第四十話:塗絵
羅水視点です!
僕が千歳さまに初めて会った時のことを思い出すと、どうしても苦々しい気持ちになる。あの頃自分はまだまだ未熟で、周りを見ることなんて到底出来なかった。しかし、彼女を護ろう、と心に決めるには丁度いい青さだったのかもしれない。
「初めまして。羅水と申します」
初めて見た辰爾さまは幼さを残す少年であるものの、やはり美しかった。辰爾さまの髪は、自分の着ている黒い服よりも黒かったのをよく覚えている。
「初めまして」
辰爾さまは今よりもずっと無表情に、笑った。その時は葉月さまの命令で余り辰爾さまと話すことが出来なかった。僕には彼女は周りの全ての人を、辰爾さまに害をなすものだと考えているように感じられた。それは今でも変わらない。
次に千歳さまの部屋に案内された。屋敷の奥の、少し暗い部屋。陽の当たる暖かい辰爾の部屋とは全然違う。
「失礼します」
静かに戸を開けると、そこには独りの少女が居た。寝転がって、塗絵をしている。クレヨンの持ち方がおかしい。彼女に持ち方を教えてくれる人がいなかったのだろうか。
「だぁれ?」
まだあどけない、可愛らしい声で少女は尋ねた。しかし振り返らない。
「古堤羅水でございます、千歳さま」
「こつつみらすい? へぇ」
あの時の千歳さまは五つになる位だった。発音も余りよくない。僕は何とか少女とコミュニケーションを取ろうと、彼女に静かに近付いた。
「千歳さまの家来です」
「わたしの? 兄さんのけらいじゃないの?」
「辰爾さまの家来でもあります。でも千歳さまの家来でもあるのです」
「ふぅん」
気のない返事に思わず苦笑する。五歳の少女には興味のないことなのだろう。千歳さまはまだ塗絵をしている。
「塗絵、ですね。お好きなんですか?」
「べつに。だってこのお部屋は暗いから、いろんな色がみたいでしょう?」
「そう、ですか」
幼い少女の抱える闇が垣間見えるような言葉だった。まだ他人事だった僕にはただ可哀相という同情しかなかったけれど。
「らすいは何色がすき?」
千歳さまは首を傾げて、笑った。
「黒です」
「兄さんのかみの毛の色もくろだよ。まっくろ! すごくキレイ」
「そうですね」
「兄さんとおんなじ兄妹なのに、わたしのかみの毛のいろ、へんなの。母さんも気持ちわるいっていうの」
彼女は急にショボンとなる。僕も忌児が花水木家内で毛嫌いされているのを知っていた。その名が表している通りだ。
「だからこのかみの毛、きらいなの」
「……僕は綺麗だと思いますよ」
その時はただ可哀相な少女を慰めてあげようと思っただけだった。けれどその後の彼女の様子は僕の予想を大いに裏切った。
「……うそ。うそ! うそうそうそ!!」
「え?」
「うそはついちゃ、いけないんだよ!」
千歳さまの目には涙が浮かんでいた。僕は驚きで、上手く反応が出来なかった。
「だって、みんな、みんな気持ちわるいって……わたしがちかづくの、いやがるもん!かみの毛の色がいやなんじゃなくて、わたしがいやだってこと、しってるもん!」
始めから最後まで千歳さまが何を言っているのか、ハッキリと聞き取ることは出来なかった。しかし僕は泣き出した千歳さまを、何も出来ずに見ていただけだったのだ。
次の日、千歳さまは何も無かったかのようにケロリとしていた。忘れた訳ではないのだろう、千歳さまは忘れた振りが上手かっただけだ。それに気付いて、僕の中にある感情が生まれたのをよく覚えている。それを何と呼ぶのか分からないけれど、確かに今でも存在するのだ。
珍しく羅水と辰爾の絡みがありました。次は再び新しい登場人物が出て来ます!辰爾と千歳の外出編をお楽しみに!