第百二十八話:代
ザワザワと風が吹く。満湖はそれを身体で感じながら、季節が変わるのを知った。風が肌に冷たく当たるので、満湖は急ぎ足で道場に向かった。もう、すぐそこに秋が来ている。
「遅れてすみません、千歳さま」
道場には一足先に千歳が到着していた。長めの髪を一つに括っている。胴着もなかなか様になっていた。
「ううん、さっき着いたばっかりよ」
ニコリと笑う千歳の顔を見て、変わったな、と満湖は正直に思う。そして、変わりつつあるのだと訂正した。
「もうすぐ学校が始まりますね」
「うん。それにしてもこの夏は本当に何もなかったわね。それまでに色々有り過ぎたから」
今年の夏はそれ以前に比べて、大変平穏な日々であった。青柳も動かず、鶯も大した行動を起こさなかった。その静けさが逆に不審だと考える者もいた。
「学生らしい夏休みをお過ごしになれば良かったのに。私と稽古ばかりして、全然遊びに行ってないじゃないですか」
「私は忌児なんだから。家でやることがたくさんあるのよ」
「こんな時にだけ“忌児”だなんて!」
ふふ、と千歳は嫌な笑いをして満湖に背を向けた。二人の仲も少しずつ良くなって来ているのだ。満湖は不服そうに稽古の準備をし始めた。
「満湖、私は強くなってるかな?」
千歳は満湖の顔を見ずに尋ねた。満湖の方は少し千歳を見やったが、直ぐに顔を背けた。
「千歳さまは筋がいいから。それに先代に鍛えられただけあります。私が教えられることなんて、そんなにないのですからね」
「先生、本当は私に暗殺の仕方を教えたかったのよ。だけど余りに私がセンスがなくて、それが出来なかったの」
満湖はジッと千歳を見た。千歳は優しい目付きでニコリと微笑む。
「……代わりに私に教えてくれ、ということですか?」
「満湖は物分かりが良くていいわね」
千歳が楽しそうに言ったのに対して、満湖の表情は暗くなった。僅かに不安を抱えた表情だった。千歳はそれに気付いていない振りをしている。
「千歳さまは、その力を何に使うつもりなのですか?」
「勿論、花水木のために。それが忌児の存在理由、でしょ?」
「決意ですか? それとも諦めているんですか?」
「決意、よ」
それっきり満湖は黙ってしまった。満湖には千歳が何をしようとしているのか、分かるような気がした。しかしそれを羅水に伝えるべきなのか判断出来ない。知らない振りをするべきなのか分からない。
花水木の忌児は、独りで争いに蹴りを付けるつもりなのだ。