第五十五話:人質
「どういうことだ?」
辰爾よりも先に椿が口を開いた。怒りで我を忘れ気味な椿は朱雀に敬語を使うことをしなかった。年が近いのも関係しているだろう。
「昨日、青柳が来た」
「!?」
「来客が続いて困る。ここは鶯家の隠れ家な筈なんだが」
悪態をつく朱雀とは正反対に、千歳達の顔には焦りが浮かんだ。青柳に先を越されたとなれば事態も変化して来るのだ。
「青柳は何と?」
「アイツらはいつも単純明快だ。ウチを潰す気だとハッキリおっしゃったよ」
「貴方は何て答えたの?」
千歳が珍しく口を開いた。朱雀は黙って千歳をジッと見たが、直ぐに違う方を見た。
「お断りだ、と言ってやった」
「……易々と青柳が引き下がる訳が無いな」
「向こうは交換条件を持ち出して来た」
「交換条件?」
ふぅ、と朱雀は煙草の煙を吐き出した。匂いがは室内に充満するように広がる。
「青柳は生粋の悪だな、人質を取ってるんだぜ?」
「ひと、じち?」
千歳の頭の中に不安が過ぎった。もしかしたら雅が人質になったのかもしれない、と。
「何より、やり方が汚い。死んだと信じ込んでいた人間を引き合いに出すなんて」
「それは一体誰なんだ?」
「鶯雛子、俺の姉だ。三年前に行方不明になった。つまりは青柳に監禁されていたんだな」
ハッと朱雀は皮肉って笑う。その瞳には何処か寂しさがあるように見えた。辰爾は複雑な顔をしていて、椿は考え込んでいた。千歳は雅では無かった安心と申し訳なさでいたたまれなくなった。
「おっと、花水木にこれ以上情報を与えてやる義理はねェな。何より俺達は初対面だ。とにかく鶯は青柳に迂闊に手を出せない。言いなりになるしかねえ、今の所はな」
朱雀はクックッと不敵に笑う。衣砂はそんな主人に溜め息をついていた。辰爾達は黙ったままだった。
鶯家からの帰り道、誰も口を開くことは無かった。全員が黙々と歩いていたのみだ。口火を切ったのは羅水だった。
「申し訳ありません。完全に古堤の失態です。青柳に先を越されるなんて……」
羅水は立ち止まって、深く頭を下げた。千歳達も自然と止まる。
「仕方の無いことさ、余り気落ちするのは良くない」
「しかしッ」
「羅水、お互い様だろ?」
珍しく辰爾が意地悪く微笑んだ。羅水は始め驚いた顔をしていたが、次第に苦笑し始めた。千歳と椿は何がなんだか分からない、といった顔をしている。
「鶯が青柳の忠実な家来になるとは思えない。次の手を考えよう」
辰爾は普段より強い調子で言う。朱雀と話し、辰爾にも思う所があったのだ。すると辰爾の隣に居た椿が吐き捨てるように言った。
「でもあの野郎、最高に失礼な奴だった!」
「……あの人、私と何処かで会ったことがあるような顔してた」
「千歳、お前は覚えてるのか?」
「うーん……正直、全然分からない。ただ何となく、初めて会った気はしないの」
千歳は遠くの空を見て、そして黙った。椿もそれ以上追求することはなく、再び静寂が訪れた。