第五十三話:大人
自室で学校の宿題をしていると、いつものように窓に石があたる音を聞いた。一息ついてから、窓の鍵を開けてやると羅水が現われた。普段より畏まった様子に見えるのは気のせいだろうか。
「鶯家との接触の日が決まりました」
ああ、やっぱり。とうとう来てしまった。長く変化の無かった関係が崩れようとしている。それをもたらしたのは自分自身だということはよく分かっている。
「いつ?」
「明後日です」
羅水の声が響く。明後日、早すぎる。何か起こって、青柳に太刀打ち出来る能力が今の私には無いのだ。
「私は、どうすればいいの?」
「辰爾さまの護衛に付いて行って頂きたいのです。他に神林さんにお願いします。早月さんには本家に残って貰うつもりです」
「分かった」
「では、失礼します」
いつもはする雑談も無い程、空気が緊張している。羅水が部屋を出ようとした時、私は彼を呼び止めた。
「お願いがあるの!」
「何でしょう?」
「雅の、近くに居てあげてくれない?」
羅水からの返事は無い。沈黙が流れる。私も口を開くことは出来なかった。
「……千歳さま」
羅水が私の名を、諭すような口調で呼ぶ。私は思わず羅水の方をジッと見てしまう。
「忘れていませんか? 春日井さまは今や鶯の人間です。花水木の人間ではないのです」
「そうだけど」
「鶯家にしてみれば、余計なお世話といった所です。それに彼女はもう灯となった身、自分自身も護れなかったら必要ないのです」
「……ごめん」
「何故謝るのですか?」
「ううん、別に」
私は無理に笑ってみせた。羅水は腑に落ちない顔をしている。羅水にはいつも迷惑を掛けている。年だって私と大して変わりないのに、私が頼りないせいで彼はいつも大人でいなければならない。それが申し訳ない。羅水が部屋を出て行った後、私は溜め息をついた。もっと、もっとしっかりしなければ。
「椿!」
翌日、学校に向かって歩いている椿に千歳は声を掛けた。声に気が付いて、椿は振り向く。
「おはよう」
「おはよう。珍しいな」
「明日、鶯家に行くわよ」
椿が少し驚いた顔をする。そして直ぐに真剣な顔になった。
「……了解」
「いきなりでビックリしたでしょ?」
千歳は意地悪く笑う。椿はフンと鼻を鳴らした。チラリと千歳を見ただけで、違う方を見ていた。
「とうとう終わるんだな」
椿がポツリと呟いた。しかし千歳にはしっかりと聞こえていた。コクンと頷く。
「当分、平和な生活は出来なさそう」
「だな」
「ホラ見て。帰宅部の私の手に、どうしてマメがあるのよ」
手のひらを見せながら、千歳は口を尖らせて言う。椿は噴き出した。
「いいんじゃないか? 謎めいてて」
「良くないわ、もう」
ブツブツ文句を言いながら、千歳は先に進んだ。椿は苦笑しながら、その後に続く。