嫉妬と牽制とトキメキと
この夜会は公式のものではなく、下位貴族の若者達による彼らの人脈作りのためのものだ。
そのため、仲間同士で談笑していたり、男女がペアになって仲を深めていたりと全体的にカジュアルな雰囲気で年齢層も低めであった。
そんな溌剌として楽しげな雰囲気の中、壁際でラケルの隣に立つケイトは、趣味仲間がひとりまた一人と個室に入っていく様を羨ましそうに視線で追っていた。
「はぁ…」
「何か悩み事ですか?俺でよければ話を聞きますよ。」
現在進行形で悩みの原因であるラケルに、ケイトが睨み付けるような視線を向けた。
「貴方が帰ってくれさえすれば、すぐに解決するのに。」
思わず本音が口をついて出たが、そんなことを気にする彼ではなく、近くにいた給仕係からグラスを受け取ると笑顔のままケイトの前に差し出す。
「どうぞ。」
フルートグラスに小さく切った桃が入っており、その中に白葡萄ジュースと炭酸が注がれている。女性向けのノンアルコールドリンクだ。真ん中に浮かんだミントの葉の香りで清涼感が増していた。
「…良い香り。」
「ケイトは桃が好きでしたよね。」
「だからなんで私の好みを知っているのよ…」
「それはもちろん、愛する妻のことですから。」
「・・・・・」
ケイトは、にこにこと当たり前のように言ってくるラケルを無視して、受け取ったグラスを一気に煽った。
アルコールは入っていないはずなのに、雰囲気で勢いのついた彼女が疑問をぶつける。
「こんな嫌がらせ、いつまで続けるおつもりですか?」
「嫌がらせ……?」
怖い顔をしたケイトを見ながらこてんと首を傾げたラケル。何を言われているのか全く検討がついていない顔をしている。
「人前で見せつけるように触れてきたり、無駄に執着してきたり…今日だって、貴方がいなければ私はいつものように趣味仲間との座談会に参加できたのに……!!私の唯一の楽しみなのよ…!」
日頃の恨みつらみを言葉にするにつれ感情が昂り、最後は堪えきれず声を荒げてしまった。
声の大きさにはっとして俯くが、胸の内を曝け出してしまったことに後悔はなかった。
(どうせ最初から愛のない政略結婚なんだから、言いたいことははっきり言えば良いのよ。相手にどう思われるかなんて気にする必要なんてない。これで相手も距離感を改めるはずだわ。)
「五人目。」
「……はい?」
隣に立つラケルに怒った様子はなく、急に謎のカウントを始めたためケイトの目が遠くなる。わけのわからない状況に目眩がしてきた。
(は………この人ほんとなんなの?人の話を聞いていない所ではなく、軽く頭がおかしいんじゃない?)
「ケイトに視線を向けた男の数です。今ここに俺がいなければ、話しかけていたかもしれません。腹立たしい。」
「は……………?そんなのあるわけ………」
「ケイトは鈍感ですからね。だから邸の外で一人にさせておけないのですよ。必ず目の届く範囲にいてもらわないと…心配と不安で呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうです。」
ラケルはこちらを見てきた男を視線で牽制した一方で、すぐ隣にいるケイトには柔らかな眼差しを向けた。
凍りつくほどの視線が一転、一気に春の暖かさを帯びてとびきり甘くなる。そのあまりに激し過ぎるギャップに、無意識にケイトの胸が高鳴った。
ートクンッ
(いやいやいやいやいや、何ときめいているのよ!別に好みだとかそんなことじゃなくて、綺麗な顔だから少し見惚れてしまっただけだわ。そうよ、これは美しい芸術品を見て気分が高揚するのと同じ原理よ。)
勝手に赤くなった頬を両手でパタパタと仰ぎながら、ケイトは心の中で必死に言い訳を並べた。
これは人として当然の反応であり、感情は何も動いていないのだと言い聞かせる。
そんなケイトを間近で見ていたラケルが、下唇に人差し指を添えて妖艶に微笑んだ。
「あぁこういう温度差があるのもお好きなんですね。心得ておきます。」
「ち、ちがう!別にそういうのじゃないんですって!本当に!!」
ケイトの鬼気迫る否定の言葉は、ラケルには「はい!大好物なんでもっとください!」のようにしか聞こえていなかった。
にこにこと微笑んだまま、至極満足そうに彼女の頭を撫でている。
「ケイト!こんなところに…って、隣にいるのって…うそ!?え…きゃあああああっ!!!」
少し遠くからケイトを見つけたエマが、ラケルの存在に気付き悲鳴に近い声を上げながら早足で近づいてきた。
頭を撫でているところも見ていたらしく、頬が紅潮している。
「初めまして!ケイトの友人のエマ・リンクッドです!こんな素敵な方が旦那様なんてっ………超絶イケメンで優しいなんて最高じゃない!」
息を弾ませながらキラキラとした瞳でラケルのことを見た。
そして、やるじゃん!と言わんばかりにケイトに向けて親指を立ててくる。
「もう!なんでこのタイミングなのよ……」
両手で頭を抱えたケイトが呻くように呟いた。
「初めまして、ケイトの夫のラケル・ヴェルデです。俺の妻がいつも大変お世話になっております。」
事務的な声質でラケルが一礼して挨拶を返す。
その表情は柔和なものの、ケイトに向けるような甘さは全くなく、仕事仲間に向けるようなそれであった。
「まぁ!!ケイト、本当に素敵な旦那様ね!見た目だけでなく声も素敵だし、振る舞いもスマートだし、こんな旦那様をゲット出来て羨ましいわ!」
「…ソウデスネ」
本人を目の前にして恥ずかしかもなく褒めまくるエマに、ケイトはやけっぱちで答えた。もちろん目は死んでいる。
「リンクッド嬢、世辞を頂くのは大変ありがたいのですが、妻に嫉妬されると困るのでこれくらいで収めて頂けると。」
「は?」
「あああごめんなさい!新婚さんに失礼でした。仲を拗らせたら大変ですもんね。気を付けます。」
「…いや拗れるも何も、別に仲良くないから。」
「いえいえ。まぁ、妻に嫉妬されるというのも悪くはないですが、無駄に心配をかけるのは良くありませんので。」
「だからなんで私が嫉妬する前提なの……?その自信はどこから来るの?」
勝手に進む二人の会話に抗議のツッコミを入れるケイトだったが、流されまくって聞き入れてもらえなかったのだった。