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深夜の執務室にて



普段なら夕飯も湯浴みも終えて自室に戻っている時間帯であったが、最近はこの時間まで執務室に篭っていることが増えた。


今日の昼間、デートの約束を取り付けたことに思いを馳せつつ、手元の資料に目を落とす。

真剣な表情のラケルの前、やや緊張した面持ちのセバスが立って控えていた。


一枚二枚と繊細な手つきでめくり、とある契約書の隅々まで目を通すと、セバスの仕事ぶりに感嘆するかのように目を細めた。



「流石だな。」


目線を上げ、彼にしては珍しくはっきりと称賛の言葉を口にする。



「過分なお言葉恐縮にございます。」


緊張していたセバスがほっとした様子で深々と頭を下げた。



「やはり公爵はこれを知った上で契約を取り交わしていたようだな。これなら譲渡の話も上手くいくだろう。」


「では一時の金のために旦那様の縁談を…」


「ああ。あの人にとって俺にはその程度の価値しかない。」


言い淀んだセバスに対し、ラケルは顔色一つ変えずに肯定した。

その様がセバスの心の内を更に苦しくし、主人の望みを必ず実現させたいという思いが一層強くなる。



「だから今回は、俺の目的のために利用させてもらう。」


「悪くはありませんが…私の仕事が少し増えるのは困りものですな。」


軽口を叩きながらも、まるで孫の成長を喜ぶかのように目に皺を作るセバス。込み上げてくる涙と胸の内を執事の矜持で必死に押し留めた。


(あぁ本当に…この方が明確に何かを欲しいと望むなど未だ夢のようだ。どうせ最後は親が決めるのだからと、夢も希望も期待も何もなく、ただ親の言う通りに生きる、そんな喜怒哀楽も知らなかった子がこんな風に変わるなど…長生きするのも悪くはない)


セバスの万感の思いをよそに、ラケルは何の感慨もない顔でまた手元の書類に視線を戻した。



「新たな嫁ぎ先の件はどうなっている?条件に合う相手は見つかりそうか?」


「ええ、だいたいの目星はついております。ひとまず餌を投げ、食いつくか様子を見ましょう。泳がせるにしても、ある程度生きの良い魚の方が楽しめますまい。」


「任せる。どんな手段を使っても得ようとする執着心の強い相手を炙り出せ。」


「承知いたしました。」


主人から責任を預かったセバスは身を引き締め、恭しく頭を下げた。


普段仕事や邸に関する細かい雑務を依頼されることは多々あるが、私的な用事を頼まれるのはこれが初めてだ。

それが嬉しいと同時に、それほどまでに求める主人の要望を何が何でも実現しなければと、年甲斐もなく気分が高揚する。



「奥様のこと、深く愛していらっしゃるのですね。」


「愛する、か…」


ラケルは視線を落としたまま自嘲気味に笑う。

肯定を得られなかったことに、セバスの顔色が悪くなった。


(嬉しさのあまり余計なことを言い過ぎてしまった…黙って報告だけに留めておくべきだったか…)


不穏な空気を察してまた緊張が高まり、背中に嫌な汗が流れる。



「執着しているのは確かだな。俺は存外自分のものには独占欲が強いらしい。誰かに盗られると思うと、誰の目にも触れぬよう箱の中に閉じ込めて鍵を掛けたくなる。これが愛なのか分からなかったが、一部にはそういう愛し方をする者も存在するらしいな。そしてそれを求める者もいるとか。」


「あの小説の話ですか…」


セバスの問いに、ラケルが頷いた。


主人に渡した小説は当然セバスも目を通しており、伯爵夫人ともあろう方があんな歪んだものを愛読しているのか…とケイトにドン引きしながらもちゃっかりしっかり読了していたのだ。


家族愛も友愛も自己愛すら知らなかったラケルが初めて知った「ヤンデレ」というひどく歪な愛し方。

本人達がそれで幸福なら…と歓迎したい一方、危うく思えて仕方なかった。



「個人的な嗜好に口出しするつもりはありませんが…奥様を殺して自分も命を断つという凄惨な末路だけはやめてくださいませ。」


「ああ。たしか小説の中にもそんなことを仄めかしていたが…それでもあの二人は幸福そうだったな。彼らにとっては互いの執着そのものが愛なのかもしれないな。」


「あれは別の人と結婚させられるくらいなら…という話の流れでしたが。死んだら誰のものにもならない、という究極の愛を描きたかったのでしょう。あの嫉妬深い二人ならではの思考でしたね。さすがに立場のあるお二人がそれを実現させるのは難しかったようですが。」


「互いの希望が合っていれば良いという話か。そうなるように仕向けるのも恋愛の一部ということなのだろうな。今ならあの王子の気持ちも分かる。ただ、少し手緩いと思うがな。」


「あの所業の数々を手緩いとおっしゃいますか…凡人から見れば狂気の沙汰としか言いようのないものですが…旦那様の執着心も相当なもの…ということにございますね。」


「……お前、随分と詳しいな。」


「……それをいうなら旦那様もでしょう。」


「「・・・・・」」


執務室に微妙な空気が漂う。


なんのかんの言いながら、すっかりあの小説にハマり、わざわざ初巻から取り寄せ番外編まで読み切っていた二人。

つい話が脱線し、思わぬところで思わぬ相手と小説の語らいをしてしまった。


秘密にしていたことが話の流れで互いに露見してしまい、ひどく気まずそうに目を逸らしていたのだった。


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