部屋から出ただけなのに
ー ドドドドドドドドドドドドッ
ー カンカンカンカンカンカン
ー ガガガががガガガーーーーー
ー トンットンットンットンットンッ
「うるさいわねっ!!!!!!!!!!」
昼下がり、自室のベッドに寝転がり小説を読んでいたケイトが腹の底から怒りの声を上げた。
ラケルのせいで推し会に参加出来なかったため、朝から小説を読み耽っていたのだ。
それなのに今度は騒音に妨害され、彼女の怒りは頂点に達した。
ベッドから飛び降り窓に近寄ると、日除け用のレースのカーテンを乱暴に開けて外の様子を窺う。
すると、木材やレンガなど建物の建築に使うような資材を運んでいる様子が目に入った。
手押し車で荷物を運ぶ先は邸の陰になって見えないが、どうやら何か大掛かりな建造物を建てているようであった。
「え…なんの工事…??セバスに聞けば分かるかしら…」
手にしていた本に栞を挟んで丁寧に机の上に置くと、ケイトはそっとドアを開けて廊下に出て左右を見渡す。会いたくない人物の影が無いかじっと目を凝らした。
「…確か、執事の部屋は一階だったわよね。」
誰もいないことに安心すると、初日に説明された記憶を頼りに階段を降りて行く。
ほぼ自室から出ずに毎日を過ごしているため、不安げな足取りだ。
(あの人は確か……)
階段降りてすぐ、目の前に見たことのある人物が現れた。慌てて伯爵夫人の表情を作ってスカートの裾を両手で整え、淑女の礼を取る。
「いつも主人が大変お世話にーー」
「あーーーーーっ!!!」
ケイトの取り繕った柔らかな声は、男の太い声に掻き消されてしまった。喜びの声と共に、両腕を広げながら距離を詰めてくる。
「!!」
それをあからさまに嫌がるのも失礼かと思い、避けるように上体を後ろに晒しながらもなんとか笑顔を保った。
「会いたかった!!!ラケルの奥さんだ!!近くで見るとほんと可愛らしいな。…いやぁ、あんな朴念仁には本当に勿体無い…俺だったら仕事なんか放ってーー」
(あれ?いきなり静かになった…??)
「そこで何をしている。」
「……っ」
後ろから聞き慣れた低い声が聞こえたと同時に、ケイトの肩が力強く抱き寄せられた。
背中にぴたりと付けられた厚い胸板から体温を感じる。
(ちょっとおおおおおおおおお!いきなり何してくれてんのよっ!!!!!!!)
心の中で雄叫びを上げるケイト。
突然のことに抗議しようと後ろを振り向きかけたが、あまりの近さに後悔してすぐ前に向き直った。
後ろからラケルに肩を抱きしめられる形で目の前のダニエルと向き合うことになる。羞恥心で顔から火が出そうであった。
一方のダニエルはラケルから殺意のこもった視線を向けられ、顔が真っ青だ。額には嫌な汗が滲んでいる。
「お、おう、ラケル。ちょうどお前の奥さんがいたから、その…」
「普段から北の階段を使えと言っているはずだが?」
「いや、邸の中で迷子になっちまって…ははは」
「早く戻れ」
「はいっ!!!!」
プレッシャーを与えてくるラケルに圧倒にされ、ダニエルはケイトのことを見もせずに脱兎の如くその場から逃げ出した。
「それで」
「!!」
ラケルの両手で身体の向きを変えられ、彼と向き合う形になったケイト。華奢な顎を指で摘まれ、視線を逸らすことが出来ない。嫌でも彼の顔を見上げることになる。
(は………なんなのこの状況は…………)
冷たい視線で見つめられ、ケイトがたじろいだ。瞳に恐怖の色が映る。
「また他の男に色目を使っていたのですか?本当に、貴女という人は懲りないですね。」
「なっ………!!そんなことしてないわよ!変な言いがかりはやめてちょうだい!!ただ同僚の方に挨拶をって…」
「そうですね…では、俺とデートしてください。」
「はぁ……………………!!?」
ラケルの放っていた禍々しいほどの圧が消失した代わりに、今度は蕩けんばかりの笑顔を向けてくる。
「次の休みにしましょう。ドレスはこちらで用意しますのでご心配なく。」
「いや、ちょっと勝手に話を進めないでよ!それに、夫婦なのにデートって意味が分からーー」
「あぁ楽しみですね。当日のお昼頃、部屋に迎えに行きますね。」
「いやだからっ……」
「貴女との時間を堪能出来ることを楽しみに、仕事を頑張ってきますね。ではまた後ほど。」
「ねぇ、だから待ってって…………」
力なく放ったケイトの最後の言葉は届くことなく、ラケルは仕事へと戻って行ってしまった。
「どうして部屋から出ただけで、あの人とデートをする羽目になってしまうのよ…もう私は一生この部屋から出ないわ…食事もここに運んで頂戴…もうやだ…」
自室に戻ってきたケイトはソファーにだらしなく座り、ローラに愚痴をこぼしまくっていた。
そんな主人のために、ローラが紅茶と茶菓子をテーブルに用意する。
「あら、良いではないですか。ご夫婦でデートだなんて素敵ですよ。」
「・・・・・」
両手を合わせてにこにこ微笑んでくるローラに、ケイトはもう言い返す力も残っていなかった。
とりあえず昨日の夕飯だけでも部屋に運んでもらおうか…と、遠い目をしながら考えていたのだった。