第八十一話:出逢
『寂しい』と彼女は確かに言った。
誰がアイツに、誰の記憶にも残らないように死ね、と言ったんだ。
俺には全てが、アイツの勘違いにしか思えない。なのに、
どうして俺はこんなに苦しいんだろう。
「なァ、俺、どうすればいいんだろう?」
「お前らしくない発言だな」
俺の質問に、松波は苦笑いしかながら答えた。普段の彼ならこんな顔をしないだろう。松波も先の一件を知っているのだ。
「前は、アイツがどれだけ拒否しようが無視を決めようと思ってたんだ」
「そうだな」
「……俺から手放せたら、どんなに楽か」
松波は目を見開いた。それきり黙る。俺も何も言わなかった。
「俺もアイツも頑固になってるんだろうな」
「椿。千歳殿を」
「分かってるよ、分かってる。俺もどうかしてきたのかな」
松波に相談しても、困らせてしまうだけだということは分かっている。けれど誰かに相談せずにはいられなかった。羅水にこんな話をしても馬鹿にされるだけだろうし、辰爾さんは遠慮して俺の願いを聞き入れてくれるだろう。それじゃ駄目だ。だって、俺の中で答えはもう出ている。千歳を捨てられない、これはただ約束を守るという理由だけじゃない。
「椿」
松波は俺の頭にポンと手を置いて、ニコリと笑った後その場を去った。何故かホッとして、涙が出そうになった。
千歳と初めて会った日、彼女は俺に聞いた。
「私のこと、怖くないの?」
母さんから忌児がどういうものか聞いていたし、俺には次があるから大丈夫だと言い聞かされていたから、別段千歳との婚約を嫌だとは思わなかった。第一、許婚の意味をあまり理解していなかった。その時は怖くもなかった。
「怖いわけ、ないじゃないか」
俺は何ともなしに、そう答えた。千歳の顔がパアッと明るくなったのを覚えている。
「椿君、私の結婚相手なんでしょ?」
「うん」
「それなら、私のこと、大好きだよね!結婚するんだもんね!」
「そうだな」
「そっか! そっか!」
千歳は嬉しそうに何度も呟いていた。俺はその姿をただ見ていた。とても冷静に。
「それじゃあ、ずっと一緒だね! 約束だよ」
「ああ」
その時はただの軽い約束だった。俺は考えなしに頷いていたし、絶対に守ろうと思っていた訳でもなかった。
しかしその日、俺は見せつけられたのだ。忌児というものを……。