第百十話:権力
「薬史さんは本当に人が悪い。焼尽を自分の弟に託すなんて、なかなか出来ることじゃない。某のような凡人には無理ですな」
草人が去ったのを確認した後、凩は茶を啜りながら言った。途端に薬史の機嫌が悪くなった。
「言いたいことがあるのなら、はっきり言ってくれないか?」
「いいえ、別に」
そう言う凩の顔がニヤついているので薬史は納得がいかない。
「焼尽に喰われようが、アイツには元々己など無いだろう」
「ありますよ、草人お坊ちゃまにも立派な自我が。現にお坊ちゃまは春日井雅さんを殺せなかった」
「……俺が冷酷な人間だと言いたいのか?」
薬史の声が室内に低く響く。自信家の心に不安がよぎっているのを、凩は心底おかしく思った。らしくないのだ。
「いいえ、某はそれが一家の主たる姿だと思ってますよ」
「今更じゃないか。何よりもまず、記憶を消すのを止めるべきだった」
「後悔、しているのですか? 元々あれは現当主が決めたもの、薬史さんに覆す力なんてないでしょう。無駄なことです」
薬史を慰めるような、優しい言葉を掛けているくせに凩の表情は、薬史の台詞が信じられないといった感じに呆れていた。自分らしくないことを言っているのは充分理解している薬史は、凩の態度を見、少し恥じた。
「……僕にもまだ人間の心が残っていた、というだけの話だ。安心してよ、直ぐに消してやるから」
次は何も言わなかった。ただ薬史の眼をジッと見ているだけだ。
「草人だけじゃない。いつまで経っても親父殿の言いなりなんだな、僕も」
凩は自分ではなく、父親の命を受けて行動することを薬史は知っている。全てを決める権利を与えられているのに、それらを実行する術を持たないのだ。