朝の攻防戦
翌朝、いつものようにケイトの身支度を行っていたローラが見てはいけないものを目にしてしまい、驚愕の表情をしていた。
手で口を覆いながら、震える声で恐る恐る尋ねる。
「ケイト様、それはっ………」
「し、知らないわ!…見ないで何も言わないで忘れて今すぐに、早く。」
これまで聞いたことのないほどの早口で捲し立てられ、ローラの顔が引き攣る。
(本当に、容赦のない方ですね…)
思ったよりも早く囲い込みが完成しそうで、ローラは心の中でケイトに手を合わせた。
(まぁ、気づかなければ幸せな箱庭ですよね。余計なことをしなければ…たぶんおそらくきっと。)
なんとも不安そうな心の内だったが、ケイトはそんなこと頭の片隅にすらなかった、
「ええと…ひとまずスカーフを首に巻いて誤魔化しましょうか。あとで医務室から塗り薬をもらってきますね。今後も使うかもしれませんし、多めに。」
「………………一言多いわよ。」
思わずジト目で睨んでしまった。ローラの何事も先回りできる優秀さが今回だけは忌々しく思う。
モスグリーンのワンピースに着替えて、首元に淡いオレンジ色のスカーフを巻く。庭の木々が色づいてきた今の時期にぴったりの装いだ。
その姿を何度も鏡で確認し、跡が見えていないことを確信したケイト。
いつものように部屋まで迎えにきたラケルに連れられ、ダイニングルームに向かった。
席について食事が始まっても、ラケルは変わらず普段通りだ。
さり気なくケイトを気遣いながら、彼女が興味のある話題を振って会話をエスコートしてくれる。昨晩のことを口にする素振りはない。
一方のケイトは、勝手にドギマギしてしまう心を鎮めるので精一杯だった。彼の顔を見る度に昨日のことを思い出してしまう。
(なんで向こうはあんなに冷静でいられるのよ…なんだか私ばかりで腹立つわね…)
相手が同じ感情を抱いてないことに、寂しさではなく怒りを感じたケイト。そして、それはしっかりと顔に出てしまっていたらしい。
「ケイト」
彼女の異変に気付いたラケルが一段と甘い声でケイトの名を呼び、朝に似つかわしくない艶めかしい視線を向けてきた。
「…………な、何でしょう?」
その後も色気を振り撒きながら見つめるばかりで一向に話し出さない彼に、内心ドキッとしながら問いかけた。
「スカーフしている姿は珍しいですね。とても良く似合っていますよ。愛らしい。それに支配欲が満たさ」「ちょっとおおお…………!!!!」
(使用人達もいるのに、なんてことを言おうとしてるのよっーーー!!)
笑顔でいきなりとんでもないことを言い出したラケルを、ケイトは大声を被せるという力技でねじ伏せた。
落ち着きをなくし、顔を赤くしながら無駄に手を動かしている。ラケルの悪意ある一言に、全身の血液が沸騰しかけていた。
意味もなく立ち上がりかけたが、給仕係の注目を集めてしまい、すぐ座り直した。
「ふふふ、ケイトは朝から元気ですね。昨日の夜何か良いことでもありましたか?」
「・・・・・」
にこにこと面白がった顔で見てくるラケルをケイトは思い切り無視した。顔から表情が抜け落ち、色々通り越して虚無の地だ。
(話せば話すほど揶揄われる…こういう時は無視よ無視。私だってそこまで子どもじゃないんだから。)
無視を決め込んだ彼女のことなどお構いなしに、ラケルは意気揚々と追い込んでくる。
「俺はケイトのおかげでぐっすり眠れましたよ。昨晩、俺の腕の中で恥じらう姿が」
「ああああ!うるさああああい!食事中におしゃべりが過ぎるわ!」
「すみません、可愛くてつい…」
(つい、じゃないでしょう!わざわざこんなことを口にして、頭がおかしいわ!!ああもう恥ずかしいっ!!!)
ケイトの顔に熱が集まり、あっという間に耳まで真っ赤になってしまった。
(元々言えば、これはセバスチャンが余計なことをしてきたせいで!)
ケイトは元凶となった相手を勢いよく睨み付けた…つもりが、察しの良い熟練の執事はいつの間にか部屋から逃げ出していた。
代わりに、その手前にいたラケルと目が合ってしまった。
「今日のケイトはいつになく情熱的ですね。」
彼はうっそりとした表情で視線を絡めとり、微笑み返してきた。
(はぁ!??なんなのよ、この勘違い男は…っ)
ケイトは残っていたパンとサラダを口に頬張り、ぐいっと紅茶で流し込んだ。
その勢いのまま席を立ち、ラケルを残して自室に戻って行った。
残されたラケルが不意に視線を上げた。
「セバスチャン」
「旦那様、何でございましょうか。」
主人に呼ばれ、瞬時に現れてラケルに向かってこうべを垂れる。先ほどまで逃げ隠れていたのに、変わり身が早い。
「昨夜は大変良い仕事をしてくれた。特別手当を支給しよう。」
「大変恐縮にございます。」
セバスチャンはラケルの心遣いに敬服し、ケイトに申し訳ないと思いつつもちゃっかりしっかりと受け取ったのだった。
もちろん、ケイトには秘密だ。
***
そんな二人のやり取りなど想像すらしていないケイトはその頃、部屋で復讐心を燃え上がらせていた。
それをローラは残念なものを見るかのように眺めている。
「次こそ一泡吹かせてやるわ!やられっぱなしじゃいられないわよ。」
「そろそろ諦めたらどうです?あのヤンデレ王子〜の姫様だって最後は幸せそうだったではありませんか。」
「え?なんでここであの小説の話が出てくるのよ?」
「え…」
「え?」
まったく分かっていないケイトのせいで、部屋になんとも言えない空気が漂っている。
そんな空気を霧散させるかのように、急ぎの用事だと慌てた様子の使用人がケイトのことを尋ねてきた。
「お、奥様」
「何かあったの?」
「はい、たった今、スティード男爵夫妻がお見えになりました。」
「え!?どうして急に両親が?」
突然の両親の訪問に驚きつつも、ケイトは自分が対応するわと言って彼らが待つ応接室へと急いだ。