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狂気



「最低二つだ。それ以上は譲らねぇ。」

「はっ。最低な商売ね。」


笑顔のまま指で2を示して圧をかけてくるラッシュと、それを蔑んだ目で見返すケイト。


彼は、今回用意した宝飾を買ってくれなければあの小説は売らないというひどく幼稚な押し売りという暴挙に出たのだ。



「……分かったわよ。買えばいいんでしょ買えば。さっさと適当に選んで。」


「お買い上げ頂き誠にありがとうございます。今後ともぜひご贔屓にお願い申し上げます。」


結局足元を見られたケイトが負け、不要な品まで買う羽目となってしまった。この程度の出費痛くはなかったが、相手の思い通りになったことが腹立たしく口をへの字に曲げている。

一方、売りつけに成功したラッシュはキラッキラの胡散臭い笑みを振り撒いていた。



「これでよしっと。」

「ちょっと!なんで勝手につけるのよ!!」


ラッシュはケイトの襟元に蝶柄のブローチを、手首にブレスレットを勝手につけ、満足そうに頷いている。



「毎度あり。」

「もうっ」


最後に差し出された念願の新刊、ケイトはそれを奪うようにして受け取ると席を立った。ドアを開け放してラッシュのことを睨み付ける。



「お引き取りくださいませ。」

「へいへい」


付き人達が手早く荷物をしまい、ラッシュにジャケットを羽織らせる。

身なりを整え、一応形だけの礼を取って部屋から出ていこうとするラッシュ。



「もう帰られるところでしたか。」


開け放したドアから、部屋の中を覗くようにして現れたのはラケルであった。思いもよらない人物の登場に、ケイトは言葉を失う。


(は……??)


内側でドアを押さえていたケイトが固まって動けずにいる中、ラッシュがラケルの前に立ち、流れるような所作で胸に手を当て深く頭を下げた。



「わたくし、ローレンス商会副会長のラッシュ・ローレンスにございます。此度は、ヴェルデ伯爵夫人にご利用頂きまして、身に余る光栄に歓喜しております。どうか今後とも良いお付き合いをさせて頂ければと存じます。」


ケイトに最初にした挨拶よりも丁重に、頭を下げたまま落ち着いた声音で口上を述べた。

ラケルは返事の代わりに微笑んで一つ頷くと、ケイトの方を向いた。



「良い買い物は出来ましたか?」


「え、ええ…」


(え…??今私に言ったのよね?反射的に返事をしてしまったけれど、なんでそんな事を聞くの?そもそもなぜここにこの人が…)


動揺を隠そうと必死に表情を保って平然を装いつつも、無意識に瞳孔が開く。

訳がわからなすぎて、ラケルのことを凝視してしまう。だが、淡く微笑むだけの彼が何を考えているのか全く予想出来ない。



「それは良かった。品も良いみたいだ。とてもよく似合っていますよ。」

「……っ」


ふふっと美しく微笑んだラケルは手を伸ばしてそっと髪飾りに触れた。

そしてそのまま前髪に触れると彼女の耳にかけるように手を滑らせる。とどめとばかりに、熱を帯びたシルバーの瞳でじっと見つめてきた。


(な、なな…何を!!!???)


ケイトにとって奇行にしか見えないそれに、咄嗟に返す言葉が見つからない。激しい動揺で胸の鼓動が煩くなり、服の下がじんわりと汗ばんでくる。



「では、私は仕事があるのでこれで。」


石のごとく固まるケイトに柔らかく微笑みかけると、ラケルは何事も無かったかのように颯爽と部屋から出て行った。



「…は?今の何?だれ?そっくりさん??それとも白昼夢か何かなの…??いや、いろいろとあり得ないでしょう!本当に何なのよこれ…」


「ほら、マンネリに効いただろ!今夜が楽しみだな。ははははっ」


目の前で起きたことが信じられず混乱でパニックに陥るケイトには、ラッシュの下世話な言葉など届いていなかった。



***



「大丈夫大丈夫平気平気怖くない怖くない。私にはこれがある。そう、心の拠り所はここに…」


自室に戻り部屋着に着替えた後、手に入れた新刊を両手で抱きしめてベッドに仰向けで寝転がるケイト。ひどく情緒不安定であった。


先ほどのラケルによる衝撃がまだ全身を支配しており、気が昂って収まらない。落ち着かせるため己に言い聞かせるよう、ぶつぶつと唱えていたのだ。



「旦那様に関心を向けられたこと、嬉しくはないのですか?」


「はぁ!?アレが関心ですって!!?」


お茶を出しに来たローラの一言に、ケイトが悲鳴に似た声を上げた。

勢いをつけて上体を起こすと、片手を使いベッドから飛び降りた。



「んなわけないでしょう!理由もなしに睨んでくる相手よ?アレは100%嫌がらせの類だわ。これはもう家庭内戦争ね…何か仕掛けられる前にこちらから動くべきか…」


頬に手を当て本気で考え込むケイト。

不穏な最後の一文に、ローラの頭の中にあの薔薇事件が過った。同じ轍を踏むものかと、すぐさま軌道修正をはかる。



「もっと素直に受け取っても良いのでは?旦那様は褒めてくださったのですから。嫌な相手に触れられたりしませんよ。」


「ローラはあの凍てついた目を向けられたことがないから分からないのよ!あれは人がして良い目つきではないわ。人外よ。」


「でもあの『ヤンデレ王子と〜』に出てくる王子はそんな目つきばかりでしたよね?あれが堪らないって言ってませんでしたか?」


「アレはアレ!創作の世界だから良いのよ。全てを飲み込んで自分色に染めたいって歪んだ愛し方は彼しか出来ないの。その歪んだ愛を込めた視線が堪らないって話よ。愛があるからこそ冷たい視線もご褒美っていうか…でねそれが…」


「…さようですか。」


うっかりパンドラの箱を開けてしまったローラが遠い目をしている。

恍惚とした表情で止まらないケイトの推し小説トークに、気づかれぬよう忍足で退散していった。




その日の深夜、月明かりで照らされた部屋に聞こえる一定のリズムで紙を捲る音。

月がだいぶ傾いてきた頃、その音が止むと同時に歓喜に沸く声が聞こえた。



「あぁ、こういうのが好きだったのですね。」


それは内側から込み上げる悦びを噛み締めるかのように吐き出された言葉だった。


月明かりに照らされる整った横顔。

その視線は鋭く、絶対零度のシルバーの瞳の奥には激情が見え隠れする。口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。


ここに一つの狂気が産まれていたことを彼女はまだ知らない。




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