第十話:許婚
昔から父も母も兄に付きっきりだった。兄の身体は余り強くないし、何よりも花水木の次期当主だ。私は両親の頭の隅の存在でしかなかった。
そんな私もやっと気に掛けて貰えたのだ、と喜んだのが許婚の話が持ち込まれた時だ。しかしそれも束の間の喜びでしかなった。
教室の中は安穏とした日常を生きる学生達で溢れている。彼等は刀で切り付けられたことも、流れる血を見て吐き気が止まらないことも、そんなこと当たり前なのだが、経験したことは無いだろう。そんな人間ばかりの中で、私は異様だと思う。幾ら“普通”を装っても、何処か彼等とは違う。又は、そう、自分自身を納得させたい。
「ねェ、花水木さんって神林君と付き合ってるの?」
椿はモテる。顔もかっこいいし、勉強も運動も出来る。その上、生徒会メンバーだ。
「ううん」
「良かった! あのさ、今度私に紹介してくれない?」
「……うん、いいよ」
たまに話し掛けてくる女の子達は、大抵同じことを聞く。それに私は飽きずに答える。そうすることで“普通”の女の子になりたいのだ。なれると思っている。
「神林君」
椿が生徒会室で書類の整理をしていると、背後から声がした。しかし椿はそれに気付いていない。
「神林君ってば!」
「え? あ、すんません! 気付かなかった」
振り返ると、そこには生徒会長の白夏瑶子が居た。生徒会のマドンナだ。
「いつも遅くまでご苦労様」
笑うとクシャリとなる顔が可愛らしかった。椿は椅子から立ち上がる。
「いえ、先輩こそ。どうしたんスか? こんな時間に」
「うん、ちょっと立ち寄っただけよ」
「へぇ」
椿は再び座り、作業を続けた。瑶子は椿の後ろからそれを見ていた。
「瑶子せんぱーい!! あっ、すいません!」
ガラリと生徒会室に入って来たのは、一年生だった。彼女は済まなさそうに、ペコリと頭を下げる。
「大丈夫よ。どうかした?」
「はい。先生が瑶子先輩を呼んでます!」
「そう。わざわざありがとうね」
瑶子は優しく笑った。一年生もそれにつられて、少し照れくさそうに笑う。
「じゃあ、また明日」
「はい」
椿に挨拶をすると、瑶子と一年生は並んで部屋から出て行った。
「好きなんでしょ」
椿一人しかいない筈の部屋の中で、急に声がした。感情のこもっていない声だ。
「生徒会長のこと」
椿が声の方を振り向くと、そこには千歳が居た。いつの間にか、千歳は机の上に座り足をブラブラと揺らしている。
「千歳……」
「いいよ」
「は?」
「もういいよ」
千歳は椿の方を見ることは無かった。椿は訳が分からない、といった表情をしている。
「付き合っちゃえば?」
「……何言ってるんだよ」
「……うん」
タッと地面に足を着けて、千歳はゆっくりとドアの方へ向かった。そして振り返ると、ヒラヒラと手を振る。
「じゃね!」
椿はそれをただ黙って見ていた。彼女はいつもそうなのだ。
話はまず一段落して、これから一人一人の話に進んで行きたいと思います。よろしければ、評価・感想を今後の参考の為にお願いします!