第百八話:純粋
花水木千歳は馬鹿な娘だ。
何よりも現実逃避と被害妄想を得意としている。
彼女は弱過ぎる、身も心も。
だから簡単にやられてしまうのだ。
俺なんかに。
久し振りの千歳との時間は、相変わらず淡々と過ぎて行った。昔からそうなのだ。自分が話すだけで、千歳はただ頷くだけだ。時々彼女のか細い身体が震える。弱過ぎる、俺は溜め息を吐く。
「忌児は花水木家の道具だ」
何度この台詞を千歳に言っただろうか。何度同じことを言われても、彼女の顔は可哀相な程歪む。俺自身、心底そう思っている訳じゃない。けれど事実なのだ。知らないより知っていた方がマシだ、と俺は思う。
「遊良君、私はどうすればいいの? どうすれば花水木の道具になりきれるの?」
「少しの欲も持たないことだ。勿論、希望も」
「それでも私は“人間”なの?」
「言ったじゃないか、君は“道具”だ。“人間”じゃない」
幼い頃、母親から人を傷付けるような人になってはいけない、とよく教えられた。分かっているのに、分かっているのに俺は人を傷付ける。
「遊良は千歳ちゃんを傷付けることで自分を護ってるんだな」
俺が千歳と別れた後、一人屋敷の蔵の側で一息ついていると、何処からともなく馨がやって来た。馨は何故か俺の隣にしゃがみ込んだ。
「いきなり失礼なことを言うな」
「本当にそう思うんだ。そう見えるから」
馨はフン、と鼻を鳴らしてこちらを見る。その眼から僅かな同情が汲み取れた。
「……花水木家の生贄に言われたくないな」
「そういう言い方するな、オレに失礼だ。それに……」
馨は言葉を続けようとしたが、少し考えて口を閉じた。言い掛けて、途中で止められるのは気持ち悪い。
「それに?」
「……。お前に怒られるから言わない」
「君を怒る体力なんか、俺は持ち合わせていない」
「オレは確かに犠牲者の一人なのかもしれない、そう思ってないけどね。だけどオレは遊良も犠牲者だと思うよ」
「何故?」
「遊良は仁科の犠牲者だ。いや、古き良き時代の花水木家のかな」
多分、俺の顔がいつになく嫌そうに見えたのだろう。馨が少し焦ったように見える。
「……そう、言われるのは気分が良くないな」
「だろ? 千歳ちゃんはいつもそんな気持ちなんだ。少しは優しくしてあげろよ」
馨は純粋で、それだから犠牲になるのだが、その純粋さが痛い。俺には痛過ぎる。千歳と同じように接することが昔から出来なかった。今はもっとやりにくい。
「幸せだな、千歳は」
嫌味で言ってやる。馨に好かれていることが千歳にとって少なからず負担になっていることは、重々承知している。
「だろ?」
馨は嫌味に気付いてか気付かないでか、ニコリと笑った。
ああ、俺にもコイツ程の純粋さがあれば、未来は変わるかもしれない。
しかしそれはもう遅い。