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夢現物語  作者: 矢口 希
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第十一章 現実

仕事なんてしている場合じゃなかった。

 どうして、どうして忘れてしまってたんだ。佳奈のことを、あんなにも大切な一晩の奇跡を。

 悔やんでももう遅いのはわかっていたが、どうしても悔しかった。忘れないって約束したのに…どうして。

 俺は全速力でかけていた。11月の肌寒い気温の中汗だくになりながら駆けた。間に合ってくれ、その思いだけを胸に。

 病院についたのは職場を出てから10分後だった。俺はそのへんにいた看護師をつかまえて訊いた

「佳奈は、佳奈の手術はどうなったんだ?」

 変な男と思われようがこの際よかった。佳奈の安否だけが知りたかった。

 看護師はちょっと困ったような顔をして

「水ヶ月さんなら術後、他の病院へ搬送されました。今はICUで治療中です。」

「手術は失敗したのか?」

「いいえ、手術自体は成功しました。しかし、水ヶ月さんの体力が手術に持ち堪えられなかったので…今は危険な状態です。」

 俺は看護師に佳奈が搬送された病院を聞いた。家族以外は面会できないから、と散々断られたが、何度も頼む俺に最後は看護師の方が折れた。

 佳奈が搬送された病院はここから車で30分ほどの所にある都市の大病院だ。俺は、休日以外乗ることない車に乗り込み、大急ぎでその病院に向かった。


 病院に着くや否や、受付の女性に

「佳奈に…水ヶ月佳奈さんに面会させてくれないか?」

 と、不躾に頼むと女性はちょっと怪訝な顔をした後、パソコンのキーボードを叩き、画面を見ながら言った。

「水ヶ月佳奈さんは現在、面会拒絶の状態です。」

 やはり、というか何というか、予想していた答えだったが、俺はここで引き下がるわけにはいかなかった。

「佳奈…水ヶ月さんとはちょっとした知り合いで、お見舞いを言いたいので、家族にだけでも会わせてくれないか?」

 女性はさらに怪訝な顔をした後言った。

「でしたら、救急棟4階のICUのフロアに付き添いの方の控え室がありますので、そちらをお訪ねください。」

 俺はすぐに救急棟のエレベーターへ向かった。

 どうしてエレベーターというものは、こんなにもゆっくりなんだろう。焦る気持ちとは裏腹にエレベーターの階数表示はゆっくりと移り変わってゆく。

 4階に着き、エレベーターの扉が開く。その間を縫うように抜け出し、俺は控え室まで走った。

 そこには何人かの人がいた。皆一様に俯くか何かに祈るような仕草で落ち着きなくそこに座っていた。そこには、死と隣り合わせの緊張感が漂っていた。その中の1人、40代後半くらいだろうか、上品な女性が目にとまった。

 大きな目に綺麗な茶色の瞳。細身の身体に色白な肌、全て佳奈と同じだった。俺は直感で佳奈の母親だとわかった。

「あの…佳奈の、水ヶ月佳奈さんの、お母さんですか?」

 突然の質問に女性はひどく驚いている様子だった。

「突然、すいません。僕は鷹神信二といいます。佳奈さんとは友達です。」

 女性はまだ驚いている様子だったが、ゆっくり答えた。

「佳奈の…お友達ですか? あの子に…友達がいるはずなんてないのに…どうして?」

「話せば長くなります。でも僕と佳奈は本当に友達なんです。」

 自分でもおかしなことを言っているなと思った。でも、どうやって信じてもらえばいいのかわからなかった。

「信二さん、と言いましたか?」

 突然、水ヶ月夫人が俺に訊ねてきた。俺はゆっくり頷く。

「そうですか。今朝、手術が終わった時から佳奈は、うわ言でずっとあなたの名前を呼んでいました。きっと佳奈にとってあなたは、とても大切な人なのでしょう。是非、佳奈に会ってやってくれませんか?」

 突然の申し出に俺は驚いた。

「あの、いいんでしょうか?」

「こちらからお願いしたいくらいですよ。」

 夫人は泣き腫らしたのであろう目を線にして俺に微笑みかける。長らく触れたことのなかった、母の優しさ、強さに触れたような気がして、俺もふいに目頭が熱くなった。

「ありがとうございます。」

 俺は夫人に対し、深く深く、礼をしていた。

 ICUに続く分厚い扉の前で夫人は、この中には患者の身内といえど自由には出入りできないのだ、と教えてくれた。

「面会できるのは朝と夕方の2回だけです。」

 ICU内には朝と夕方の2回、マイクで呼ばれた家族だけが出入りできるのだそうだ。

 俺はその扉の前で中にいる佳奈のことを思った。

「頑張ってくれ…佳奈。」

 それだけいうと、夫人とともに控え室に戻った。

「夕方の面会まで時間がありますし、佳奈とのことを少しお聞かせくれないでしょうか?」

 夫人の申し出を断る理由はなかった。俺は夫人の案内で談話室という所に入った。

 そこは、イスとテーブルが2セットあり、コーヒーメーカーや電気ポットなどが置いてある部屋だった。俺は夫人とテーブルを挟んで向かい合う形で座った。

「あの…信じてもらえるかどうかわかりませんが…」

 そう言って俺は昨晩の出来事をできるだけわかりやすく夫人に伝えた。


「そうですか、あなたがあのお方だったんですか。」

 夫人は驚きを隠せないと言った表情で俺を見ていた。俺はというと夫人が放った言葉の意味をはかりかねていた。

「佳 奈がね、ずっと悲しそうな、寂しそうな顔をしていた佳奈が最近、ようやく笑ってくれたんですよ。あの道を毎日同じ時間に通る人がいるって、その人は、いつ も難しそうな顔をしながら、ブツブツ言いながら通りすぎていくんだって。なんて言ってるんだろうって。私はあんな嬉しそうな佳奈を見るのは久しぶりで…」

 そこで夫人は涙を堪えきれなくなり、ポケットからハンカチを取り出し、目元を拭う。

「佳奈は、絶対助かります。俺、佳奈と約束しましたから。あいつは約束を破るようなやつじゃないです。だって、俺に初めてできた友達ですから。」

 俺だって泣きそうだった。でも、どこかにそう確信できる何かがあったから涙は出てこなかった。

「ええ、そうですね。私が弱気になってちゃダメですよね。」

 夫人がそう言ったところで、談話室内にアナウンスが響いた。

「水ヶ月さんのご家族の方、面会の時間です。ICU内にお入り下さい。」


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