2.心遣い
月に一度は届いていた手紙は、おじいさんの喜びだった。
しかし、月に一度が2ヶ月に一度になり、連絡が来なくなった。
おじいさんは、毎日郵便受けに手を合わせ、手紙が来ていることを願った。
しかし、北風がおじいさんに吹きつけようと、真夏の太陽が照りつけようと、おじいさんの願いは届けられなかった。
「きっと、忙しいんだよ。料理人になる修行は、そりゃあ、大変なんだ。ワシが若い頃は、殴られ蹴られして、覚えたもんだ」
手紙の入っていないポストを閉めると、おじいさんは辛そうにミーコに言った。
「先輩の味を、鍋を洗うときに舐めて覚えるんだよ。そうして、こっそりと勉強するんだ。料理人になるのは、本当に大変なんだよ。だからな、手紙が来ないのは仕方がないんだ」
ミーコはじっと、おじいさんの話を聞いていた。
おじいさんの声を聞き、言葉を心に刻んだ。
「便りがないのは良い便り……。昔の人は……すごいな……」
最後のほうは、声が小さすぎて、ミーコにすら聞こえなかった。
それでも、孫の雄大を待ち、ひたすら料理を作り続けた。
「いい匂いだねぇ」
暖簾を上げると、一番にやってくるのは、近所に住む一人暮らしの老人だ。
おじいさんとは長い付き合いらしく、毎日のように夕飯を食べに来るのだ。
「ここの飯を食わんと、一日が終わらんのさ」
老人は、ニッコリ笑うと厨房の椅子の上で、静かに寝ているミーコを見た。
「ミーコが来てから、もう8年か」
「早いもんだね」
おじいさんは、振り返ってミーコを見た。
ミーコはうっすらと目を開けると、物憂げに二人を見た。
「もう、ミーコのいないこのボロ食堂なんて、想像できないな」
老人は、一杯のコップ酒を飲みながら、ひゃっひゃっひゃと笑う。
「確かにボロだが、あんたにボロと言われちゃ、情けないわぃ」
おじいさんも楽しそうに笑う。
料理を作り、お客に食べてもらう。
おじいさんにとって、それが何よも嬉しいらしい。一日の中で、一番楽しそうに笑うのだ。
「ミーコは小さい頃から、この椅子の上で、ずっとワシを見てきている。いわば、ワシの女房みたいなもんだ」
「違いない! しかし、こんな老いぼれの女房にされたんじゃ可哀相だ。せめて、娘ぐらいにしてやれや」
「あぁ、そりゃそうだな」
温かい店に、ちらほらと客が入ってくる。
決して大繁盛というわけではないが、誰もが居心地よく時間を楽しめる店なのだ。
「今日のお勧めはなんだぃ?」
一日の仕事を終え、汗と埃で真っ黒になっている男性は、3日おきに顔を出してくれる。
必ず、同じ席に座り、お勧め料理を聞いてくるのだ。
「そうだなぁ、今日はあんたの好きな炊き込みご飯を作ったけど、食べるかい?」
「オレのために作ってくれたのか? 嬉しいねぇ」
「今日は、誕生日だろ? そのぐらいしか、ワシには祝ってやれないからな」
『うちに来る客は、客と言うより家族なんだ。誕生日くらい、祝ってやりたいじゃないか。だから、客の好きなものを作るんだよ』
おじいさんは、ミーコにそう言って聞かせてきた。
この人は天ぷら、あの人は煮物。
大したことはできないが、せめて店に来たときぐらいは、生まれてきたことを喜べるように、というのがおじいさんの心遣いだった。
そうして、店はボロいながらも、みんなの安らぎの場所として、守り続けてこれたのだ。
ミーコはそんなおじいさんを見守りながら、いつも思っていた。
―――私にできることは何だろう。
私が人間になれたら、きっとおじいさんを助けてあげるのに。