第七十四話:覚悟
鶯朱雀の一件があってから、花水木家の屋敷内も騒がしくなった。誰もが、いつ襲われるか分からない、という恐怖を覚えるようになったのだ。そんな中、羅水は千歳の部屋に来ていた。
「千歳さま、どうでしたか? 灯になられた春日井さまは」
そう話し掛けられて、千歳は少し苦笑する。そういう反応が返ってくることは、羅水も始めから分かっていた。
「うん、何かやりにくかった。分かってたこと、だけどね」
羅水は返事を返さない。千歳は何か言って貰えるのを待っているようだったが、暫くして諦めたのか話し続けた。
「もしかしたら、雅は私の助けなんて必要としてないのかも、しれない。気配だって少しずつ無くなっていたし」
「春日井さまは覚悟を決めたんだと思います」
羅水は珍しく千歳の目を見ずに言った。
「覚悟?」
「ええ。灯としての、覚悟を」
「それは……鶯家の為に命を懸けるということ、ね?」
「そう、とも言えます。しかし違うと言えば少し違う」
千歳は不思議そうに首を傾げる。羅水は優しく目を細める。
「もう後戻りは出来ない、という覚悟です」
「もう後悔しないということね」
「はい。その覚悟が出来て、春日井さまは強くなった」
ふう、と千歳が溜め息をついた。目を伏せている。羅水は苦笑した。
「困ったものね、私が先を越されるなんて。その覚悟は私には無い」
「そうなんですか?」
「……うん」
面白そうに尋ねる羅水を恨めしそうに千歳は見た。羅水は相変わらず楽しんでいる。
「いつも後悔する。雅をこの世界に連れ込んだことも、椿を自由にさせてあげられないことも、松波に甘えてばかりなことも、兄さんに冷たくしてしまうことも、それと」
千歳はジッと羅水の目を見る。珍しく羅水の方がたじろいでしまう。
「羅水を早くに大人にしてしまったことも」
「千歳さま?」
羅水は目を見開いて言った。羅水にとって、思いも寄らない発言だったのだ。千歳は少し困った顔になる。羅水の表情に戸惑ったのだ。
「え、えっと、その、羅水にいつも気を遣わせて、いけないと思ってるの」
少し曖昧な表現となってしまった。しかし羅水はジッと聞いている。
「私、昔から羅水に我儘ばっかり言って来たから……だから、羅水が早くに大人になっちゃったんだと思って」
「それは違います、千歳さま」
やっと羅水がニコリと笑った。千歳は少し安堵する。羅水は千歳の側に近付いて来た。
「僕は、自ら望んで大人になりました。決して千歳さまのせいじゃありません」
「そう、なの?」
「はい。春日井さまと同じ様に決心したんです、もう二度と後悔しないと」
千歳は黙った。そして少し考えてから、羅水の方を見て怖々と言う。
「もう後悔することは、無い?」
「いいえ、ありますよ。しかしそれで終わりでは無くなりました。失敗をしたら終わりじゃない、僕はそれを良い方向にむける責任がある」
「羅水らしい」
「そうですか?」
千歳はクスリと笑った。羅水もそれにつられてニコリと笑った。
「でも、私も決めなきゃいけないわね。覚悟を」
「焦らなくてもいいですよ。千歳さまのペースで構わないでしょう?」
「そうかな」
「そうですよ」
千歳は困ったような、嬉しそうな笑みを浮かべた。羅水は珍しく微笑むと、一例して部屋から姿を消した。