出立する背中
ホテルに向けて出立する前の晩、山猫亭のオヤジさんに声をかけられた。
外国の視察団が去ったら、どうするつもりか――と。
俺は臨時の応援として、厨房で働いているのだ。
山猫亭に戻ってくるのか、どうか……はっきりさせなければ。
忙しくてお嬢さんと話す時間もなかった。
温かい笑顔を懐かしく思うし、正直、まだ胸は痛む。
けれど、切なさに泣いたりはしなかった。
毎日ではないが、婿に来る男が宿屋で修行しているのも目にしている。
俺が書いた手順書を、真剣に読み込んでいた。後輩に質問する姿は、誠実な青年なんだと思えた。
「あちらの街で、冒険者ギルドで働くのもいいかと思ってます」
専業の冒険者をするには、戦闘力が足りないだろう。クランハウスで調べ物をしていて、それがよくわかった。
「そうか。何かあったら、相談しろよ」
と、優しいオヤジさん。
だが、情に篤いのも、善し悪しだ。
アーデンが鼻つまみ者を追い出せずに、クランを崩壊させたみたいに。
オヤジさんも、昔の冒険者仲間の息子を雇って、お嬢さんを危険にさらした前科があるんだからな。
……山猫亭は、オカミさんがいるから大丈夫だろうけど。
実は、山猫亭に来てすぐに「気まずかったら、他の宿を紹介するけど。大丈夫かい?」と気遣ってくれた。
そのときに近況をいろいろと聞いて、自分はどうしたいか何日もかけて考えたのだ。
絵が上手な冒険者に、新しい道を示せたのも面白かったし。
英雄を利用しようとする人と、振り回されないように守る者の攻防。その中で、こちらも利を得られるように知恵を絞る日々は、大変だったけれど刺激的でもあった。
その一方で、ホテルのオーナーや金持ちたちには何度も幻滅させられたな。
利益や話題になるものを露骨に追い求めて、「情」がないにもほどがあるというか……ホテルの厨房に骨を埋めたいとは思わない。
厨房で威張っている、貴族の跡継ぎになれなかった人たちも癖者だしな。
オーナーや客には媚びて、下っ端の俺たちを人間扱いしないし、意見を言うことも許さない。
下働きだから気付くこともあるのに。
きっと、職場環境は十年経っても二十年経っても、変わらないだろう。
そんな思いを抱えながら、数日間、冒険者たちと旅をした。
ワイバーンが出た村に向かう彼らは、途中の村で薬草や軟膏を買ったり、添え木になりそうな木材や包帯を準備していく。
野営料理も手慣れていて、食材を現地調達するのも見事だ。
あまりにも楽しくて、俺だけ途中で抜けるのが悔しくなった。
「正式なパーティーメンバーにはできないけど、たまに書類仕事とか出発前の準備とか手伝ってほしいくらいだ」
お世辞もあるかもしれないが、別れ際にそんなことを言われた。
「クランが存続してたら、常勤の職員になってもらえたのにな」
「それだ! ほんと、惜しい才能だぜ」
そんな賛辞の言葉を残し、彼らは先を進んでいく。
いつか、彼らと肩を並べて歩ける日がくるだろうか。
まずは、近いうちにあちら側の世界に行けるよう、自分で考える。
絵の得意な子が工房への道を見つけたように、やりたいことを口にしたら、チャンスが手に入ることだってある。
無理だと笑う人はいるけれど、そいつらを気にして諦めるなんて、もったいない。
俺は決意を新たに、ホテルに戻る。
道は、自分で作るんだ。




