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執事の出来心


その日の深夜、いつも寝つきの良いケイトにしては珍しくまだ眠ることが出来ずにいた。

柔らかな質感のベッドの上、何度も寝返りを繰り返している内に完全に目が覚めてしまった。


(久しぶりに友人と話したから刺激が強かったかしら…)


欠伸をしたケイトは寝るの諦めてベッドから降り、ソファーに掛けてあった上着を羽織った。


(気分転換に下に降りてホットミルクでももらってこようかな…)


こんな時間にローラを呼び出すのも気が引け、セバスチャンならまだ執事室にいるかもしれないと部屋を出ることにした。


普段の癖でつい、開けたドアの隙間から顔だけ出して左右の廊下を窺う。


(安全確認よしっ)


人の気配のしない薄暗い廊下に安堵し、静かに階段を降りていく。

ところが、気を抜いたせいでこちらに近づいてくる人間に気付くことが出来なかった。



「うわっ」

「驚かせてしまい申し訳ございません。」


階段を昇ってきた人物に思わず悲鳴を上げてしまったが、すぐに謝罪の言葉が返ってきた。その相手がセバスチャンだと分かって平常心を取り戻す。

彼はナプキンを掛けた紅茶のポットを手にしており、主人の部屋に向かうようであった。


ケイトの視線に気付いた彼は一瞬躊躇う仕草を見せた後、意を決したように話しかけてきた。



「……奥様、突拍子もないお願いで誠に恐縮なのですが、こちらを旦那様のお部屋にお持ち頂けませんか?」

「え゛」


思ったより嫌そうな顔で嫌そうな声が出てしまい、慌てて笑顔を取り繕う。



「私が行ったらお仕事の邪魔になるわ。もう遅いしそろそろ部屋にもど…」

「そんなことはございません。奥様が顔を見せてくださったら、旦那様は大変お喜びになります。お疲れも無くなります。ぜひに。さぁ。」


(随分と圧が強いわね…普段の柔和な瞳は見せかけだったのかしら)


カッと見開かれたセバスチャンの瞳に、ケイトの猜疑心が強まる。

裏がありそうな気がするし、何よりこんな遅い時間に密室でラケルと二人きりにはなりたくなかった。

つい、トラウマとなった馬車の中での出来事を思い出してしまい、勝手に顔が熱くなっていく。


その時、セバスチャンの瞳がきらりと輝いた。押せばいけるだろうと確信した彼は、少々狡いやり方で押し切ることにした。



「本日のお茶会、旦那様は見学なされるのを大変楽しみにしていらしたのです。」

「見学って…」


見学という言葉に目眩を覚えつつ、いきなり始まった彼の語り口調に仕方なく話を聞くことにした。



「それはもう楽しみにしていらして…溜まりに溜まった仕事も顧みず、全身全霊でお側に控えていらしたのですよ。あの時間があれば今頃お休みになれたはずでしたのに…」

「ええと、さすがに仕事は顧みた方が良いんじゃ?」


ケイトのもっともなツッコミをセバスチャンは華麗にスルーした。



「だから、旦那様にご褒美をお与えになってくださいませ。」

「・・・・・・・・・」


(は?どうして勝手にお茶会を監視された挙句、褒美を取らせないといけないのよ。)


だが気付いた時にはすでに遅く、ケイトは無理やりティーポットを持たされており、セバスチャンは使用人らしからぬスピードで階段を駆け降りて行ったのだった。



「うっわ…」

(完全に嵌められたわ)


とてつもなく迷ったが、さすがにこのまま自室に戻るのも寝覚めが悪く、飲み物を届ける役割だけ果たすことにした。


(ドアが開いた瞬間、部屋の外からティーポットを押し付けるだけ…)


深夜に部屋を訪れるということに騒ぐ心を押さえ付け、これはただの仕事だと脳内イメージを繰り返す。

あっという間に着いた部屋の前、すっと軽く息を吸うと控えめにノックをした。


(反応がないわね…)


どうしたものかと、ドアの前で小さな円を描くようにクルクルと歩き回る。

次第にティーポットを待つ手が痺れてきて、躊躇う気持ちが怒りに変換されていく。


(うん、もう勝手に開けて勝手に置いて早く戻ろう。)



「失礼します…」


なんとなく小声で声をかけながらゆっくりとドアを開けて室内に足を踏み入れる。

入り口付近は暗く、奥に視線を向けると執務机の周囲にだけ灯がともっていた。


尋常じゃない量の書類が雑多に積み上げられ、その隣にある箱には整頓された書類が重なっている。未処理の数の多さが明白だ。


その書類の山の中、埋もれるように机に突っ伏しているラケルの姿があった。


(え?まさか寝てるの…?)


いつも完璧な彼の姿しか見たことのないケイトが驚いて目を見張る。

こんな無防備な姿を晒して…と思ったが、私的なスペースに踏み込んだのは自分の方だったと思い至った。


覗き見をしているみたいで、なんだか悪いことをしているような気分になる。だがそれと同じくらい、寝顔を見てみたいという好奇心が疼いた。


(ティーポットを置く時にちらっと目に入るくらい、仕方ないわよね?)


それらしい理由をつけて執務机の前までいく。音を立てないようにそっとサイドテーブルに置くと、その流れで横を向くラケルの顔を覗き込んだ。


その瞬間、あまりの美しさにはっと息を呑む。


灯に照らされた色白の肌と艶のある黒髪のコントラストが神々しい。長い睫毛は影を作り、色気を醸し出している。整った眉に綺麗な鼻筋、形の良い薄い唇、そのどれもが小さな顔の中にバランスよくおさまっていた。


(本当に綺麗…)


芸術品を見るかのように、じっくりと眺めるケイト。その美しさに吸い寄せられるようにして無意識に距離を詰めていく。



「っ!!」


眺めていた美麗な顔がすぐ目の前にあることにようやく気付き、その近さに心臓が飛び出してしまいそうになる。


(なっ、何やってるのよっ…こんなことして起こしたら大変だわ。早く戻らないと。)


見惚れていた事実に恥ずかしくなり、その場から逃げるようにして部屋から出て行く。そのはずだったのだが…



「何もしてくれないんですか?」

「…………っ!!!!」


寝ていたはずのラケルがいつの間にか目の前で悲しげな表情で微笑んでおり、それと同時に自分の手首に体温を感じる。

ここでようやく、彼に腕を掴まれて動けないのだと気付いた。状況を理解して呼吸が止まりそうになる。


物理的にも精神的にも微動だに出来なくなっているケイトに、彼は更なる追い打ちをかけてくる。鼻先が触れ合いそうなほど顔を近づけると、紳士の鑑のような美しい笑みを浮かべた。



「煽った責任、取ってもらいますよ?」

(ぎゃあああああああああああっ!!!)


薄暗い部屋の中でふふふと怪しく微笑むラケルに、卒倒しそうなケイトは声を上げることすら叶わなかった。


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