第七十話:恩人
朱雀は屋敷の縁側に大の字になって寝そべっていた。天候が良く、うとうととしている。
「朱雀さま」
小さく自らの名を呼ぶ声を、朱雀は聞き逃すことはなかった。むくりと起き上がり、周りをキョロキョロと伺う。長い髪は跡が付いたのか、ボサボサとあちこちに跳ねている。
「なんだ、雅か」
そう言ってから、再び寝転んだ。雅はゆっくり朱雀に近寄る。
「どうした」
朱雀は目だけを雅の方へ向けた。雅が上から覗き込む形となる。
「朱雀さま、どうして私をここに呼んで下さったんですか?」
雅が淡々と、しかし恐る恐る聞いた。朱雀は怪訝そうな顔付きになった。そして身体を起こす。
「そりゃまた、いきなりだな。どこぞの馬鹿にあらぬ事を吹き込まれたか」
朱雀は自信に満ちた顔でニヤリと笑った。思い当たる節のある雅は、一気に赤面する。それを見て朱雀はケラケラ笑った。
「安心しろ、別にお前を捕って喰おうなんて誰も思ってねェさ」
「じゃあ何で私を?昔、少しお世話になっただけじゃありませんか!」
必死に尋ねる雅を見てから、朱雀はフッと表情を和らげた。そして懐から煙草を取り出し、火を点ける。
「お前の親父達に世話になったもんでな」
「でも、朱雀さまには会ったことが無いと、父も母も言ってました」
「そうだな。俺も記憶にねえ」
「じゃあ……」
「鶯の為に尽くしてくれた奴は皆、恩人だ。俺ァ全員に恩返ししなきゃいけねぇんだよ」
そして朱雀は口を閉じた。雅が朱雀の顔を伺うと、哀しそうな表情をしていた。雅は今までに主のそんな顔を見たことは無かった。
「朱雀さま、申し訳ありません」
雅はペコリと頭を下げた。なかなか頭を上げない。朱雀は大きい溜め息をついた。
「雅。堅苦しいのはナシだと言っただろうが」
「いいんです!」
「何がいいんだよ」
プッと朱雀は噴き出した。しかし気にせず雅は続けた。
「勝手に勘違いしてた私が悪いんです!」
「お前……何だか訳が分からなくなってるぜ?」
「私ももう分からないです!」
雅が投げやりにそう言うと、朱雀はお腹を抱えてゲラゲラと笑い始めた。キョトンとしている雅を見て、更に笑った。雅はただその様子を見ていることしか出来なかった。
「面白いな、雅は」
「そ、そんなこと無いです」
「まぁいいさ。とにかく、余分な心配はしなくて良い」
朱雀は立ち上がって、雅の頭をポンと叩く。雅が顔をしかめながら上を見上げると、そこには顔色を変えた朱雀が居た。