結婚初夜
『勘繰られると面倒なので、貴女は昼時までこちらに待機していてください。』
そう言って朝部屋を出て行ったラケル。ひとり取り残されたケイトは今、広すぎるベッドの上で胡座をかいている。
「いや、なんでよっ!!」
耐えきれず、すぐ近くにあった枕を掴んで壁に叩き付ける。
ふかふかな高級枕は、ぽすんっと柔らかな音を立てて品よく床に着地した。
思いの外ストレス発散にならず、ケイトはわしゃわしゃと自身の髪をかきむしった。
めでたく結婚式を終えた昨日、ケイトとラケルの二人は正式に夫婦となった。
そして結婚初夜となった昨晩、夫婦の寝室に呼ばれたケイトを待っていたのはひどい仕打ちであったのだ。
『ラケル様、お呼びでしょうか…』
湯浴みを終えたケイトは、気を利かせた侍女達によって純白の透け感抜群のネグリジェを着せられ、その上にガウンを羽織っていた。
やる気満々と思われるのも恥ずかしく、身体を隠すようにしてドアの隙間から顔だけ覗かせる。
(政略結婚だって結婚は結婚。だからこれは義務なの。変に構える必要なんてないわ。平常心平常心…)
飛び出してしまいそうな心臓を気合いで押し留め、精神統一のために深呼吸をした。
『ああ、どうぞ中に』
返ってきた声は緊張してる様子もなく、ひどく事務的であった。
案内されたソファーに腰掛けると、なぜか仕事着姿のラケルが離れた執務椅子に座った。
『今晩はこの部屋で俺と過ごしてもらいます…ああ、そういう意味ではないです』
恥ずかしさでぽっと頬を染めるケイトに、ラケルは片手を振って即座に否定してきた。
『政略結婚に夫婦の行為は不要でしょう。かと言って白い結婚と思われるのは面倒だ。だから、結婚初夜の今日は既成事実を作ってもらいます。』
『はい??』
『明日の朝まで二人で寝室に篭れば、皆察してくれるでしょう。』
『ええと、察するとはどういう…』
『俺は続き部屋の書斎で仕事を、貴女はこちらのベッドで休んでください。ちゃんと鍵もあるのでご心配なく。では。』
『あの、まだお話がっ…』
混乱したケイトを残して、ラケルは足早に部屋から出て行ってしまった。
『……は?せめて「おやすみなさい」くらい言いなさいよっ!!』
どうでもいいことをツッコむケイトの声は、誰もいない部屋に霧散して飲み込まれた。
そして日が昇り目を覚ましたケイトが、ラケルの残した書き置きを見て怒りに震えていたのだ。
「なんでこんな事細かに指示されないといけないのよ!朝までお盛んどころか、昼まで起きられませんでしたって普通に恥ずかしいわ!というか、そんな状態の妻を置いて仕事に出かけないでしょう!昼まで添い寝して腰をさすってましたって体の方がリアルでしょうが!」
肩を上下させるケイト。
自分の言葉に恥ずかしくなりながらも、ケイトの怒りは収まらなかった。
だがこの家でラケルの指示を無視するわけにもいかず、結局言われた通り昼過ぎに自室に戻っていったのだった。
「ああもう疲れた。もう無理もう無理…」
自室に戻ったケイトは部屋着に着替えてすぐさま自分のベッドにダイブした。
「ケイト様、昨日はだいぶお盛んだったようで。」
「んなわけないでしょうっ!!」
お茶を出してきた侍女のローラに噛み付いて否定したケイト。
ローラは男爵家から連れてきた侍女で年も近く、気安く話せる間柄だ。
「やはりそうでしたか。普通の殿方なら、初めてで朝までコースなんて絶対に致しませんからね。ましてや昼までなんて…」
「ああもうっ!恥ずかしいからそれ以上言語化しないでっ!!!!!」
(邸の使用人全員からそういう目で見られるのかと思うと死にたくなる…)
ケイトは涙目になりながら、ローラの淹れてくれた紅茶を口にした。
「それもきっと旦那様なりのお気遣いだったのではないでしょうか。」
「いやそれは絶対ない!目も合わせないし、嫌そうに話すし…本気で興味なんてないんだと思うわ。まぁ、そもそも政略結婚ってそういうものだし…跡継ぎを考えなくていいってのがせめてもの救いかしら。」
(元から期待なんてしてないんだから…)
「さーて、嫌なことがあったら気分転換しないとよね!」
そう言ってソファーから移動して本棚に手を伸ばした。