第九十七話:気分転換
鶯朱雀は、ぼおっと机に向かっていた。頭の中は目まぐるしく回転しているのに、傍から見るとその姿はただ睨んでいるようにしか見えない。深く、深く考える程、朱雀の眉間の皺は深くなって行った。
考え込んで、煮詰まってしまった時つい足を運んでしまう場所がある。完全に無意識の領域だ。朱雀はただまっすぐそこへ向かった。
「何でいる?」
周りを雑木林に囲まれた、寂れたコンクリートの建物。自分と小さな女の子しか知らない筈の場所に人影が在った。
「……ザク、そっか、貴方だったんですね」
小さく蹲る少女は顔だけ朱雀の方に向けた。小さく笑った後直ぐに、顔を埋める。
「今頃気付いたのか。花水木の救世主とあろう者が、鈍いんだなあ」
「救世主、じゃありません。貧乏神よ」
ぷっと朱雀は噴き出した。それに気付いたのか、ジロリと睨む。朱雀はすまん、と半笑いの顔で謝った。
「貧乏神? 疫病神じゃあないのか?」
「!」
自分の間違いに気付いたのか、頬を少し紅く染めた。朱雀は未だに笑っている。
「いつまで笑ってるんですか、ちょっと言い間違えただけでしょう?」
「いやいや、神妙な顔をしてたのでね。言い間違いに受けちまったんだよ」
「失礼ね」
ボソリと呟くその声が朱雀に届いたかどうか、分からない。しかし言われた本人の表情は柔らかい。
「しかし、お前がまたここに来るなんてな。何か悩みでもあるのか」
「……家に帰りたくないだけです」
「理由は何年経っても一緒、という訳か」
朱雀は苦笑しながら、蹲る彼女の頭をグシャリと撫でた。彼女は少し不満そうな顔をしているが、特に文句を言うことはない。
「そう言う貴方は?」
「俺ァ、頭ん中がパンクしそうになったんで気分転換よ」
そう言いながら、朱雀は隣にしゃがみ込む。チラリとこちらを伺う気配はあったが、敢えて気にしないことにした。
「鶯雛子のこと?」
「……嫌になるぜ。田舎の噂話位、情報が回るのが早い」
「随分前から知ってたわ。うちの古堤は、優秀だから」
「身に染みて感じる」
朱雀はハァ、と大きな溜め息を吐いた。
「……怪我、大丈夫ですか」
ボソリと尋ねる声がした。朱雀はそれを聞いて、クスリと笑った。
「何?」
「いや、俺達は敵同士じゃあなかったか?」
「ここは中立地帯よ」
「ほお、便利な場所があったもんだ」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。どちらも相手を見ることはない。ただ周りをジッと見つめる。
「大丈夫だ。いや、まだ痛むんだがな。これくらい、お前の痛みに比べたら何てことないだろう?」
「……私はそんな、大層な人間じゃないもの」
「そうだな。だから」
朱雀はスクッと立ち上がった。そして穏やかな目をして、彼女を見る。
「泣いちまえ、我慢しても仕方ねェさ。都合のいいことに、ここにはお前一人しか居ない。良かったな」
そう言うと、朱雀は反対方向に歩き出した。怪我のせいか、少し動きが鈍い。
「あ、そうだ」
振り返ると不思議そうにこちらを見る顔があった。
「お前、じゃ呼び止めるのが難しい。何て呼べばいい?」
「……千歳」
「そうか、それでは千歳、御機嫌よう」
朱雀はニヤリとしてそう言うと、ゆっくり姿を消した。




