第百五話:書道
藤馬は机いっぱいに紙を広げ、書道をしていた。離れで独りで暮らすようになってから彼の趣味は一気に幅を広げた。何か楽しみを見つけなければ、とてもつまらない生活になってしまうからだ。藤馬は一段落をつけた後、急にニコリと笑った。
「霧緒」
静かに名を呼ぶと、本人は口を尖らせながら姿を現した。
「なんや、バレとったんかい」
「気を利かせてくれたんだね、ありがとう」
藤馬はゆっくりと机の上を片付け始めた。すると霧緒はそれを制止した。
「そんな時間掛ける気はないで。早速始めようかと思ってるしな」
「お前はせっかちだなあ」
小言を言いながらも、藤馬はゆっくりと姿勢を正した。
「やはりそうだったか。だから僕も名前を知っていたんだね」
藤馬は霧緒から渡された報告書を眺めながら、静かに呟いた。報告書は整った文字でビッシリ書かれている。
「それにしても、まだ紅い眼を持つ人間がおったなんてなぁ」
「忌児も存在する世の中なんだ。居てもおかしくないよ」
藤馬が苦笑するのを見て、霧緒は口をつぐんだ。
「青柳の次期当主も不思議な力を持つと聞いているよ。……三家は本当に呪われているな」
「昔は羨ましがられた力やったのになぁ。いつから疎んじられるようになってまったんやろ」
はぁ、と霧緒はわざとらしく溜め息を吐いた。藤馬はトントンと報告書の乱れを直すと、スッと小さな巾着袋を霧緒に差し出した。
「……なんやの?」
「報酬だよ」
「……」
霧緒はそれを受け取って、ゆっくり開き始めた。藤馬はその様子を楽しそうに見ている。
「あ」
巾着袋の中味は、小さな鍵だった。霧緒は不思議そうにそれを取り出した。
「開かずの間の鍵だよ。開けるかどうかはお前次第だ。別に羅水に渡したって文句は言わないよ」
「何で急に」
「僕も黙って見ていられなくなった、ということだね」
藤馬は意地悪に笑った。それを見て霧緒は複雑な顔をして、そして呆れたように微笑んだ。霧緒は鍵をポケットの中に突っ込んだ。
「じゃあ有り難く受け取っとくわ」
「ああ」
「藤馬さんはほんま変わったお人やなぁ」
霧緒はそう呟くと、姿を消した。藤馬は暫くぼおっとしていたが、再び書道に夢中になった。