第百十五話:干菓子
最近、独りでいる時間が増えた気がする。それは私自身が望んでそうしていることであり、実は私の意思とは関係無く陥っている状況であることを私は知っている。けれどこの状況を打開しようとは思わないのだ。私の周りには親切なお人好しが沢山いて、昔から私に優しくしてくれたから、忌児であるにも関わらず独りになることはなかった。けれどそれももうお終いだ。優しい人達におんぶに抱っこな甘い考えは捨てるべきだ。そう、私は一人で生きていけるようにならなければいけない。
千歳は学校から帰宅すると着替えて、直ぐに道場へ向かった。そして戦闘の腕を磨く。ここ数週間、そんな毎日が続いている。今日もいつもと同じように稽古をしていると、珍しい来客があった。辰爾だ。道場に足を運ぶことは滅多にない。
「頑張ってるね、千歳」
辰爾はフワリと笑って、千歳が立ち回っている側に腰掛けた。何も言わずに千歳の動きを見ている。
「そう、でもない、よ」
一つ一つ型を作りながら千歳は言った。そうかな、と辰爾は首を傾げた。
「……兄さんの方が、頑張ってる、じゃない」
「そうかな? そんなことないさ」
「次期当主としての、仕事だけの、ことじゃないよ。兄さん、最近、すごく元気に、なった」
千歳が稽古の手をを止めることなく話すので、途切れ途切れになった言葉を辰爾は耳を凝らして聞いた。
「そうかな?」
「そう、よ」
千歳は幼い頃からいつ死んでもおかしくないような程か弱い兄の姿を見て来た。だから今、辰爾が一人で自由に屋敷内を動き回る姿が信じられないのである。
「……そうか」
「それよりも、どうしたの?」
尋ねながらも、千歳は辰爾を見ていない。まともに会話するのを避けているように見える。辰爾は苦々しく笑った。
「千歳、少し手を休めて私と話さないか。最近食事もさっさと済ませてしまうから、千歳と全然話せていない」
「そう?」
「そうだよ。ほら、お干菓子も持って来たんだ」
そう言って、薔薇の形をしたお干菓子を見せた。紅、白とどちらも可愛らしい。
「それで、私を釣る、つもり?」
「ああ。昔から千歳はお干菓子が大好きだったじゃないか」
チラ、と千歳は兄を垣間見た。嬉しそうにニコニコ笑っている。それを見て千歳は悔しそうに、でも何処か楽しそうに動かしていた手を止めた。そして辰爾の隣に腰を降ろした。
「紅と白、どちらがいい?」
「……紅」
千歳は恥ずかしそうに言う。幼い頃と変わらない妹の姿を見て、辰爾は微笑ましい気持ちになる。
「最近、千歳は元気がないな」
「そう?」
「人と関わるのを避けているように見える」
「……」
「良くないな、それは」
辰爾はまるで独り言のように呟いた。多分、辰爾自身にも身に覚えのあることなのだろう。千歳は黙ってお干菓子を囓っている。紅い薔薇の花びらが一枚一枚剥される。
「……一人じゃ何も解決出来ない。そうだろう? それを私は千歳や皆に教えて貰った」
辰爾の力強い言葉を聞いて、千歳はポカンと口を開けた。ジッと兄を不思議なものを見るように見つめる。
「兄さんは本当に変わったのね。勿論、良い意味で」
そう言う千歳の瞳は何処か寂しそうだった。