第五十七話:藤馬
鶯家を訪ねてから一週間が経った。花水木家は依然として、新しい次の一手を見付けることが出来なかった。そんな状況の中、花水木家次期当主の辰爾は一人、離れに向かって歩いていた。その顔は真剣そのものだ。
辰爾は離れに着くと、一息ついた。まるで闘いに行く前のように。そして戸を叩く。
「失礼します。辰爾で御座います」
返事は無い。もう一度、同じように繰り返すが結果は同じだった。不審に思って戸を開けると、部屋には誰も居なかった。
「父さん?」
「辰爾、こっちだよ」
辰爾が声のする方を振り返ると草むらの中ににこやかに笑う藤馬の姿があった。辰爾は父の呑気な様子に頭を抱えた。
「父さん、余り無茶をしないで下さいよ」
そう言って手を差し出すと、藤馬はその手を取って立ち上がった。
「無茶なもんか。僕はまだまだ若い」
「もう知りませんよ」
はぁ、とわざと溜め息をついてやる。藤馬は面白そうに笑っているだけだ。
「母さんに聞きました。お話とは?」
「ああ、もういいんだ。僕が言っても、お前が考えを変えるとは思わないしね。何より僕は辰爾と同意見だ」
「……面倒なことをしないで下さい」
「葉月に逆らう方が面倒じゃないか」
それもそうだと言わんばかりに、辰爾は大きく頷いた。
「鶯家については災難だったね。まさか青柳に先を越されるとは」
「はい。彼等は人質を取られていて、上手く動けないのです」
「人質?」
藤馬が不思議そうな顔をして尋ねた。彼は散歩によって情報を手に入れるが、それにも限界があるのだ。
「当主、鶯朱雀の姉である雛子です」
「鶯雛子……どこかで聞いた名だな」
藤馬は顎に手を置きながら、ジッと考え始めた。辰爾は静かに父親が口を開くのを待っている。
「すまない、思い出したらまた連絡しよう」
「はい」
「しかしお前と話すのも久し振りだな」
「三ヵ月振りです」
「そんなにもなるのか」
藤馬は少し困ったように笑った。辰爾は辰爾で悲しそうに父親を見た。
「どうした?」
「一度、千歳に会ってやってくれませんか」
「……」
「あの娘は父親の想い出が余りにも少ない」
「もう何年、会っていないかな」
「千歳が十になって父さんが離れに行ってから、一度も」
「そうか」
二人共黙ってしまった。辰爾は父親のことを口にしない千歳の姿を知っている。千歳は、藤馬が離れで生活しているのは自分に関係している、と感付いている。
「父さん」
「……お前を説得しろと言われたのに、逆に説得されてしまうとはな」
「青柳、そして鶯までも関わって来た今、何が起こるか分かりません。後悔したくないのです」
藤馬は真っ直ぐ、辰爾を見た。辰爾も同じように父親を見る。お互い口は開かない。
「後悔するようなやり方はするんじゃない」
「それは承知してます。争う気はありません」
「分かった、考えておくよ」
辰爾はペコリと頭を下げた。どんなに小さな希望でも、辰爾にとって有り難かった。
「また話そう。これからは話し合いが必要だ」
「はい」
そう言って、辰爾は離れから出た。一人残された藤馬は悲しそうに、部屋へ戻って行った。