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良き妻として


春から夏へと季節が移りゆく中、窓から見える木々は青々しさを増し、降り注ぐ日差しも強くなって来た。

少し開けた窓から湿った空気が流れ込み、初夏を感じさせる。


普段は殺伐としている朝のダイニングルームが今日は驚くほど穏やかであった。


いつもなら兎にも角にも必死に咀嚼を繰り返し、なるべく早く部屋に戻ろうとするケイトが、今日は淑女らしく落ち着き払った所作で優雅に紅茶を啜っている。


(ああなんて幸せなのかしら…)


うっとりとした表情でケイトが見つめる向かい側には誰もいない。

彼女の機嫌が良い要因はラケルの不在であった。

彼がいないのをいいことに、彼女は紅茶とデザートをお代わりして気分良く寛いでいる。



「奥様、こちらお持ちしました。」


普段の倍以上の時間をかけて朝食の時間を満喫しているケイトに、使用人の一人が大きめのバスケットを両手で差し出して来た。

彼女が手を出す前に、控えていたローラが代わりに受け取る。だが、不思議そうな顔をしており中身が何かは知らないようだ。



「これはお弁当ですか…?どこかにお出掛けでも?」


朝食の片付けのため他の使用人が部屋を出て行ったタイミングで、ローラが疑問を口にした。



「ええ、ちょっと王宮までね。」


「王宮…ではこれは仕事中の旦那様にお持ちになるのですか!まぁ!いつの間にそのような仲に!素晴らしいです!」


ケイトの自発的な妻らしい行動に、つい声が大きくなる。

バスケットを両手で握りしめて目を細め、歓喜に沸くローラ。その両目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


恋も知らないまま政略結婚で妻となった主人。本人は割り切っていると言っても、人並みに愛されて欲しいと彼女の幸せを願わなかったことは無かった。

その幸せがいつの間にか手が届く距離まで近づいていたことに、昂る感情を抑えられない。


熱くなる己の胸に拳を当て、深く深呼吸をした。



「え?そんなの嫌がらせをするために決まってるじゃない。」


「はい……………………??」


急上昇したローラの体温が瞬く間に氷点下まで下がった。

そして今度は怒りの熱が込み上げてくる。感情を抑えようと努力しつつも、つい不敬ぎりぎりの目つきでケイトのことを見てしまう。



「仕事仲間の前で私に良い妻のフリをされたら、冷たい態度を取るわけにもいかないし、さぞかし嫌な思いをするでしょうね。ふふふ…この前ラッシュの前であの人にされたことに対する仕返しよ。」


「・・・」


ドヤと笑うケイトにローラはもう何も言えなかった。

目的がどうであれ、旦那様のためにお弁当を持って行くという行為は喜ばしいことであると、ローラは自らを納得させ、ひとまず静観することにした。

あよくば、これが好意に基づくものだとラケルが勘違いすることに期待して。




伯爵家の馬車で王宮へとやってきたケイトとローラの二人は、セバスが事前に一報を入れておいたおかげですんなりと門を越えることが出来た。


馬車まで迎えに来た衛兵2名を先頭に、王宮敷地内の最も手前に位置する三階建ての建物の中へと入って行く。

一階は衛兵の詰所兼休憩所となっており、鎧を着て帯刀した兵士達で賑わっている。昼時とあってか、脱いだ兜を手に待ち雑談しながら歩く者も多い。


やや緊張した面持ちで衛兵の後に続いて階段を登るケイト。その後ろをバスケットを手にしたローラが追う。

二階の奥、両扉の前に守衛が立っている部屋が見えた。ラケルの仕事場はどうやらここらしく、案内してくれた衛兵が守衛に話を通した後、ケイトに向けて敬礼をして戻って行った。



「ラケル様、奥様がお見えです。」


力強く扉を叩いた守衛の一人がよく通る声で扉の外から声を掛ける。


すると、ゆっくりと内側から扉が開いた。



「よく来てくれましたね。どうぞ中へ。」

「……っ」


そこにはにっこりと微笑んで優しく手を差し伸べるラケルの姿があった。

見たことのない彼の慈愛に満ちた瞳に、ケイトは驚き過ぎて呼吸が止まり掛ける。


(いや、こんな人知らないんですけど…………!???)


これまでの彼とはまるで違うその姿に、ケイトの頭が激しく混乱する。



「ええと…突然で申し訳ありませんわ。どうしても直接私がお渡ししたくて無理を…って、何かありましたか…?」


動揺を必死に仕舞い込んで良き妻になりきり、穏やかな口調で話し始めたケイトだったが、どうしても最後まで言えなかった。じっと見つめるシルバーの瞳に気付いてしまったせいだ。


そこにはいつもの冷徹さも侮蔑もなく、ただ強烈な熱を帯びている。



(え??)


次の瞬間、ケイトはラケルに手首を掴まれ部屋の中に引っ張り込まれていた。彼は後ろ手にドアを閉めると彼女の方に向き直った。


これが未婚女性であれば守衛が乗り込む事態であったが、二人は夫婦だ。二人きりで部屋にいたとてなんら問題はない。


通せんぼをするようにドアの前に立つラケルを呆然と眺めるケイト。一瞬のことに頭の中がパニックになる。

助けを求めるように首だけで後ろを振り返るが、他に人はいなかった。


(え…ちょっと待って、一体何がどうなってこんなことに…私はただ良い妻ぶってお弁当を…ってローラに持たせたままだった!)



「あの!お弁当が!」


「ええ、俺のためにありがとうございます。」


いつの間にかラケルは一歩距離を詰めており、向かい合ったケイトの両手を掴んでいた。

熱っぽく見つめていた彼の視線が、這うように彼女の真っ白な首筋に移動する。



「ヒッ」


嫌な予感のしたケイトが小さく悲鳴を上げた。ラケルは怯えた彼女を一瞥すると満足そうに口の両端を上げ、視線をまた首筋に戻す。


彼は少しだけ顔を傾けると、身を屈めるようにして彼女の首に顔を近づけてきた。



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