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許される社会

作者: alphabate

 男の顔は青ざめていた。その目が見つめているのは会社の業務用モニター。彼も開発に携わっていた新型携帯端末の設計資料が表示されていた。この新型携帯端末は発売後、使用者から異常な発熱、膨張、爆発などが報告されており、製品に問題があるのではないかと疑われていた。端末を開発した会社は設計者たちに調査を命じていた。

 男が青ざめたのは設計にミスを見つけたからだ。それも自分の担当した部分に。

 単純なミスだった。しかし影響は甚大だろう。この設計では内部に熱がこもり、異常が発生しても仕方がない。

 これで製品の異常はほぼ男一人が原因になるだろう。製品の回収も必至だ。男は一度深呼吸をし、モニターに映っていた設計資料を一旦閉じ、リフレッシュルームへと向かった。


 自動販売機でコーヒーを買い、イスに腰掛けて蓋を開け、ぐいっとあおる。多少気持ちは落ち着いてきた。

 ……上司に報告をしないでおこうか? そんな考えがよぎる。もし自分のミスだと気付かれなければ、自分の責任を問われないかもしれない。設計に携わったものは無数にいる。たとえ原因不明で製品を回収することになろうとも、その責任は分散されるだろう。他の設計者が男のミスを発見するまでは隠しておけばいいのではないか。

 自己中心的な考え方とはわかっていた。しかし自分のミスを報告するには今回のミスは重大すぎたし、男の人生はあまりにも順風満帆すぎた。妻と息子の顔が浮かぶ。

 男がコーヒー缶を口元に運んだのは何度目だろうか。コーヒーはいつの間にか空になっていた。男は缶を捨てようとゴミ箱に向かう。ぽっかりと空いた丸い穴。その先は真っ暗で見えない。男はため息をつきながら缶をその穴に押しこんだ。


「お話があります」

 仕事場に戻ってすぐ、男は自分のミスを上長に報告した。

 男はミスを隠し通すほどの度胸はなかった。他の従業員の前で、そして家族の前で平然な顔をしていられるとは思えなかった。

 もう、この職場にはいられないかもしれない。いや、職場どころかこの会社にすらいられないかもしれないのではないか。

「よく教えてくれたな。ありがとう。辛かっただろう」

 激怒されると予想していた男にとって、上司の言葉は意外なものだった。


 男がミスを報告して一ヶ月がたった。会社は携帯端末の設計ミスを発表し、回収を行なっていた。それによって会社は少なからぬ損害が予想された。しかし会社へのバッシングはほとんど起こらず、むしろ迅速な対応が評価されることすらあった。

 男が咎められることはほとんどなかった。そのかわり失敗の再発を防ぐ体制作りや従業員の体調管理の見直しが行われることになった。男は携わる製品こそ変わったものの、同じ設計という職場で時間をかけて、無理なく仕事ができる製品・環境があてがわれる事になった。男は失敗が許されることに感謝した。


「コーヒーいかがですか?」

 作業を中断して背伸びをしていた男は声の方を振り向いた。声の主は見かけない顔の女性。違う部署の従業員だろうか? 差し出された右手には缶コーヒー。その先の壁にかけられた時計は男が作業を開始してからかなりの時間が経っていたことを示していた。

「ありがとう。頂きます。財布出すのでちょっと待って下さい」

「お金はいいです。間違ってブラックのもの買ってしまって」

 女性は照れ隠しなのかぎこちなく笑う。男が受け取ったコーヒーには大きく無糖と書いてあった。

 男はそれでは悪いと言って財布から小銭を取り出し、やや無理矢理に女性に握らせた。女性はちょっと迷惑そうな顔をしながらも、最終的には小銭を受け取って、男の部署を出ていった。

 男はその場で缶の蓋を開け、ぐいっとあおる。疲れていたのだろうか、ふっと体の力が抜けるようだった。


「先日お伝えしました缶コーヒーを使った毒殺事件の続報です。本日自首した犯人は、娘に大やけどを負わせた携帯端末の爆発事故の復讐をしたかったと供述しているそうです。こちらについて教授にコメントを頂きたいと思います」

「こうした事件は過去であれば解決まで多大な人員と時間を必要としていたでしょう。しかし過ちを責める社会から、過ちを許す社会へと改革を進めたことで、犯人の自首は飛躍的に増加し、事件が迅速に解決されるようになったと言えます。先日の携帯端末の回収騒動についても、ミスを認めた会社を社会が許すようになったことで、ミスが隠蔽されるようなことは減り、原因究明の迅速化、そして被害者への補償がスムーズに進んだと言えます。そのような背景があるにもかかららず、このような事件に発展してしまうとは残念です。加害者は十分に反省して、社会に復帰して欲しいと思います」


 テレビではニュースのアナウンサーとコメンテイターの会話が繰り広げられていた。女はその画面を正座して見つめている。横に置いていた携帯が鳴った。女はゆっくりと携帯を持ち上げ、通話ボタンを押す。

「こんにちは。保険会社です。ニュースのとおり、ご主人は自殺ではなく、他殺だと判明いたしました。生命保険については先日お渡しした資料の金額が全額振り込まれることとなります。ご登録の口座へのお振込みとなりますが、問題がありましたらご連絡ください。それでは失礼致します」

 女は電話を横に置くと、先日保険会社が残していった資料をもう一度見つめた。そこには包丁やナイフはおろか、彼女の夫を殺したと思われる非合法の毒物を買うのにも十分すぎる金額が記されていた。

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