第七十一話:姉
「朱雀さま?」
目を見開いて、一点を睨んでいる朱雀に雅は声を掛ける。しかし朱雀からの返事は無かった。
「お前は……誰だ」
いつになく低い声で朱雀は問い質す。雅は思わず肩をビクつかせた。ゆっくり朱雀の見る方を覗くと、そこには一人の女性が立っていた。
「もう私の顔を忘れてしまったの?」
サラサラの長い綺麗な髪を撫で付けながら、女は言った。しかし表情は全く悲しそうではない。朱雀の顔は更に険しくなる。
「……死んだ筈だ」
「ザクが殺した?」
女は面白そうに小首を傾げる。クスクスと笑い声を漏らす。朱雀の目は更に開かれた。
「お前は、誰だ」
「分かっている癖に。フフ、雛子。鶯雛子、貴方の姉じゃない」
「雛子さま!?」
雅が驚きの声を上げる。朱雀は雅を一瞥する。雅は朱雀の様子が尋常ではないことを察し、立ち上がってその場を去った。朱雀はハァと息をつく。
「ねぇ、ザク。どうして昔みたいに“お姉ちゃん”って呼んでくれないの?」
雛子は朱雀の肩に手を置き、囁いた。朱雀はその手を拒否する。
「お前が本当に姉貴なら、そう呼ぶさ。だがお前は鶯雛子じゃねェ。もう一度聞く。お前は誰だ?」
「相変わらず頭が固いんだから。どうして、生きてた、と考えられないの?」
「俺は確かに確認した。生きていたなんて、有り得ない」
「ある人に助けて貰ったのよ」
朱雀の顔が歪む。一方、雛子はニコニコとしている。
「誰に?」
「さぁ? 覚えてないわ」
「何故忘れる。出任せなんだろう」
「本当よ。疑り深いんだから」
雛子は髪を指先でいじくりながら、口を尖らせる。
「……青柳は、鶯雛子を人質に取っていると言っていた」
「ええ。ずっと青柳に居たんだもの」
「それなら、何故今ここにいる」
「青柳から逃げて来たの」
ニコリと微笑む。そしてゆっくり縁側に座り込んだ。朱雀は上から雛子を見下ろす格好となった。
「逃げて来た、だと? どうして今までそうしなかった」
「手助けしてくれる人が居たんだもの。だから出れたの」
「それは誰だ?」
「知らない。ずっと地下で独りだったのよ、青柳の者かどうかも分からないわ」
雛子の話は、朱雀の理解出来る範疇を超えていた。彼の記憶が正しければ、鶯雛子は死んでいる。青柳が雛子を人質に取ったと聞いた時は、これを上手く利用しようと画策した。しかしこれはそんなにうまい話では無かったようだ。
「信じてくれた?」
「俺がそう簡単に信じると思ってるのか」
「もう! 可愛くないわね!」
ガサリと草むらから音がした。バッと朱雀は振り返る。音のした方を向く。
「……お前、餌にされたな」
朱雀の声が低く響いた。