第44話 三国同盟
【元亀三年 松田左衛門佐憲秀】
隣国駿河の大規模な内乱。北条家の譜代家老のわしとしては非常にゆゆしき問題だ。
だが、この機に乗じて駿河を奪えば、河東、小田原をつなぐ大規模な利権が生じる。
それに、こちらには、元駿府国主今川治部大輔氏真殿がいるのだ。
「殿、駿府入りのお下知をば」
「ううむ……」
我が殿、北条左京太夫氏康公は、腕を組んで唸っている。
悩むのはわかる。武田を敵に回せば、東に佐竹、西に武田、北に上杉、南に里見という北条包囲網が組まれる。
だが、それでも富国駿河は魅力だ。
「北条殿、お願いがあるのですが」
今川殿が、扇子でぱたぱたと扇ぎながら言う。なんだ?
「この内乱に乗じ、某は今川家を再興いたします。どうか、そのお手伝いを」
「……なんと。争いを好まれぬ今川殿とは思えぬ発言」
殿が驚いているが、わしも驚いた。日がなずっと
蹴鞠や、歌、茶道に凝っている世捨て人同然の今川殿が、お家再興を言い出したのだ。
「拙者はずっと考えておったのです。天命とはなにかを……」
「ほう」
今川殿は続ける。
「我が父は東海一の弓取りと呼ばれてきました。
でも、上総介に首を取られた。なぜか?天命だから」
恨み節のように聞こえなくもないな。
「わしが駿河を叩き出されたのも、天命。しかし、そうなのか?父に流れておった天命は拙者にも流れておる。なら、わしは今川を、今川の天命を知るために」
ぱしっと扇子が閉じられる。
「乱世に身を投じる」
「亡き父君が聞けば、喜びまするな。左衛門佐!」
「はっ!」
「兵6千を率いて駿河に入り、今川家再興の手伝いを致せ!」
「承知!」
元亀三年 4月 北条、今川、駿河侵攻。
【元亀三年 馬場美濃守信春】
「氏真めが……大それた野望を抱きよって」
珍しいな。御屋形様が怒っている。
それもそうか。駿河西部は抑えたものの、駿河東部は今川に悉く〈ことごとく〉なびいたのだから。
それに、此度の上洛も急ぎすぎの感が歪めない。
だから、新領の駿河で大規模な反乱が起こったし、上野でも地侍に、不穏な動きがあると聞く。
これも、浜松崩れを狙ったためか。
「御屋形様。ひとつ意見が」
「なんだ、四郎……」
ほう。寡黙な諏訪四郎勝頼殿が。御屋形様の息子ながら、諏訪家の人質扱いされ、諏訪家をついだ
一門の末席。
「今川家に、領土交換をもちかけなされませ。
富士川より東を武田領、西を今川領と」
ふむ。駿河における領土を反転させるのか。しかしなぜ?
「まてい!それは今川との同盟ということか!四郎!武田に失地はいらず!取り返すのみ」
「落ち着きなされ。彦六郎殿」
すっと、四郎は人差し指をたてた。
「駿河の富とは、河東にあり。故、ここを抑える。しかも駿河の地侍は今川になついている。
これを滅ぼすのは得策にあらず」
「うむ。だが四郎よ。今川が納得するのか」
「はっ。で、今川と通して北条と同盟を結びます。そして、今川には、義昭討伐後の領地配分に、遠江、三河、駿河を提示なされませ」
ほう。しかしわしにも質問がある。
「しかし四郎。なぜ北条と同盟なのだ?」
「小田原と河東の交易は莫大な富を生み出します。畿内では坂本と琵琶湖の交易で明智日向が莫大な利益をあげてるとか。これも馬鹿にはできませぬ」
「しかし、武田の力が……」
「もうよい。彦六郎」
御屋形様が黙らせる。
「その銭で、上野の地侍、飛騨の江馬、姉小路も抑えるな」
「ご彗眼、恐れ入ります」
四郎が平伏する。
【元亀三年
今川治部大輔氏真】
「ようやくだの。備中」
「は、されど……」
「わかっておる。徳川に相対せねばならぬ。気を抜くなというとだろう」
わしは手を振り、家臣の朝比奈備中守泰能に答える。
そうだ。敵は徳川。だが、これを倒せば、三河、遠江、駿河の大大名。父の座に戻れる。
それこそ天命か……?
それはわからない。しかしもうわしは大名なのだ。
善徳寺。
「今川治部大輔氏真にござる」
「お久し振りであるなあ。わしが武田徳栄軒信玄」
「北条左京太夫氏康でござる」
戦国を代表する名称二人を同時に目の前にすると、やはり圧倒される。
「同盟に必要なものは、力と利益。この身で氏真、若輩ながら感じ入りました。なれど」
わしは、一度裏切った信玄を見る。
「今川を信用するよう。天命だけは本物にござる。今現在、浪人が多く我が家中に入っております」
「たしかに。わが北条は関八州の制覇と、河東の交易を活発にするだけでよろしい」
氏康公は、ふん、と鼻を鳴らしてから言った。
「我が武田は、義昭公討伐後、織田領と幕府領をもらいまする。義栄公には二条を」
「今川には駿河、三河、遠江を」
そうだ。必ず、義昭方を倒す。倒せば、相模から摂津までを支配する三国同盟が日ノ本の権を握る。
それが天命か、ちがうのか。
わからないが、ここから今川は動き出す。
わしと、信玄と氏康公は起証文に署名した。




