最終章4
勇者と魔王軍が、
帝国軍を追い返した。
その報せは、
瞬く間に、アウレリア王国中を駆け巡った。
人々は、沸き立った。
歓喜。
安堵。
そして――
生き延びたという実感。
街では、人々が抱き合い、
兵士たちは兜を脱いで空を仰いだ。
戦は、終わったのだ。
◇
だが――
人々をさらに驚かせたのは、
その“後”だった。
魔王軍は、
追撃を終えると、
速やかに進路を変えた。
フェルディナ平原を、占拠しない。
王国に、何かを要求しない。
勝利の余韻に、居座らない。
本来なら、
そのまま平原を押さえることも、
王国を脅すことも、
容易だったはずだ。
だが、
魔王軍は、
一切、アウレリアの足元を見ることなく――
恩を売ることもなく、
ただ、帰っていった。
王都ルクシオンも、素通り。
眠りの森を貫く幹線道路を通り、
静かに、
魔王領へと戻っていく。
その背に、
誰も、恐怖の言葉を投げなかった。
◇
ただ、一度だけ。
魔王軍は、
王都ルクシオンの外れで、
足を止めた。
多くの国民が集まり、
魔王軍の兵士たちも、静かに見守る中――
魔王ヴァルディスと、
勇者クラウスが、
人々の前に並び立つ。
言葉は、なかった。
ただ――
二人は、高く手を取り、
固く、握手を交わした。
それが、
別れの合図だった。
夕日が、
二人の姿を、
深い朱に染め上げる。
勇者と、魔王。
かつて敵として語られた二人が、
同じ戦場を越え、
それぞれの帰るべき場所へ向かう。
その光景は、
多くの人々の目に、
焼き付いた。
剣よりも、
言葉よりも、
強く。
それは――
アウレリア王国が、
初めて“恐怖ではない形”で
魔王を見た、
その瞬間だった。
◇
商人ヴァルスの屋敷。
戦の熱が、まだ完全には引ききらないその場所で、
私は、手を叩いて宣言した。
「――では。
次の手と参りましょうか?」
「ちょっと待て!!」
即座に悲鳴を上げたのは、勇者クラウスだった。
「王女よ!
俺たちは、帰ってきたばかりだぞ!?
少しくらい、休ませてくれ!」
「うふふ」
私は、にこやかに微笑む。
「クラウス。ご苦労さまでした」
「でも――この好機を逃すのは、もったいないわよ?」
「我が姫の人使いの荒さは、
見習うべきところがあるな」
そう言って、ヴァルディスが小さく笑う。
その声音には、呆れと――
どこか、楽しげな響きが混じっていた。
◇
私は、姿勢を正し、
父へと向き直る。
「では、お父様」
場の空気が、
わずかに引き締まる。
「いよいよ、
アウレリア王国と、
魔王ヴァルディスとの同盟を結ぶ頃合いかと存じます」
言葉を選び、
しかし、迷いなく告げる。
「――
『アウレリア王国と魔王領は、
相互不可侵・防衛同盟を締結する』
この文言が、最もよいでしょう」
今日は、
私の父――
アウレリア王国国王にも来てもらっていた。
父は、顎に手を当て、
静かに考え込む。
「……エリシアよ」
やがて、口を開く。
「提案としては、
こちらとしても、申し分ない」
「だが――
少々、早急ではないかな?」
私は、少しだけ首を傾けた。
「ええ。
おっしゃる通りです」
その返答に、
父は、わずかに目を細める。
「ですから」
私は、ヴァルディスをじっと見つめながら、にっこりと笑った。
「少しだけ――
小細工を施してからのほうが、
ずっと、スムーズになります」
その瞬間。
背後で、
カップを置く音が、
かすかに止まった。
セリスが、
お茶を淹れながら、
ちらりと私を見る。
渋い顔。
――ああ、これは。
(また、
悪い顔になっている、
そう言いたいのね)
私は、何も言わず、
ただ、微笑みを深くした。
――さあ。
盤面は、整った。
次は、
勝ちを“固定する”番だ。
◇
その日――
アウレリア王都ルクシオンは、朝からざわめいていた。
理由は、ただひとつ。
アウレリア国王と、魔王との初めての公式会談が、
この王都で行われることになったのだ。
魔王が、
王都ルクシオンに、やってくる。
その事実だけで、
街は否応なく沸き立った。
◇
今回の戦いを通して、
アウレリア国民の中で、
魔王に対する警戒感は、確実に薄まっていた。
先の戦いでは、
遠巻きに、息を潜め、
恐れおののきながらその姿を見ていた人々。
だが今や――
恐怖よりも、
好奇心のほうが、勝り始めている。
「……魔王って、どんな姿なんだろうな」
「本当に、怪物みたいなんだろうか?」
そんな声が、
あちこちで聞こえた。
しかも今回は、
ただ会談を行うだけではない。
魔王の凱旋を祝う行進が、王都において執り行われることとなった。
魔王を乗せた馬車が、
王都をぐるりと巡り、
その後、王宮へと入る手はずだという。
――近くで、一目見たい。
その思いが、
国民の胸を掻き立てる。
好奇心は、
最高潮に達していた。
◇
会談当日。
凱旋ルートには、
あふれんばかりの人だかりができていた。
そして――
遠くから、
一台の馬車が姿を現す。
屋根は、ない。
乗っている人影は、三つ。
それは、
事前に知らされていた通りだった。
中央に――
魔王ヴァルディス。
堂々と、
観衆の視線を受け止めている。
その両隣には、
魔王軍参謀、セリス・ノクティア。
柔らかな微笑を絶やさず、
時折、観衆に向かって手を振る。
そして――
近衛、グラド・バルムガル。
正面を見据え、
微動だにせず、
表情は、読み取れない。
人々は、息をのんだ。
近くで見ても――
その様相は、
やはり、想定外だった。
確かに、角は生えている。
だが、それ以外は――
人間と、ほとんど変わらない。
いや。
変わらないどころではない。
「……魔王、ちょっと……かっこよくない?」
「参謀の子……すごく、かわいいんだけど」
「近衛の人、でかっ……すげえ……」
そんな囁きが、
あちこちから、
遠慮なく漏れ始める。
◇
ヴァルディスは、
昨晩、エリシアに言われた言葉を思い出していた。
『人間は、
見たことのないものを恐れ、
身近なものに、親近感を抱きます』
『とくに――
あなたたち、自覚がないみたいですけど』
『見た目、
結構、良いですからね?』
『人間って、
本当に、げんきんなものです。
見た目で、人を判断します』
なるほど。
ヴァルディスは、
内心で、くすりと笑った。
(……こういうことか)
◇
瞬く間に、
三人は、
国民の間で、話題の中心となった。
とりわけ、
セリスに至っては――
ほどなくして、
非公式ながらファンクラブが設立されたほどだ。
◇
一方で、
別の種類の囁きも、
ゆっくりと広がり始めていた。
「あの魔王……
商人のヴァルスに、似てないか?」
「眠りの森を開拓した、あのヴァルス?」
「ゼオグリフ救済の英雄の……?」
視線が、
過去の記憶と、
現在の姿を、
重ね合わせる。
――商人ヴァルス。
実は、
あの人物こそが、
魔王ヴァルディスだったのではないか。
以前から、
アウレリアのために、
尽くしてくれていたのではないか。
そんな“匂わせ”の効果も、
じりじりと、
現れ始めていた。
◇
魔王ヴァルディスが、
王宮へと到着する頃。
国民の胸から、
かつての恐怖は、
すっかり影を潜めていた。
その代わりに、
芽生えていたのは――
興味。
期待。
そして、
ほんのわずかな――
親しみ。
アウレリア王国と魔王の関係は、
この日、
確かに、
新しい段階へと踏み出したのだった。
◇
王宮における国王と魔王の会談は、
定められた儀礼と手順に従い、
厳粛かつ静粛な空気の中で、
滞りなく執り行われた。
形式的な挨拶と確認が重ねられ、
両者の意思に相違がないことが確かめられたのち、
合意は文書として整えられた。
この日、
アウレリア王国と魔王領は、
相互不可侵、ならびに防衛に関する同盟を、
正式に締結した。




