第8話 義昭公
◇=場面変更
おれたちは、どうにか近江膳所まで逃げ延びれた。
「ともかく、上様の御舎弟様は御無事か…?」
幽斎さんのぼそっと発した言葉に皆が頷く。
上様の弟は、後の足利義昭だ。歴史的にみても無事なはずだ。
「幕臣の方々とお見受けいたしまする。」
おれたちの前に男があらわれた。皆、一斉に身構える。
「いや、それがし、怪しいものではござりませぬ。近江甲賀の和田惟政様の使者にございまする」
「和田殿のか!」
京極さんがうれしそうに声をあげた。和田惟政は。形式上は幕臣であり、近江甲賀の豪族だ。
「それで、和田殿がなんと?」
「はっ。わが主の書状をご覧くだされ」
そういう使者顔はかなりうれしそうだ。
その手紙を読んでいる幽斎さんが、震えている。
そして、叫んだ。
「みな、喜べ!和田殿が、御舎弟様の覚慶様を匿っておられるそうだ!」
おれたちが、はしゃぎまわったのは、言うまでもないだろう。
◇
甲賀郡の和田さんの屋敷にきた。すでに、覚慶様は還俗し、名を義昭と改めたらしい。
きた。足利幕府最後の将軍、通称、お手紙将軍義昭。ほんと、どんなんか気になる。うん。ほんと
「よくぞ。ご無事で。上様がお待ちでございます。」
部屋の前には、和田さんがいた。そうか。もう上様は、義輝公じゃなくて、義昭公なんだ。なんかおれは寂しいような、よくわからない、なんともいえない気持ちになった。
「お入りくだされ」
和田さんが襖をあけ、おれたちは部屋に入っていった。
「おお。よく来てくれた。」
前にいるのは、長烏帽をつけ紋付き袴をはき、着物を着ている、丸顔で、耳がでかい人がいた。
これが、足利義昭公か…
なにか、柔和な印象を受ける。
「わしが足利義昭だ。すまぬが、それぞれ名を名のってくれまいか?」
みんな、それぞれ名を名乗っている。おれも名乗ろうとしたところ、
「いやお主は知っておる。山田太郎左衛門信勝であろう?」
と、義昭公がいったもんだから、おれは驚いて
「は。お見知りおきくださり、恐悦至極、しかし何故?」
と、慌てて平伏した。
「ハッハッハ。畿内では将軍足利義栄の名で、そなたの首に1万石の懸賞がかかっておるわ。」
「えー!なんで!?」
おれはもっと驚いた。なんでおれに!?
「信勝。それはお主が一番槍だからだろう。」
佑光が、ふんと鼻を鳴らした。
「ハッハッハ。おそらく松永、三好は、幕府に巣くう奸臣を倒したとしているようですね。だからこんな莫大な懸賞を」
と、冷静に光秀。
「よいか?皆」
そういや、義昭公の話の途中だと思いだし、おれは平伏する。
「わしは、義栄を倒す。だが、それは室町のためではない。」
「と、申されると?」
幽斎さんが聞く。
「義栄を担ぐ三好、松永は私利私欲で兄上を弑逆した。これは許せん。だがわしはそれと同じくこの室町も許せん」
義昭公はさらに言う。
「この日ノ本を戦乱にまきこむ幕府などいらん。わしは、わしの代で室町に幕をひく。そしてしかるべき人間にわしは将軍職を譲る。」
…え?義昭公ってこんな物わかりがいい人だったっけ?このお方も光秀と同じく想像とちがうがな。
「みな、それでいいと思うならわしについてきてくれ」
おれは、決意する。
「はっ。拙者は義輝公より戦国の世を託されました。まさに上様のお考えこそ、泰平への近道かと」
「おれも山田と同意見ですぜ。」
「それがしらは上様についていくだけです。」
幽斎さんが、頷きながら、言う。
「左様か。礼をいう。」
義昭公は満足げに頷く。
「されば」
光秀が一歩進み出る。
「そのしかるべきお方のため、少しでも天下の一部を平定すべきかと。」
「それはそうだな。しかし、どうやって?」
「は。まず、われらは越前朝倉に参りましょう。」
「朝倉ですか?しかし上洛するとはとても思えませんが?」
佑光が、疑問を言う。おれもそう思う。史実でも朝倉は動かなかったし。
「いえ、朝倉殿には上洛ではなく、若狭攻めを頼むのです。若狭武田の兵力は二千程度。朝倉で攻めれば踏み潰せるでしょう。戦の終盤、上様の名で降伏を促すのです。武田は受けるでしょう。そこで」
光秀の右目が鈍く光った気がした。
「降伏を受けたのは足利だ、と強弁し若狭を横領するのです。」
まさに朝倉をいいように使った黒い策だ。この光秀は常識人でもなんでもねえ。
「しかし、そのようにうまくいくかの?」
和田さんが聞く。
「ええ。いくでしょう。朝倉なんぞ知恵はありませんからね」
おれは、光秀さんの顔を見た。
謀反人ってこんなもんなんかな…
「よし、いこう。越前へ。みな、ついてきてくれ」
義昭公は立ち上がった。