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妻が好むもの



「んふふふふ」


頬に手を当て、毎朝食べているいつものブリオッシュを至福の笑みで噛み締めるケイト。

そんな彼女の目の前に座るラケルは相も変わらず、書類を片手にコーヒーを啜っている。その視線がニヤけるケイトを捉えることはない。


ケイトはここ数日、不自然なほど口元に機嫌の良い笑みを浮かべていた。



(やはり推しについて皆で語らうって最高ね。何度も読み返しているけれど、また読みたくなってきた。あぁ、早く部屋に戻ってあの狂気的な愛の世界に浸りたいっ…)


ヤンデレ恋愛小説を思い返して、無意識に品のない笑みを浮かべてしまったケイト。

向かい側から、カチャリとコーヒーカップをソーサーに戻す音が聞こえる。


もう仕事に行く時間かと期待の視線を向けると、真っ直ぐに自分のことを見つめるシルバーの瞳と目が合った。


(え…なんか睨まれてる…??)


鋭い視線を向けられ、バツが悪そうに視線を泳がせるケイト。

無言の圧に耐えかねて恐る恐る尋ねた。



「ええと…何か…?」

「いえ、何も。」


無機質に答えたラケルはそのまま席を立ち、控えていた執事のセバスの手を借りてジャケットを羽織ると部屋から出て行った。



「は?」


ケイトの口から困惑と苛立ちの入り混じった声が漏れたが、その戸惑いを拾う者は誰もいなかった。



***



「だから何なの!言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ!こっちはあれ以来何もしてないっての!!」


本人にぶつけられない怒りを、自室でローラ相手に撒き散らすケイト。

今回ばかりは自分の主人が可哀想だなと、憐れんだローラは蜂蜜入りの特製ミルクティーを差し出した。



「虫の居所でも悪かったのでしょう。ケイト様に非はありませんよ。」


「そうよね!」


賛同してくれる存在に嬉しくなり、軽やかにティーカップを手にしてミルクティーを一気飲みした。



「ご依頼いただいていたローレンス商会の件、セバスさんに許可を頂いて手配完了しております。明後日の午後、こちらにいらしてくれるそうです。」


飲み終えたお茶を片付けた後、ローラが事務連絡を行った。



「明後日かぁ…待ち遠しいわね。今までだったら普通にお店に行けたのに…」


「伯爵夫人ですからね。そう簡単に外へは行けませんよ。」


結婚前の生活を懐かしむケイトをローラが嗜めた。


ローレンス商会とは、近隣諸国からの輸入品を中心に商売しており、貴族との繋がりもある老舗の商会だ。

ケイトはその商会の息子である、ラッシュ・ローレンスと幼馴染であり、彼の商会から例の小説を購入していた。


今回もいつもと同じように未入手の新刊を買いに行こうとしたところ、ローラに止められ邸に商会を招く運びとなったのだ。



「まぁいいわ。新作が手に入ればしばらくは何が合っても耐えられそうだし。あの凍てつく視線にだって、投げキッスで返せる自信があるわ。んふふふ。」


「絶対におやめくださいね……………」


主人の軽口もしっかりと否定するローラであった。



***



「ローレンス商会?」


「ええ、奥様がご贔屓になさっているようで、明後日こちらにやってくる手筈となっております。」


深夜に帰宅したラケルは、出迎えたセバスから日次報告を受けた。

その中に身に覚えのない商会のアポイントメントの話があり、その詳細を尋ねたのだ。



「何か入り用の物でもあったのか?」


(ヴェルデの名に恥じないグレードの服飾品を用意していたはずだが…それでは飽き足らず、今度は経済的な嫌がらせをする気か?)


最初の薔薇事件の印象が強すぎるせいで、ラケルの想像が悪い方向へ進む。

声音から不穏な空気を察したセバスが慌てて否定した。



「いえ、奥様の趣味の類でして…とある小説の新刊が欲しいとのことです。なんでも昔から好きだったシリーズものだったとか…」


セバスの説明にラケルが一つ頷く。



「その小説、俺の分も用意を。もちろん彼女には知らせずに。」

「ご随意に。」


要件を済ませたセバスは恭しく一礼をして部屋を後にした。



「…っ」


一人になった室内で、ラケルは自分の発言に驚愕の表情を見せていた。自分でも信じられないと、片手で口元を隠して目を見開く。


(俺はさっきどうしてあんなことを言った…?彼女が好むものを知りたいとでも思ったのか?…馬鹿馬鹿しい。そんなことに何の意味がある?)


水差しを手に取りグラスに水を注いで口に含む。冷たい水がざわついた心を落ち着かせ、視界をクリアにしていく。


(形だけの妻など所詮は他人だ。深入りする必要はない。不要なことに時間を割くことは無駄だだろう。らしくないな。)


勝手に己の中に湧き出した気持ちに無理やり折り合いをつけ、寝台ではなく机へと向かう。


今夜はもう休もうと思っていたのに、ざわついた心を鎮めるためやらなくても良い仕事に手を付けたのだった。



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