第六十九話:依頼
藤馬は屋敷の離れの個室で本を読んでいた。するとそこへ一人の男が現われた。
「久し振りやな、藤馬さん」
真っ黒な服に包まれた関西弁の男、彼の正体は勿論古堤だった。藤馬専用である。名は霧緒という。年は20代後半といったところだ。霧緒の存在を頭目である羅水は知っているが、実際の関わりは薄い。まず藤馬自身が花水木家と距離を置いているからだ。加えて、霧緒は調査の為に各地を飛び回る古堤のため、標準語を話すことがない程に花水木家へ戻ることが少なかった。
「で? 何の用やのん? 珍しいやないか、藤馬さんから呼び付けるなんて」
「そうかな? まぁいいさ、今回はどうも気になって仕方無いことがあってね」
「気になること?」
藤馬はああ、と言って頭をポリポリと掻いた。忘れてしまったことを、どうも恥じているようだ。それに気付いたのか、霧緒がニヤリと笑う。
「あかんやんか、藤馬さん。やっぱもう年なんやね」
「そう言われると思ったさ。いや、でも実際そうなのだ。大切なことなんだけどなあ」
「困った時の古堤頼みやな! ほな、さっさと聞きましょか!」
元は辰爾や千歳と同じ土地の生まれの筈なのに、霧緒は元調査先の関西の影響を多大に受けていた。勿論、言葉遣いだけではない。
「鶯雛子を調べて欲しいんだ」
藤馬の口から出た名前を聞いて、霧緒が一気に嫌そうな顔をした。
「鶯かいな。コリャ面倒なこと引き受けてもうた」
思わず本音が出てしまった。主に文句を言う古堤も珍しい。しかし藤馬はニコニコと笑っているだけだった。
「調べものは得意だろう?」
「そや、得意や。得意やけどもなァ」
霧緒は急に渋り出した。あーとか、うーとか唸り出す。その姿を藤馬は大人しく見守っている。そしてとうとう霧緒は心を決めた。
「……しゃあない!受けたろやないか!!」
「ありがとう。やはり頼りになるな」
「ほんま、調子ええわぁ」
霧緒はハア、と溜め息をついた。しかし霧緒が鶯の調査を嫌がるのにも理由があった。鶯家の灯は、古堤とは違い、主人の完全なる支配下にはいない。時に自らの意志で動くことがある。そのため厄介なのだ。
「あ、霧緒、お前にもう一つ」
「なんやのん?」
「暫く此所にとどまりなさい。羅水達に会うといい」
霧緒の表情が固まる。口もポカンと開いたままだ。
「本気なん……藤馬さん」
「勿論。迷惑かな?」
「いや、有り難いけどな。何や恥かしいわあ」
焦りながら言う霧緒を、藤馬はクスクスと笑った。しかし優しくそうするように念を押した。
「申し訳ないんだが、お前の為だけじゃないんだよ。今の花水木はとにかく人が要る」
「分かっとる。よーし、久し振りに羅水坊っちゃんをいじめるとするかあ!」
グイと背伸びをして、霧緒は大きく笑った。そして次の瞬間にはもう姿は無かった。