第57話 諏方四郎勝頼
【元亀四年 山田大隅守信勝】
「ひけえ!!」
おれが大声で退却を指示する。くそ。
浜手を進軍していたおれたちを襲ったのは、濁流だった。海の上流にて雑賀衆はごみをためて、水かさをあげて、それをおれたちにぶつけてきた。
そこで混乱そているところをゲリラが散々に叩く。
「わが殿、佐久間右衛尉が殿を務める!山田家はおひきあれ!」
退き佐久間の異名をとるほど、殿に優れた佐久間さんだ。任せてよう。
「撤収だ!聞こえぬか!」
くそ。雑賀孫市め。
浜手方面は仕切り直しだ。
【元亀四年 雑賀孫市】
「あんた、すごいじゃない!誉めてあげるわ!」
当然のように、りんがいるが冷静に考えるとおかしい。
「今日の獲物は森三左衛門か」
山手の林の中に潜み、織田の武将の森三左衛門を狙撃し、撃ち取った。
上総介は無理だったか。
それが、残念だ。
浜手も上手くいったようだな……
10万の大軍を退かせたと言っても高揚感はない。
ただ、おれはいつも通りこの火縄銃の引き金を引くだけだ。
ふっと、銃口から出ている煙を吹いた。
「じゃあな」
おれは、フラフラと歩き始める。
「ちょっと、どこいくの!?」
「顕如さんに呼ばれてんだよ」
おれの雇い主の顕如さん。まあ、飯でも食わせてもらおうかな。
おれはううーんと伸びをした。
◇
「おおよう来たな!」
飯くださーいと言おうとしたが、下を見ると、白米に、沢庵、味噌汁があった。
「おお、ごちそう。いただきます」
「わしは無視かい」
いや、無視とかじゃなくて、優先順位の問題ですよ。
「顕如さん、おかわり」
「あいよ」
ご飯をよそってくれている顕如さんを見て、おれはすごいなと思う。顕如さんほどの身分になれば、他の人にご飯をよそうぐらいさせればいいのに、自分でする。
これが、万人の信者に慕われる理由かな。
おれは、味噌汁を啜る。
「孫市。ようやったで」
「それほどでも」
白米を掻き込む。
「で、聞いてくれ。孫市。あんたらはちょっと静かにしてもらいたいんや」
「ん?なんでですか?」
「信長討伐は四郎勝頼公に任す。わしらはそのお手伝いや」
へえ。でも、あんなに信長を救うとか言ってた顕如さんがどうしてだろう?
「前まで、わしと孫一で組んで上総介を滅ぼすで、と仰ってた顕如さんが、どうして?」
せや、とおれを指差す。
「陣代、諏訪四郎勝頼は、銭を理解している
大器やからや」
……銭ねえ。このえいらくせんとかいう謎のものを理解するってどういうことだ?
「まあ、理解していないおれにはさっぱり」
「無知を取り繕わないのは、評価すっで」
でも、とおれは疑念を持つ。それを言う。
「でも、当主じゃなくて、陣代でしょ?それに諏方の血を受け継ぐ諏方の当主。これに家臣が協力きますかね?」
はあ、と大きなため息を顕如さんがつく。
「アホな癖に、勘はいいねんなあ」
「アホな癖には余計っす」
【元亀四年
織田上総介信長】
「五郎左」
「ご用意でき申した」
額に汗が光る五郎左を見ていると、苦労したことが容易に想像できる。
国友、堺を走り回ったか。
われはゆっくりと五郎左が用意した物―三千丁の火縄銃を見下ろした。
これほどまでの火縄銃を集めるのは目立つ。それ故の紀州攻め。ただ、三左が死んだのは予想外であった。
「五郎左、うぬも武田との合戦に連れていく」
「恐れながら、山田大隅を連れていくご方針はお変わりありませぬか」
われは無言で頷く。たしかに、五郎左の懸念もわかる。本願寺の抑えがいなくなるからだ。だが、
武田に勝つには、やつも必要だ。
われは無言で目を閉じた。
【元亀四年 馬場美濃守信春】
松明の炎が大きい。わしはその熱気を避けるように、勝頼を見る。
相変わらず、無表情だ。
この度の出陣、勝頼の采配で東美濃18城を攻め取った。武功は抜群。
勝頼の目の前に、18城の陥落を知らせる手紙が置いてある。これを勝頼はおもむろに持ち、松明の中に投げ入れた。
バチバチッという音がし、更に松明の炎が大きくなる。
「ほう」
わしは声をあげるが、勝頼は相変わらず、無表情だ。
「わしにとってはなんの意味もない」
ゆらゆらと陽炎の向こうで揺れる勝頼は口を開いた。
なるほど。
勝頼が武田を統率するのに必要なのは、勝つこと。だから、こんな紙がいらないと言うことか。
「わしも、覚悟がついた」
「覚悟?」
大きく頷く。
「そなたらを武威で抑えることのな」




