い間ですけれど、共に目標に向かってご活躍した風間先輩について、コメントの1つ2つ頂けないでしょうか」
「風間先輩は、優秀な方です。専門知識豊富の上で、先天性と思われるセンスに見どころがあり、尚且つ努力を惜しまない方ではないでしょうか。この度を経て受賞という社会的な評価も加え、専門的な依頼に於いてはとても信頼の置ける相手だと思います。」
「その優秀な方が2度も留年したことについてどう思われますか?」
おい!出し抜けに会話に割り込んだらえげつない質問を放つ西ノ宮に肝を冷やされた。それは風間先輩に対する嫌味じゃないだろうか。しかし我らが総長の望みを考えれば西ノ宮の行動もあながち外れてはいない。
「何かを為すには、常に何かを手放す覚悟が伴わなければなりません。それで結果が残せたら、妥協の行くところではないでしょうか。それに、風間先輩の留年があってこそ、私は彼の作品制作に参加でき、あの写真が学校の廊下に残せたのです。これも一つの巡り合わせだと思います。」
意外なことにヒメは他人にやさしい人なのかもしれない。何かを手に入れれば何かを失うという天秤が彼女自らに適用されていないことをまるで理解していないが如く。はたまた、これは単なる遠回しの自讃ではないか。どちらにせよ、柔軟性のある思想の持ち主であることは確かのようだ。西ノ宮も僕と同じ感想を持っているようである。
「へええ、意外ですね。荻原さんがこのような発言をなさる方だとは思いませんでした。」
「あらら、はて?ではどのような発言をしそうな人に見えたのかを、参考までにお聞かせ願えないでしょうか。」
「えっと、『学業を疎かにするのは感心しませんが、この度は良い結果が残せたから大目に見てあげましょう』みたいな?」
如何にも西ノ宮らしい偉そうな言い草である。撮られたのが彼女の場合、インタビューされる時はそう言うのだろう。しかし西ノ宮、それでは普通すぎる。ヒメの答えに意外性はあったものの、やはりあなたの発想よりはヒメらしかったのだよ。
「あなたの仰ることもごもっともです。アンチノミーとなる事実の両面をそれぞれ挙げたようなことですわ。では、まだ何かあるのでしょうか」
明らかに会話を終わらせようとなさるヒメだけれど、ここはもう少しの堪忍をお願いし、いまさき思いついた、今までの答えがわかりきった質問よりよほど意義のある疑問点を最後に聞かせて頂こうと思う。
「では恐れいりますが、最後に一つお願いしてもよろしいでしょうか」
「はい、私の存じ上げることであれば、ですけれど」
「あなたでないと答えられる方はございません。では、先程、風間先輩はこの度の受賞で社会的な評価を得たとおっしゃいましたけれど、裏を返せば即ち、それまでは実績らしい実績は特になかったということではありますまいか。それなのにどうして、荻原さんは彼のことが信頼できたのでしょうか」
そう、ここだけはどう考えても納得できるような答えが見出せなかった。彼女が軽はずみに実績もない人間に貴重な時間を割って協力に踏み出るような人とは思わない。風間先輩が如何に実績以外のモノで自らを表したのか、または、ヒメが如何なるところから彼に可能性を見出したのか。それだけが気になった。
「彼の写真を拝見しました。それだけでは不足とでもおっしゃいますか?」
「いいえ、十分すぎるほどに。ありがとうございます。」
僕はやはり、ヒメの何一つすら分かっていなかったようだ。
2033年5月5日
室内に入った途端、まずは網膜に焼き付けて来る照明の明るさに感心し、朗らかな気分にさせられた。晴れの日と曇の日の光量の差はその実千倍もあるけれど、我々の目はそれに合わせて感度を調節するから脳はそれほどの差を感じないのと同じ、この部屋と廊下にも千倍の明るさの差があるかないか、というような無意味な自問自答を繰り返しながら、僕は扉をくぐったところに立ち尽くし、部屋全体を観察していた。照明、と言う言葉でまとめられるモノの数は無数にあり、形状はとりどりにあった。リングライト、クリップライト、スポットライトが天井と壁沿いのいたるところにあり、これらから出る熱量だけでこの部屋では暖房を付けずに冬を過ごせそうだ。にもかかわらず初夏に暑さを感じないのはクーラーが甲斐甲斐しく働いてくれているおかげだろう。どれだけの電気を浪費する気かと聞きたいところだが、この部屋の主の経済力と価値観を考えると、その議論は平行線をたどるであろうことが容易に予想できる。
撮影用の背景コーナーがいくつかあった。カントリー風でペンキを塗らない木材で作られ、更に長年月の日当たりで色褪せた家具が並んでいる居間。天井まで届きそうな本棚に1つずつが単独の芸術品のように綺麗な外装で飾られた洋書がならび、カシのテーブルに置いてある羊皮紙にラテン語かと思われる洋文字が綴られている。ゴシック風の荘厳たる雰囲気を醸し出す書斎。ロココ調で意義を追求しない絢爛豪華さを誇る寝室。異常性欲者が好みそうな、血塗れに見える刑具が並んでいる尋問室、ギロチン台とアイアン・メイデンまであるところからして「処刑室」とも考えられる。そのすぐ隣に、「アリス」という言葉を思わせるような、オルゴール、派手やかなお洋服を着せられたお人形、黄金色のウールで縫製されたくまのぬいぐるみなどが置いてある、恐らく中世か近代ヨーロッパの子供部屋があった。その趣の統一感の無さと、素人の目からは完璧に見えるほどに追求されたクオリティの高さは、この部屋の主の芸術家としての器の大きさを物語る。
ここは、私立隣人院高等学校写真部の部室である。部長にして唯一の部員の風間貴久先輩に誘われ、僕は今日の放課後、帰宅部の活動をサボってここに来たわけである。改めて、傑作の後ろに日々積み重ねて来たモノがあると実感できた。この部屋あってこそのあの写真である。如何に天才であろうと、経済力があろうと、この一つ一つの背景セットから垣間見える作者の執念深さがなければ、物足りない。
「お邪魔します〜」
人のきはいがまるでしない静まり返っている広大な部屋の中に、僕の声がもろく虚しく響いた。そして突然どこかに設置されてある幾つかのスピーカーから同時に、大きい音量で返事が来た。風間先輩の声である。
「おお、もう来たか、入って来て。あぁドアは、そこから見て左?いや右か、とにかく自分で探して、すぐ分かるはず」
と言い残して「通話」を切った風間先輩。監視カメラがどこかにあっただろうか。存在意義がいまいち理解できないけれど、あの人のことだからと説明すれば納得してしまう。両側にある半隔離されている一つ一つのルームを観賞しつつ、僕は真ん中の通路を通り、奥の部屋へ繋がる扉の前に辿り着いた。ちなみに扉は左側にあった。
アンティークな模様が刻まれている青銅色のノブに触れようとしたら、たちどころに緊張感が漲ってきた。伸ばした左手を引き戻して首にぶら下がっている黒い物体に触れる。頑丈な手触りが伝わって気分を落ち着かせた。そして再びノブに手をかけ、今度は大丈夫のようだ。
「お邪魔します」
「おお、待ったぜ〜」
「待ったって、僕は授業が終わってすぐ来たけれど、先輩はちゃんと午後の授業に出られました?」
「まぁ、細かいこと気にするな。せっかく男二人になったんだから水入らず話し合おうぜ!おおこれが例の?」
さっそく例の物体に興味を示した風間先輩。自分でも浅ましいと思うけれど、やっぱりこれに関心を持ってくれる人が現れただけでも嬉しかった。
「はい、ニコロのD5Xです。仰せの通り持ってきました。」
「これがあの伝説の名機、デジタル一眼レフの終焉を描いたと言われるやつか、中古ショップのショーウィンドウ越しで見たことあるが、実際に誰かが持っているのを見るのははじめてだ。さすがにこの時代にこれを使う人がまだ存在するとは思わなかった」
「でしょうね。もう生産終了から15年も経ったもの」
「で、実際にこれをコレクターに売ったら回収できる資金だけでもこれよりずっと使いやすいカメラが買えるのに、なぜそれをやらないのかい?やっぱりカメラの機能、つまり実際できた写真よりもカメラそのモノに拘りを持っている系のマニアかい?」
「それもなくはいけれど、本当は最近のカメラが使いたいです。風間先輩のような2.5:1大判はさすがに考えられないけれど、RA105は気になります。これをずっと使っていたのは、母上から受け継いたものですから。」
「おお、形見というやつか」
「違います!勝手に人の親を殺さないでください!母上は私がまだ幼い頃に写真の趣味を持っていました。今はもう撮らなくなったけれど、その時使っていたカメラがこれです。それも、愛用して来たレンズたちを手放すのが惜しくて、ニコロの35mmサイズデジ一眼に後継機が出なくなったから機種の更新もできず、ずっとこれを使っていました。そしてとうとうカメラの機能の不利で写真のクオリティが趣味の仲間たちについて行けなくなり、やる気もなくなったそうです。それから、母上のカメラは私のおもちゃになりました。今更、カメラを替えたいなんてとても母上に言えないです。」
「お母さんのモノだから売れないというのは分かったけど、何なら自分のお金で新しいやつを買えばいいじゃん?俺ならそのためにバイトぐらいやるさぁ」
「それも違います。こっそりバイトするぐらいなら母上に言った方がまだマシでしょう。僕は母上から撮影の技術を習い、それからずっとこのカメラで、母上のように、あの構図で、あの角度で、写真を撮って来ました。ああやって、自分の中に彼女の魂がちゃんと受け継がれていることを感じて、そして母上に伝えるのです。今更このアイデンティティ壊すのが、怖いんです。」
「うんん、マザーコンプレックスだな」
「なぁ?」
「それはどうでもいいんだけどさ、カメラの話も一旦おいといて、それよりも、君の言ってたお母さんより受け継いた写真の撮り方、それは君の写真と言えるのかい?」
「ええ?」
「じゃ、こう言おうか?君は、その母の写真で、ヒメを撮るつもりなのかい?」
頭が真っ白になった。あれから先輩と僕は何を話したのだろう。もう思い出せない。家に帰ってからとにかく日記を書いて、何も考えずに寝ることにした。今日に限って、母上に会わずに済んでよかったと思う。おそらくこう考えたのは、10代に入ってからはじめてだと思う。
この日の日記を読み返してまず矛盾に思う点が1つある。すなわち、家に帰ってから、頭が真っ白、何も思い出せないなどの描写があるにも関わらず、その状態で書かれたはずの先頭部分からは筆者の疲労ぶりが伺えない。それほどに風間貴久に心酔し、彼の中身を彼のセリフよりも良く具現化している写真部室の状態を、あの日僕はある種の使命感を感じたかのように懸命に記したのである。だからこそ、彼の質問は僕にとって重みがあった。僕が今まで何回も、何十回も、何百回も自問しては誤魔化したその難問に向かい合わなければならないところに追い詰められたのだ。難問とはすなわち、「その写真は僕のモノだろうか。このままでいいのだろうか。」という自らに対する惑い、不安でほかならない。そして、僕が今までまだこのままでいいと答えたのは母上のためだった。また迷うようになったのは風間貴久という尊敬すべき人間に聞かれ、彼を失望させるような答えを出したくないからだ。いまだに新しい答えを見出せないままでいるのは、風間の言葉のそのままの意味で、「ヒメに対する不実ではないか」という、この問題のもう一つの核心をあの日の僕はまだ理解できていなかったからである。しかし、理性では意味不明と断ったところが、深層心理ではちゃんとその言葉の危険さを感じ取り、理性によるこれ以上の深入りを危惧し、「頭を真っ白にさせた」のではないか。そう、あの日までの僕はまだヒメを撮りたいと考えたことはなかった。考える勇気がなかった。えたくもなかった考。ところが、いざ風間に、撮るのが前提のように聞かれたら、撮らないよと口先で断っても、心理の奥深いところでは恐ろしかったのである。なにかしらのとんでもない嘘をついてしまった気がしたからだ。
それから、この日の日記に出た私の母上に付いて語るとしたら、この機会を逃したら他はもうないと考えたため、ここから先はこの時点より更に遡った過去の日記をお読みなって頂き、母上について説明させて頂きたいと思う。もちろんこれもヒメを理解して頂く上で欠かせない大切な事実であるという考えに基づいた分配であり、断じて私が無計画で思い付いたところを一切合切書き下ろしいるわけではないことを理解して欲しいのである。
2020年3月4日
おかあさんは、きょうも、おねえちゃんのしゃしんをとります。また、あたらしいおねえちゃんがきました。おねえちゃんはたくさんいます。あたらしいおねえちゃんは127にんめ。かぞえるのがたいへん。おねえちゃんはしゃべらない。なんでしゃべらないの?とおかあさんにきいたら、おとなになったらわかるといいます。ルーシーさんにきいたら、とてもこまったかおで、わかりません、といいます。はやくおとなになって、おねえちゃんのことばをききたい。おねえちゃんはみんなきれい。おかあさんはわたしのしゃしんをとりません。
2023年6月21日
おねえちゃんたちはいつもガラスのショーケースのなかにいる。おかあさんがしゃしんをとるときと、つれだすときだけそとにでる。たくさんいるからさびしくない。けれどそとのせかいもおもしろい。ショーケースのとびらをあけて、おねえちゃんをつれだした。だっこして、にわにでた。えんげいをしているルーシーさんにあって、とてもおこられました。「おくさまのおにんぎょうにさわってはいけないといったではありませんか」といって、わたしからおねえちゃんをどりあげました。おかあさんはかえってきた。おかあさんはおこりません。けれど、きょうはわたしとはなしませんといいました。それがおしおきだといいました。ルーシーさんは、おしおきはわるいことをしたときおこられることだといいました。けれど、おかあさんはおこっていませんでした。いつものように、わらっていました。
2027年10月5日
学校では母上のお人形さんのことを言ってはなりません。バカにされます。お姉さまだと言ったらもっとバカにされます。母上はお姉さまたちが大好きです。私も好きです。どうしてお姉さまたちのことを皆さんに話したらバカにされるかと母上に聞いたら、「彼らは間違っている。」と母上はいいました。母上の言っていることはきっと正しい。彼らはバカだから、わからないんです。わかることができないんです。
母上は私が幼い頃からずっとお人形が趣味だった。というのも、母上の多数の少女趣味の一つに過ぎないのだが、もっとも金銭を費やしたのはそれに間違いあるまい。母上のドールは基本的に40センチから60センチまでの高さで、数は今に至って何百もあった。そして母上はそれを連れ出して「お友達」に会いに行くたびに必ずそのドールと同じドレスを着ていた。それだけヴィクトリアン、ロココなどの形式のお洋服を何百着も持っていた。お出かけの時は一応周囲の目線を気にして基本的に車で移動していた。母上はそんなまるで歳を感じない、おしゃれで可愛い人間だった。
父上からの寄付金は母上宛とルーシーさん宛に分かれて送るようにされている。母上に送ったら全部趣味に使われてしまうから、私達3人分の生活費用はルーシーさんに管理されている。ルーシーさんとは家に常住する年老いたメイドさんのことである。生真面目で面白くない人間ではあるが、大きくなってからは、母上よりもルーシーさんの方が話しやすいと思うようになった。母上は決して無知な人ではない。むしろ、文学、哲学、心理学などのこの世の本質に触れるところにハマりすぎて、そして現実の生活を見なくてもいいように自由を与えられすぎて、心身共が「高い」ところにおられて、とても10代の私のような、ぼんやりとした価値観と世界観を築き上げたばかりの少年がついて行けるような思想の持ち主ではなかった。だから、これだけ母上を書いたから、さぞかしお慕いしているのでしょうと思われたら、それは違う。私は本当は母上と話すのが苦手だった。そして母上が怖い、と感じた年月もあった。母上は怒らない人間である。いつも通りの笑顔で私をしかり、お仕置きをするのだった。それも「作りごと」ではない。作りごとをする女性を私はたくさん知っている。どんなにうまい人でも、嘘を言う時と本心ではない顔を作る時は反応が一瞬遅れたりする。母上にはそれがまるで見当たらないから、素でしか生きない人に違いないのである。それがどれほど珍しいことかを理解できた最初の頃は、母上が不気味に思えてならなかった。けれど次第に、母上のその質は優れている人間の証であると理解してから、母上は私の誇りとなり、今に至っても心のどこかに隠し持っている。母上は実際になにをやるにしても天才的に、上手くできるからである。裁縫、絵画、文学、そして写真。しかしここで1つお断りして置きたい。
しかし、ここで母上はヒメに似ておられるかどうか、または似ておられるからこそヒメに惹かれたのだろうかと聞かれたら、それはまた違う。母上のは言わば芸術家である。具体的に言うと、造形または色彩などに対する感性/審美学において優れておられる。純粋な視覚情報を人の心理に結びつけるときの想像力、過激と控えめの中間値を探す判断力、などを内包したセンス、女性的直感というものがよいのである。魅惑的でありながらアンチモラルではない。ミステリアスでありながら不気味ではない。前衛的でありながら急進的ではない。というような黄金点を探す天才である。
ヒメの性質はそれと正反対と言えるかもしれない。ヒメは言わば学者である。ヒメもまた造形学に常人から見れば独特なセンスを持っておられるが、それは彼女の心理学についての解釈に基づいたものであり、彼女の常人では決して理解し得ない高次元の目的を果たすために、バタフライ効果までが彼女の計算から逃れられないが如く、全ての行動には理屈にそった意義があるのだ。その結果、彼女の芸術的センスは母上より断然人に受け入れられ難く、アンチモラルで、不気味で、急進的である。しかし、それらのマイナス的な性質をまとめ、常人離れの知識の量と理解力、叡智を加えたら、新たにできあがった完結した超人の像がそこにあり、そうでなければならないと認めたくなるような美しさがあるのもまた事実である。
ルーシーも母上の浪費家気質に厳しい態度を取るものの、全面的は母上のことを高く評価している。彼女の家系はバルカン半島からの渡来人であるものの、何世紀もまえから代々イギリスの資産家の家で働く使用人の一家である。彼女自身も40代までイギリスで家族と共に貢献して来た。20代に恋愛のひとつもしたそうだが、良い結果に繋がれず、あれ以来はもう自分の家庭を築くつもりがなく、生涯を遣われている家に捧げると決めたそうである。ところが、その家の奥様は母上と趣味で知り合い、友情の証になんともとんでもないことに、メイドの一人をこちらにプレゼントしたのである。その難役に派遣されたルーシーさんは甲斐甲斐しく、日本に来て40代から日本語を一から習い、今に至るわけである。人生を翻弄された立場として向こうの奥様と母上のことを恨む権利もあるのに、本人は感激しているらしい。人が良すぎる、使用人気質、などの説明も考えられるものの、彼女と16年間少してきて、その人となりをそれなりに理解しているつもりの自分そうではないと思う。そもそもルーシーさんがこちらに来た理由に、母上はお手伝いさんを一人欲しがっているのもあるものの、なによりも母上の好むイギリス系の趣味に詳しく、本格的な英国式の料理、園芸、お洋服の仕立てまでができるからだ。つまり、ルーシーさんはこの家の使用人であると同時に、母上の趣味仲間でもあったわけだ。そんな彼女は母上との深い交流から、母上の本質を見て来た。だからこそ彼女は言う。「来る時はただ前の奥様の恩返しとばかりに考えていたけれど、これが更なる借りになりました。私と奥様を出会わせたことで、前の奥様にもっと感謝しなければならないからです。」と彼女は語り、母上との巡り合いを幸運に考えているようである。ここでルーシーさんの例を出す理由は他でもない、彼女はいわゆる常識人だからである。ヴィクトリアンについて詳しいのも職業柄の理由であり、趣味の人間ではない。彼女が母上について、趣味のために経済的な要素を一切顧みない金銭感覚を否定するものの、それ以外の気質はすべて心底から評価している。また、母上のような人間だからこそ金銭感覚がああでなければならない、あれはあれで完結しているとも認めている。すなわち、母上の偉大さは私のみの主観的な観測結果ではないということである。またはた、彼女のような堅実な人間の保証があってこそ、私は迷いことなく、母上のような人をメンタルヘルスと称し、つまりキチガイと認識し差別を通している自称常識人たちを蔑むことができるのだ。
されど、社会的に理解されない立場に置かれている母上であるが、私は憐れむ気持ちで見たことはない。右に書いたような事実すべては母上は重々ご存じの上で些細な事であると断じられ、悩みの種にすら値しないと思われるからである。母上を大切にしたい、親孝行をしたいような考えはない。母上はいつも余裕で、強い立場におられて、私の心配など余計にしか思えないからである。母上に対して抱えている気持ちは、失望させたら見放されるのという恐怖でほかならない。それだけ、母上の機嫌を取るという課題は私にとって大切である。
また、父上についてだが、何年か一度こちらに顔を出す程度で、知っているのは外観と科学研究のお仕事をされているぐらいである。それでも、父上の威厳はとてつもないものだった。2メートル程の長身にして、広くて頑丈そうな背中は山そのものだった。小柄でいつもレースとフリルのパラソルを差している母上と並んだら、親子と勘違いされてもおかしくない。そして、父上が屈んで母上と向かい合うようなシーンを油絵に書いたら、あの名作「少女と巨人」そのものである。それほどお似合いで、様になるお二人である。だからこそ、私はむじろ自分がこの二人の本当の息子であって欲しくないのである。あのお二人が、あんなことを経て、私が生まれたなんて信じたくないのである。私こそが、あのきよらかで神々しい絵にも世俗的な影がある事実の証だと考えたら、つらいのだ。
宝ヶ池に引っ越して来たらいきなり、母上を研究所に連れて行くと父上は言い出した。母上は反対しなかった。あれほど愛していたお人形さんたちと、お洋服と、紅茶カップを全部家に残して、父上について行った。父上に問い詰めたかった。母上に何をしたいと。けれど、できなかった。感情を見せた父上は一度も見たことはないが、あんな人と本気で向かい合うと思うと、やはり弱まるのである。それに、差し出がましい真似をして母上を怒らせるのも怖かったのだ。あのお二人がお決めになったことならきっと何かしらの意味があるのだろう。けれどもやはり母上には今までのご自身を否定して欲しくなかったのだ。そのためにもルーシーと二人で母上の愛するお人形さんたちを守らなければならないと誓ったのだった。そして、12歳から私が母上に代わって、撮り始めたお人形さんの写真も続けたいと思った。母上が帰って来るときに、お姉様方は寂しい思いをしなかったことの証である写真を見せたかったのである。
これが、風間貴久と対面した時の僕の家庭的な事情だった。母上のドールはやはり彼女の残してくださったカメラで撮った方がいいと思った。しかし、ヒメの写真はどうなのだ?という問題である。
また、私という人間の性格を築き上げた源もここにあるため、今一度お浚いをしておきたい。私が高校までに周りの同年齢層をよく思わなかったのは母上の影響にほかならない。右に書いたように、母上のような客観的に優れている人種を色眼鏡つきで見る、無知の証とも知らずに母上を蔑んだ彼らは哀れに見えた。今となってその意見は些か偏っているように思わなくもないが、結論はあながち間違ってはいない。ここで1つだけお断り置きたいことは、私は彼らを見下したことでナルシスティックな気分になれたことは一瞬もなかったという事実である。それどころか、母上のような本当の天才が身の回りにおられるからこそ、自分の凡庸さを知ることができ、学んだのは劣等感ばかりである。教わって、練習して、象っても象っても似ても似つかず。超えるどころか足元にも及ばなかった。母上は自分の味が大切だと言われたが、それはきっと天才にしか許されない発言で、平凡な自分には自分の味など即ち間違いであるとしか思えてならなかったのである。だから、母上は私の誇りと同時に、不安の根源でもあった。彼女との繋がりを、私は血縁と戸籍でしか確認できなかった。それでは彼女のなんたるかを受け継ぐものとして失格ではないかという不安は更に私を苛まれる。その苦しみから逃れせめての安心感を得るため、私は自分にできる僅か1つだけの、母上「ぽく」できる行動を、とり続けて来たのである。即ち、母上のお人形たちの写真を撮ることである。
周りの愚か者より悟ったところで意味はないのだ。90%の人間より優れていたらエリートと呼ばれるが、99.9999%の人間より優れている「奇跡、伝説、英雄」と呼ばれるような人種にならなれば入れない領域はやはりあった。それは母上の世界であり、風間貴久の世界であり、ヒメの世界である。
2033年5月6日
厳選した20枚の写真作品を風間先輩に見せた。すべては僕の得意とする分野、母上のお人形さんと接写で撮ったお花やサイズの小さい人造物などである。そして風間先輩に要望に応じ、僕がもっとも評価している何枚かの母上の写真をデータで現像し直して持って来た。プリントアウトされた母上の写真を手にしたら思わず感心した。10年間の月日が流れたのに写真からはまるで感じなく、「古い写真」のイメージはしなかった。やはりこのカメラはまだ暫く退役させなくていいと確信した瞬間でもある。そして、風間先輩の評価は僕の自己評価とそれほど変わらなかった。単純にカメラの機能についての理解や実験しながら積み重ねて来た撮影経験で言えば、僕の最近の写真はすでに母上を超える勢いがあるものの、母上の撮ったドールの方が可愛い。理由はおそらく、構図、角度、背景と服装などを考える時のセンス、枯れることなくアイデアが出て来る想像力と、それを支える撮影専門以外の知識の豊かさにある。というのが風間先輩の意見で、頷けない点など何一つなかった。むしろ僕は自らの認識を有力の先輩に認められたことで安心した。ただの自惚れではなかったと。
それから、僕は特に動くものを撮るのが苦手ということから、まずは領域を広げて人間のポートレイトを練習しようと勧められた。しかし、僕が今まで人間を撮らなかったのはモデルがなかった事情もある。母上に向かってカメラを構える気にはとてもなれないし、ルーシーさんもモデルになって欲しいと聞かれたら困るだろう。その状況は今も少しも変わっていない。とはいえ、私の抱える些細な事情など風間先輩にしてみればどうということはないらしく、電話一つで西ノ宮は喜んで協力して来た。撮るのが見習いの僕であることに文句をこぼされたものの、西ノ宮の場合は本心ではないのだろう。それは言葉そのもの以外の、表情・仕草・口調などのところから伝わって来るのが西ノ宮のキャラの有り難さと言えよう。人間が相手と会話する時に、30%は言葉の内容を聞くのに対して70%は相手の顔を見るという説をどこかの心理学関連の報道で読んだ時に眉唾だと思ったものの、あるいは西ノ宮のようなタイプと接していたらそうなるのだろう。
モデルは私服を持参しなかったため、スタジオに用意されてある衣装を彼女に選んでもらい、背景も彼女の希望に沿うようにした。本当は僕が選んだ方がよかったのではないかと風間先輩に聞いたら、相手次第で接し方を変え、要望を実現させつつ自らのセンスに取り込んで行くコミニケーション能力もポートレイト撮影に於いて欠かせないない技術だそうだ。それに、僕のレベルなら現役女子にセンスを学んだ方がいいと指摘された時自らの出すぎた要望を恥じ入った。であるからして、西ノ宮に自由に好きなポーズを取ってもらい、ベストショットを決めるべくしてひたすら構図と角度を変えつつ連写を繰り返していた。
下校時間になったら西ノ宮に帰ってもらい、僕は風間先輩の指示通りに部室に隠れてレタッチ作業を続けた。下校時間無視はこのサークルの伝統であるらしい。ルーシーさんには帰りが遅くなると夕食は外で済ますと連絡した。そして、時の針が10時半に回った時に2人共作業がおちついたため、いい頃合いと見込んで我々も退室した。風間先輩の確保した裏ルートで校舎を出、帰宅した。
ベッドに横たわってスタンドライトを消そうとしたところ、一匹のボールペンの先ほど小さいクモがベッドの端へ走ったと思ったら飛び降りて行くのを見た。飛び降りた時8つの足を広げたスタイルは人間の動作を連想させられ、イキモノの仕組みの面白さを感じた。カメラを手に持っていたらよかったと思った。そこで荻原博士がこの間公表された新しい研究成果を思い出した。肉眼カメラという技術が実現できたそうだ。神経コントロール技術の派生研究として、網膜と脳が繋ぐ神経を刹那の間に外付けのハードディスクに繋げることによって、画像の神経データを取り出すことが可能である。その上に解析作業を加え現像したら、カメラの変わりに写真が出せるわけである。解析技術は今のところ未だに画質の高い写真を復元できないけれど、上手くいくなら手持ちカメラの終焉を描くことになるのではないかと期待されている。一方で、盗撮犯罪の制御が難しくなる状況を予想し、技術の実用化に異議を唱えた論客にたいして荻原博士は「そもそも我々に、記させて恐ろしいような行いがあるべきだろうか。ならば間違ったのは記した側なのか、記す道具なのか、記される側ではあるまいか。」というように論文の中に現存の倫理観に対して疑問を投げ出した。結果的にこの論文は今までに大多数の人間に信頼されてきた荻原博士に、「非完全去勢手術」を押す学派のようにマッドサイエンティスト的な気質が見え始めたと危惧される風向きを作り出す直接のきっかけとなった。僕は博士の言論が間違ったとは思わない。隠すから恥ずかしいのだ。間違ったのは人間のそんな弱さに違いない。カメラであるはずがないのだ。
波瀾もなく特に注意すべき点もないこの日の日記を持って、この記録の冒頭部分を締めたいと思う。プロローグには特に私とヒメ以外の6つの登場人物、荻原敏光、四谷嶺二・風間貴久・大石、西ノ宮・母上の行ってきた事実について書き記した。これからヒメを重点にして書いて行く時に彼らが登場する際に、彼らはどんな人だったのかは、あるいはどんな事実をしたのかをその都度思い出してもらうために、この際に頭に入れて欲しいのである。彼らの思惑は一人の傍観者にすぎない私、尚且つヒメに対するように研究して来たわけでもないとなっては、計り知れまい。けれども、彼らの行って来た事実は確かであり、私の中に形成した彼らについてのイメージをこのようにお見せしたように、ヒメが彼らに対して持つイメージもある程度の推測が可能なわけだ。それはヒメの行動の理由を推し量る時に使える材料と成り得る。この日の日記を選んだ理由も、今までの記録では不足に思えた3人についての補足になるからだ。