騎士の最愛と罪と真実
私はあの人の為に生きている。
何故かと聞かれれば、それが人生だからだ。
産まれた時から騎士の家系、初めて教えて貰った言葉は殿下だった。三つの時には、お前は継承位第二位の王子を守る為に産まれて来たのだと言い聞かされた、その王子はまだ居なかったのだが。
そして…九つの時に、私はその手に継承位第二位の皇太子殿下をこの手に抱いた。
私の様な九つのガキが本来抱かせて貰えるお方ではない。
私の主君、私の人生を掛けて守るお人。
まだ生後数ヶ月のお子に向かい、最高位の敬礼を行った日の事を私は忘れない。
「このわたしがあなたを一生を掛けてお守りいたします」
◇
「っカイル!カイルは?!」
殿下のけたたましい声が王宮に木霊する。
「殿下、私はここに」
殿下が勉学に励んでいる時でも、私は側であの人を見つめていた。
ただでさえ王族の人間で友と言える者を作る事も出来ないのに、騎士が常駐しているだなんて落ち着かないだろうからと、視界に入らないどこかで待機している。
「カイル!侯爵家の貴族に発破を掛けたって本当?!僕の結婚相手に相応しいかもしれないじゃないか」
このお方は、酷く可愛らしくお育ちになった。
「あの男は殿下には相応しくありません、本当に殿下と御付き合いなされるのなら、もっと鍛錬して頂かねば」
ピンクの髪は毛先が巻かれていて、深い青の瞳とバサバサのピンクの睫毛との親和性が良い。陛下譲りのその髪と瞳を持つこの天使のような孤高の神は、国中でも愛され…いや崇拝されている。
だが…時折見せる、このお転婆な気質には私も困ったものだ。
「…っ、カイルはうるさい!王位を継承する殿下の為にも優秀な貴族とお見合いするのが僕の役目なんだから!もう、社交界を見学しに行くからカイルは絶対付いてこないで!」
私は、殿下の身体を抱き上げる。
私の体重の半分以下の身体は簡単に持ち上がり、腕の中にすっぽりと収まった。
この人は…本当に可愛らしい。
しかも第二継承位という貴いご身分なのをしっかりと理解され、その高潔さを常に滲ませる。
「殿下…私は殿下のご命令に背く事は出来ません。ですから…付いて行く事が出来ないのなら、私が連れて行きます」
殿下は…俯くと私の首に腕を回す。
この身体に許可無くして触れる事は、お付きの侍従長にさえ許されない。
だが、私はいつもこの方をこうしてお運びしていて…それを拒まない態度は私の特権のようで僥倖だった。
小さい頃からこうして抱き上げてしまえば大体のわがままは収まる。
私は…殿下が歩き出す前からその小さな手を握りしめて生きてきたのだ。
『私はあなたの騎士のカイルです』
『きし?かいる…?ぼく、あん!』
『…殿下、私はあなたの右腕です、自分の命に変えても守ります』
『でんか…?ぼくはあん、だよ』
あの頃は可愛かった…何度訂正しても、兄と私を慕い、私の側をぽてぽてと付き歩く。
あの可愛い可愛いアン殿下が、神だと称されるようになったのは…五年前程だろうか。
誰が見ても見目麗しく整ってきた殿下、貴族達の社交界では地位と美貌に目が眩み、誰もが求婚を申し入れる。
高飛車で気高い性格も相まって、ただでさえ地位の高い王族としての気品をより高めていた。
王家で継承位は二位、継承一位の嫡男様にお子が産まれれば、継承位は三位に下がるだろうが…この美貌に王族の血。
そして、ここ一、二年は多感な時期なのか、やたらと婚姻を意識した振る舞いをされる。
王政のこの国で嫡男でも無いのに、無理に有数の貴族と結婚を急がなくてもいいとは思うが、私にとって殿下を守る物が増える事は悪くは無い。
なぜなら…アン殿下は少し危うい立場にあるからだ。
嫡男様はまだご結婚されていなく、跡取りがいない。もし今嫡男様が暗殺でもされたら…王位はアン殿下に継承される事になる。
つまりは、アン殿下が王位を望み…嫡男殿下を暗殺しようとする動きがあるのではと、嫡男派の一部が恐れているという事だ。
殿下は王位を望んではいないが、嫡男派からしたら継承二位の殿下は脅威でしかない。
私がアン殿下を絶対にお守りするのだから、結婚などせずとも……と思う気持ちはあるが、アン殿下の安寧が一つでも増えるのなら…私には望ましい事だ…と思うようにしている。
「全く…結婚を急がねばならないのは嫡男殿下の方だろう……早く結婚してお子をこさえて頂ければ、アン殿下だってもう少し平和に生きられるというのに」
腕の中でいつの間にか、すやすやと寝息を立てる殿下を起こさない様に小さくそう呟く。
可愛すぎる寝顔に、気が緩むのを感じた。
このお方は、民にとっても私にとっても神だ、本来なら誰にも触れさせてはいけない、もちろん私にも。
周りを見渡し誰も居ないのを確認すると幾度となく触れた頬に優しく触れる。
絶対に許されないと知っていても、幾度となく犯した罪。
私は、そのつるりとしたおでこに口付けを落とす。それを頬に……そして、唇に。
この国で一番の罪人は私である。
殿下に対する強い恋慕。初めて勃起したのは殿下の香り、その夜無意識に夢精してしまった時は本気で自害も考えた。
恋慕などでは無い、敬愛だと何度も言い聞かせたが、もう誤魔化しの効く範疇はとうに過ぎた。
本当なら、殿下の結婚など虫唾が走るどころではない、内蔵が焦げ付きそうな程に憎らしい。
だが、流石に私の醜い嫉妬心がこの人の安寧を思う気持ちに勝つ事は無い…と信じたい。
駄目だと分かっていても、夜に自らの性器を握り込み考えるのはこの人のお姿。
脳内で何度も貴いこの人を汚した事は…絶対に許されない。
もちろん私的な嫉妬は…出来るだけ押し隠し、絶対に…絶対に…もうしないから……と最後だと決めては…このお方の唇や頬に触れていた。
柔らかい唇、私の唇に…優しく重ねるとその感触を忘れぬように刻み込む。
「…カイル?」
「っ、殿下……」
殿下のその顔は……赤く染まり、私のした過ちに気づいている事は明白だった。
「…カイル、お前……僕に今…キス」
私は、身勝手にも殿下にバレた事を恐怖した。
もし、この懸想が知られれば私はアン様の右腕どころかもう、そのお姿を目に入れる事も出来ないかもしれない。
「っ、殿下…申し訳ございません。私にとって…殿下は、その…我が子、いや弟の様な…あまりの親愛に…殿下という貴い方にも関わらず、その…」
「…我が子?…弟?」
初めて…殿下が私の腕の中から逃げる。
いつもなら腕の中に閉じ込めてしまえば、絶対に私からは逃げないのに…そして、目に涙を溜めると、私を睨んだ。
「……僕の様な高貴な存在に我が子?信じられない。まだ…僕の美貌につい、と言うのなら……じゃない、僕は王族なのに…キスなんて…していいのは僕の伴侶になる人くらいで……それを、我が子だと思って許可もなくキスしたなんて許されない」
ここまで取り乱す殿下を、私は見た事が無かった。私に押し寄せる強い後悔と、罪悪感。
今すぐに剣を取り出し自らの首に押し当ててしまいたいなどと、身勝手な事ばかりが浮かぶ。
恐らく、咄嗟に口から出た我が子や弟という言い訳はかなり悪手だったようだ。
だが、それ以上に言い訳のしようがない。誰よりも可愛くて、美しいあなたの唇だから口付けしたくなったと、言えたらどんなに良いだろう。
「…仰る通りです。私などが触れていい筈がない、何と言って詫びたらいいのか…」
「詫びる?お前は僕に許されたいの?騎士なんて最初からいらなかったのに、生まれた時から隣にいて……。別に許さなくたって死罪になんてしないよ、ただ…僕の前から消えてくれれば」
「…っ殿下、どんな罰でも受けます、鞭打ちなら…百でも、二百でも……身分も、何もいりません、ですから…どうか……お守りさせて頂く事だけは……」
「……は、狂ってる。カイルだって、いつか結婚をする、子を成す。そしたら……僕は、カイルの後ろにいる妻や子の影を感じながら君に守ってもらうのか?」
私は結婚するつもりなど毛頭ない。
いや、それが殿下の為になる理由が生まれたらすぐにでも見合いを手配するが、今の所その理由も無かった。
そして、なぜ私の結婚の話に飛躍したのかもよく分からないが、殿下にも…色々と思う所はあるのだろう。
狂ってる、まさに私には相応しい言葉だ。
この方への恋慕の形はどんどんと増幅し…騎士として生まれた私の忠心と戦い蝕んでいく。
不幸中の幸いは、この二つの気持ちは殿下をお守りするという目的が合致している事で……狂気的なまでに、この人だけが私の生きる意味だった。
「……殿下、私は結婚など…あなたを守る妨げになるのなら、するつもりはありません。あなたに人生は捧げたのですから」
それは確かな事実だったのだが…その発言も悪手だったようで……殿下は、悲しそうに顔を歪めると、今度は眉を釣り上げ私を見た。
「……カイル、お前はもう僕の騎士は解任だ。二度と僕に触れるな。僕は新しい騎士を置く、今日の事は僕は誰にも言わない、しばらくは領地に戻って…好きにすればいい」
ああ、泣かないで欲しい。
私に与えられた、最後の主君からの命。
殿下から、そう命じられたのだから私はもう乞う事も、情けなく反論する事も…出来ない。
目の前が暗くなる、この場で自害してしまいたい衝動を必死に抑え…せめてこの方の前ではなく、見えない所で……好きにしようと思う。
私は膝を付くと自らの剣を抜き、床に置く。
私は…この殿下に突きつけられた刃、騎士として認められた日の就任式での信頼をお返しするつもりで頭を下げた。
「……主君、仰せのままに」
そう、私が呟けば剣には私の涙と…殿下の涙がポタリと落ちる。主君の命令は絶対だ、せめて私の最期にその美しい顔を見たい。
「っ、カイル…精々自由に……」
その時だった。
遠くでガラスの割れる音、爆風。
「っ、うわぁあ!」
明らかな異常事態に、殿下を守る事だけを考え自分の身体で殿下の身体を押さえつける。
半分無意識に動いた身体は最適解を舞う。
剣を抜刀していた事が功を奏して、私はすぐに剣を構えると、殿下を狙うボウガンを弾き返した。
「殿下、絶対に私の側にいて下さい」
「っ、カイル!何?!嫌、危ない事は……」
「殿下!」
爆風の中から現れる顔を隠した男は、もう一つの手榴弾を手にした。
後ろには窓、高さは三階程で私が殿下を抱え込めば殿下は守れると踏んだ。すぐに相手に剣を投げ怯んだ隙に殿下を強く抱き締め窓から飛び降りる。
「っう、あああ」
下は殿下がよく世話をしている薔薇の茂みに落ち、必死に抱き締めていたにも関わらず腕の中の殿下の頬には一筋の血が伝う。
私の身体は恐らく数カ所が折れ、薔薇の棘が傷を作っているが、不思議と痛みは感じない。
殿下を、どうにか安全な場所へ……という意思だけが身体を動かす。
意識が…遠ざかるのを感じながらも、私は殿下の身体を強く抱き締め……そして、死後硬直でも呪いでも何でもいいからこの人を守ってくれ……と祈りながら闇の中に落ちていった。