第三十八話:本心
松波は花水木家の廊下でのんびりとしていた。さすがにゴロリと寝転がる訳にはいかないので、柱にもたれかかる。廊下は忙しなく行き交う人々で一杯だ。松波は彼らをボーッと見ていた。最近自分は休み過ぎている、また旅に出ようかなんて考えながら。すると行き交う人々の中に珍しい人を見つけた。満湖だ。彼女は古堤の一員で、滅多に花水木家に姿を現すことは無い。
「満湖! 久し振りじゃないか」
声を掛けられて満湖が振り返る。そしてゲッという顔になる。満湖は松波が得意ではない。
「……早月さま。何の御用ですか?」
「用はないぞ。ただ久し振りに満湖と話したいだけだ」
「はあ。でも私、羅水さまに呼ばれてるんですが」
「安心しろ、わしが上手く言っておいてやろう」
「しかし」
「ホラ、おいで」
ニコニコと笑みを浮かべる松波を見て、満湖は内心嫌々ながらも隣へ座った。松波は満湖の本音に気付く様子がない。
「青柳の次男坊の件で活躍したそうだなぁ」
「活躍だなんて。私はただ自分の役目を果たしただけです」
満湖の言葉に松波は不満を漏らした。それはそれに自然に。
「羅水もいつもそう言う。その言い方は好きじゃないな」
突然の怒った口調に満湖は少し驚いた。松波は常に柔和だったからだ。はぁ、と返事することしか出来ない。
「嫌々やっているように聞こえる」
「そう、ですか?」
「そうだ。いや、すまない、もしかしたら本当に嫌なのかもしれないがな」
松波は困ったような顔をして笑った。満湖はただそれを見ている。
「……いえ、羅水さまも私も自らの意志で使えさせて貰っています」
そうかそうか、と何度も言いながら嬉しそうに笑う松波を見て、満湖はどうも不思議な気分になった。自分の口から出た台詞にも驚きだ。古堤が神林家や早月家と同じように扱われないのを不満に思っていたのに。
「そういえば面白い話を聞いたな。満湖は千歳殿と仲が悪いと」
含み笑いしながら松波が言った。途端に満湖の表情が不機嫌になる。
「誰がそんな下らないこと!」
「はっはっはっ! 秘密だ」
「……余り気に入らないだけです」
ボソリと呟く。松波は満湖を見た。花水木家の家系を侮辱したことを咎められるかと思ったが、そうではなかった。
「ほぉ。どの辺りが、だ?」
「……そんなことまで早月さまに言わなきゃいけないんですか?」
「教えてくれたっていいだろう?」
ニコニコと笑う松波に、満湖は逆らうことが出来なかった。
「……自分だけ不幸だと思っている所、です。あんなに周りから大切にされているのに」
「そうか」
次に満湖が松波を見ると、彼は庭を見ていた。その横顔は何処か寂しげだ。
「それは千歳殿が自分自身で気付かなければならないなぁ」
「……」
「それにしても、満湖は千歳殿と仲良しなんだな」
「はぁ!?」
神妙な空気が一変する。満湖は思わず大きな声をあげてしまった。しかも相当情けない声だ。
「なんっ、で!」
「よく分かってるじゃないか、千歳殿のこと」
「知りません! 千歳さまのことなんか!」
「そうか?」
「……ちょっと二人共、廊下で人の名前を連呼するのは止めて頂戴」
いきなりの声に満湖は振り返る。そこには千歳がいた。焦り過ぎて、その気配にも気付かなかった。松波を見ると呑気に笑っている。彼はどうやら気付いていたようだ。満湖は自分の未熟さを悔やんだ。
「いえ、これは、その」
「何よ、悪口だった?」
千歳は口を尖らせて言う。満湖は内心ドキッとする。当たっている。
「違う違う。満湖が千歳殿との仲を見せつけてきたんだよ」
「はぁ?」
満湖は開いた口が塞がらない。千歳も不思議そうな顔をしている。二人は仲良しというには接点がなさすぎるのだ。
「まぁ、いいわ。さっき和菓子を頂いたの。皆で食べない?」
「それはいい! 満湖も食べるだろ?」
「でも私は羅水さまに呼ばれているので……」
「じゃあ羅水も呼べばいいわ」
千歳は何ともなしにサラリと言った。千歳や松波には、満湖が気にするような主人と家来という概念はないのだ。満湖は呆れたように、クスッと笑った。しかし先を歩いていた二人は、それに気付くことは無かった。
異色コンビ、松波と満湖の話でした。次は椿が主役の話です。新しい登場人物も出ます!もしよかったら感想・評価、宜しくお願いします!