第九十九話:目撃
弱い自分をこれ程嫌だと思ったことはない。
「……」
千歳は学校から帰宅して自室に到着すると、鞄を投げ捨てて自身はベッドに身を任せた。今日久し振りに学校へ行ったのだ。行かなきゃ良かった、と千歳は後悔して止まない。見てはいけないものを、運悪く目撃してしまったのだ。我ながらタイミングの悪さを思い知る。
「ッ!」
目の裏に焼き付いて離れない映像。椿と瑶子さんが抱き合っているシーン。とても絵になっていた。忘れられない。
「千歳殿、いるのかな?」
いきなり松波の声が部屋の外でした。千歳は涙が出ていた訳ではない目を擦り、ノソリと身を起こした。
「……いる。どうしたの?」
ひょこりと部屋から顔を出した。無表情にならないように努めながら。
「もうすぐ夕飯の時間だと伝えに来たんだ」
「わざわざ松波が来てくれなくても良かったのに」
「時間を持て余しているんだよ。それにわしは居候の身ですからな」
ふんわり笑う松波は普段と全く変わりがない。千歳は、この人も悲しみにうちひしがれたりするのだろうか、と不思議に思う。苦しみを持たない人間なんている筈がないのに、だ。
「ありがとう。着替えたら直ぐ行くわ」
上手く笑えてたかどうかなんて、自分では分からない。しかし千歳には少し自信があった。昔から感情を隠すのに慣れっこなのだ。
食事で見る顔触れは辰爾、葉月、千歳、松波の四人が基本である。母親である葉月に気を遣って、千歳は殆ど口を開かない。辰爾も元々よく喋る方ではないし、松波も雰囲気を読んだのか、ただ黙々と食べるのみなのでとても静かな食事となる。そんな時、花水木の使用人が千歳に客が来た、と伝えた。そしてそれが椿だということも。松波は少し千歳を見たが、しかし止めることはしなかった。
屋敷の門に寄り掛かり、椿は立っていた。椿は好んでこの屋敷の敷地内に入ろうとはしない。私はそれに気付いているけれど、敢えて口にしない。
「どうしたのよ、いきなり」
「いや、別に」
「用もないのに来るなんて珍しいわね」
「……」
沈黙が流れる。許婚を解消しよう、そう伝えてから一度も会っていなかった。久し振りなのだ。
「私に言いたいことがあるんでしょ? そうじゃなきゃ椿が家に来る訳ないもの。花水木家から出たいんだもんね!」
「可愛くないなぁ、お前は」
その一言に頭がカァッとなる。分かってる、私は瑶子さんと違って可愛くなんてない。意地っ張りだし、口が悪いし、すぐ卑屈になるし、根暗だし、欠点を取り上げたらキリがない。だけど、だけど今、それを言われたら、苦しい。
「しっ、失礼しちゃうわね。どうせ私は可愛くないわよ」
「まぁお前の言う通りだよ。今日は話があって来た」
「何?」
椿は真っ直ぐ私のことを見た。目を逸らしたい、でも逸らせない。昔から椿のこの目が好きだった。
「俺、やっぱりお前との約束を破れない」
「……やく、そく?」
「もう覚えてないかもしれないけどな。でも覚えてなかろうが関係ないんだ。俺は約束を守るよ」
「そ、う」
そう言った後、椿はクルッと向きを変えて帰って行った。私はただ後ろ姿を見ているだけだ。何も出来ない。どこまでも意気地なしなのだ。