第51話 雲ひとつない大空
【元亀四年 山田大隅守信勝】
山田軍1万は、村重討伐のため花隈に出陣した。くそ、まだ右手が痛む。槍に、刀は握れるが、ふりづらい。
刀はまだいい。剣道の形であった片手左上段を使えばいいんだし。ただ槍はどうにもならない。今まで馬廻りを伴っての突撃を繰返し、この手で何人もの雑兵を討ち取ってきたが、それも難しくなる。
なんにせよ、今回は戦力でいえば圧倒している。
荒木軍2千。おそらく花隈に籠城だろう。
「策はあるか?」
「……あるといえばある」
どこか、曖昧な物言いに終始している祐光の顔は若干沈んでいるように見える。よし、元気づけるか。
「さすが、お前はおれの張子房だ」
張子房は、古代中国で高祖劉邦を助けた軍師だ。
まあ、この古の聖人と祐光を比べてからかっているんだ。さて、どういう反応をするか。おれは祐光を見ていると
「……高祖は百度の敗戦より這い上がり天下を取った。信勝もこんな些細な失敗にめげるなよ」
祐光はおれの方は見ずに前だけを見据えて言った。
へっ。おれが元気付かされてどうするんだよ。
おれは鼻水を吸った。
【元亀四年 随風】
「どうやら、山田は中指を切ったらしい。それが原因よ」
いや、それだけではないと思うがと考えながら、おれは荒木に言った。
「そんなもので山田に忠誠を誓うものか……」
「さあね」
知るかよ。池田家臣の頭が主君の自己犠牲で感動するような目出度い連中なのかもしれねえし。
「荒木殿、起請文は?」
「本願寺と交わした」
「ばか、アンタじゃねえよ。池田の元家臣にだよ」
だれがあんたと坊主の交わした起請文なんざ興味あるか。あ、そういやおれも坊主だったわ。
随風。ずいふー。かっこいいね。
「いや。交わしていない。が、加増は約束した」
はーん。なるほど。山田は加増を約束したんだな。で、その中指を切り落とした雰囲気と、
その主君の覚悟に心打たれましたっていう、決して加増に目を奪われたからじゃないっていう
逃げ道を作ったのか。
池田の元家臣が反乱。分裂する山田領を荒木軍が征服するっていう目論見は脆くも崩れたことになるな。
松永弾正を唆して山田を挟むか。いや、あいつは
こんな危険な博打は打たないだろう。一度、やつの依頼で仕事をしたが、金払いが悪かったことを覚えている。
一か八かの野戦を挑むか。それとも籠城戦にて策をぬぐらし撃ち取るか。
「山田軍にどう対処する?」
この大原則が決まらないと、どうにもできん。
「籠城」
もう腹は決まっていたのか。まあ、こいつも、ただの一土豪から城主にまで出世しただけのことはあるということか。
しかし。
しかし何故おれはこう山田の首を狙う?
伊賀を滅ぼした一味だからか?いやそうじゃない。
無機質な忍、風間平助から、策を巡らす僧、随風へ。
一の一文字とかいう手抜きな旗印が気に入らなかったんだな。違いねえ。
おれは自分で自分の問いを誤魔化した。
「策を言うぞ。一度しか言わない」
「聞き漏らすほどわしは愚かではないわ」
うん。知ってる。
【元亀四年
山田大隅守信勝】
おれらは大倉山に布陣し、生田の森に茨木殿を布陣させ花隈包囲を完成させた。
「で、策とは?」
「総攻撃か?」
「あほたれ。慶次」
慶次に策なんざないのは決まっている。
「では言うぞ。全軍大手門にのみ攻撃。生田の森の茨木殿も加勢してもらう」
「ぶはははっ!一点突入か!」
「慶次!静かにできんか!」
祐光のラリアットで慶事次が倒れた。なんだこ武闘派は。
「で、さすれば」
さっきの一連の流れをなかったことみたいにして話し始めよったぞ。
「敵は大手門に集中するだろう。で、多羅尾殿率いる忍が搦め手を密かに攻撃し、これを陥落させる」
なるほど。おれらは多羅尾の囮ってわけね。
「多羅尾!頼んだぞ!」
「御意」
よし。いくか。
「茨木殿に使い番を派遣!先鋒は慶次!次鋒は右近!で、後陣はおれと祐光!よし、大倉山を降りるぞ!」
「応!」
一気に慌ただしくなる。そこに使者が入ってきた。
「申し上げます!大手門付近に大物見発見!」
「なに……」
大物見とは、およそ百名前後で行動する偵察兵だ。隠密が基本だ。それが出発地点の大手門で捕捉されるなどおかしい。
つまり罠。
どうするか。
おれは雲ひとつない大空を見上げた。
【元亀四年
随風】
「大物見を捕捉させ、そこを左右から攻撃し、でこれに釣られた他の敵の部隊を荒木殿が出陣し、
壊滅させよ」
「それが策か。随分運任せだな」
「結局、すべては運なんだろ」
ハハハッと笑う荒木を見て、おれはムッとした。
「なにがおかしい?」
「いや、そなたも随分僧らしきことを言うようになったの」
へっ。人間なんざ与えられた役割がすべてなんじゃねえの。荒木、お前だってその鎧兜をひっぺがし、鍬もたせば農民みたいになるんじゃね?
所詮、だれもが道の糞なんだよ。
「へっ。そーかよ」
おれは曖昧な返事だけをここに残した。
【元亀四年
山田大隅守信勝】
「……罠だが、敵は少数。そして策とは恐らく伏兵だろう」
「つまり……」
こいつは結論を言いたくて仕方がないんだ。本当は。
「その場合、茨木殿と右近とわしで大倉山を下り、逆包囲、さすれば大手門より兵が出てくる故、多羅尾殿が搦め手を落とせる。うまくいけば、一日で落とせるぞ」
だがその場合、おれらに被害が出る。それも多大なだ。このおれなんかと長くいただれかを失うかもしれないんだ。
「どうすべきか」
「軍師は策を述べるだけ。どうするかは大将の仕事よ」
ああ。どうしてだろうな。おれは今頃会社で働いているつもりだったのに。
おれは、また空を見上げた。
雲ひとつない大空は見ていて腹立たしい。
その瞬間、ふと頭をよぎった。
ああ、おれは嫉妬しているんじゃねえのか。
この傍若無人にまで輝いている大空に。
ならおれもだれも文句を言わせないように
言えないように、輝けばいいんじゃねえのか。
おれが、大切に思うこいつらのためにも。おれが
眩しいばかりの輝きを放つ必要があるのじゃねえか。
いや、わからない。なにが本当でなにが正解でなにがなにが……
だが、この思いは、おれはだれにも止められない―
おれは采を掲げた。光を反射し鈍い光を放っている。そう。おれの輝きはこいつと一緒でまだまだ鈍い。
「虎穴に入り、虎児を得るぞ。慶次、あの大物見を攻撃致せ。残りは伏兵が出てきたあと、山を下り、かかれ。慶次!死んでも伏兵を城内に逃げさすなよ」
「ああ」
家も、家臣も、寄騎もすべておれのもとで輝やかせてやる。




