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今の私に必要なもの


悪夢のようだと思ったあの日の朝食は、序章でしかなかった。あの日を境に、朝夕は必ずラケルと共にすることとなったのだ。


彼の醸し出す真意不明の甘い雰囲気に耐えきれず、何度か仮病を使おうと思ったものの、その度に部屋まで様子を見にやってくるため、それが嫌で諦めたケイト。


今はとにかく心に蓋をし、これも政略結婚の宿命だと胃の痛くなる食事の時間を耐え抜いていた。

だがそれも1ヶ月近く続くと、さすがに心が疲弊してしまった。



「ちょっともう本当に無理……うぅ…気持ち悪い…」


朝食を終えて自室に戻ってきたケイトがベッドの上にうつ伏せで倒れ込んだ。

この胃もたれはラケルの甘さによるものなのか、ヤケで食べた昨日の夜食(サーモンパイにバターとチーズを乗せて再度焼いたもの)のせいのかも分からない。



「あんなジャンキーなものを真夜中に召し上がるからですよ。」


ローラは呆れながらも、ケイトのために消化を促すハーブを追加した特製紅茶を用意した。



「だって…何を言っても話が通じないし、やたら褒めてくるし、何を考えているか分からないし、そんなのやけ食いするしかないじゃない。…あの人ほんと頭がおかしいわよ。」


「そんな言い方、旦那様に失礼ですよ。」


ローラに嗜められ、ケイトは頬を膨らませて分かりやすく仏頂面をする。



「あ、そうだわ。」


急に何かを閃いたケイトが溌剌とした表情を見せた。勢いよくベッドから飛び降りてドアに向かう。



「今の私には花が必要よ。」


ああまたアレをなさる気ですか…と口の中だけて呟いたローラが、軽く鼻歌を歌いながら部屋から出ていくケイトの後を追った。今回はダイニングテーブルの上に並ぶ前に未然に防ごうと心に決めながら。



「この前の庭師、いないわね…」


庭園にやってきたケイトが辺りを見渡す。


ガゼボや小さな池もあるこの広々とした庭園では、使用人達の手によって毎日何かしらの手入れがなされている。もうすぐ夏ということもあり、芝の伸びるスピードは早く、小まめな芝刈りが欠かせない。それにも関わらず、いくら周りを見ても庭師の姿は見当たらなかった。



「ねぇ、庭師はどちらかしら?」


ガゼボへと続く幅の狭い小道の掃き掃除をしていた使用人が目に入り、ケイトは近づいて彼女に尋ねた。



「庭師…彼なら少し前に辞めたと聞いております。」


「辞めた?どうして?」


(あの若さで伯爵家に勤めていてそれなりに待遇は良かったはず…なにか不満があったのかしら?)


純粋に疑問に思ったケイトが尋ねたが、なぜか急に使用人の顔色が悪くなった。ひどく不安そうに瞳を揺らしている。

すると、ケイトの背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。



「俺が辞めさせました。」

「え?」


後ろを振り返ると悠然とラケルが立っていた。

不穏なことを口にしているのに、相変わらず顔は微笑んでいる。


主人の登場に、先程の使用人は逃げるように持ち場に戻って行った。ローラも空気を読んで自ら邸の中へと姿を消す。


美しく咲き誇る花壇に挟まれた石畳の小道に、ラケルとローラの二人だけが立っている。

色とりどりの花が咲く庭園で優しく天使のように微笑むラケル、それは本来であれば楽園と見紛うほどの明媚な光景なのに、彼の纏う空気がそうさせてくれない。


彼の背後からドス黒いオーラが漂っていた。



「理由、聞かないのですか?」

「…っ」


本能的に身を守ろうと半歩下がったケイトに、薄笑いを浮かべたラケルが一歩詰め寄ってきた。



「ケイト、貴女のせいですよ。他の男に色目を使うから。」


「なっ…そんなこと…………」


その時、ケイトとラケルの間を強い風が吹き抜け、彼女の言葉を掻き消した。


花壇の中に落ちていた枯葉が舞い上がり、パラパラと石畳の上に落ちた。一歩前に出た彼の厚い靴底に踏まれ、ミシッと音を立てて形を崩し粉々になる。



「次は許さない。」

「………っ」


わざと顔を近づけ、ケイトの耳元で低く囁いたラケル。

耳から入ってきた熱い吐息と共に、彼女の全身に戦慄が走った。込み上げる悲鳴を呑み込もうと両手で自分の口を塞いだ。



「なんて、少し冗談が過ぎましたね。また夕飯の時間に会えるのを楽しみにしています。」


ポンポンと優しい手つきでケイトの頭を撫でると、頭のてっぺんにキスを落とす。満足そうに微笑んだラケルは、軽い足取りで邸の中へと戻って行った。



「え、今の冗談だったの………?」


呆然とした顔のケイトだけがその場に取り残される。



「腹立つわね…………………………」


小さくなる彼の後ろ姿を鋭く睨み付け、爪が皮膚に食い込みそうなほど強く拳を握りしめた。



「ケイト様っ、大丈夫でしたか?」


ラケルが去るのを見届けたローラが息を切らして駆けつけた。軽く肩を上下させながら心配そうにケイトの表情を窺う。

ラケルのただならぬ雰囲気を察し、害をなされるのではないかと気が気で無かったらしい。


だが、今のケイトは恐怖よりも怒りの感情の方が勝っていた。



「大丈夫じゃないわよ!一方的に揶揄われてばかりで腹が立ってきたわ。何かやってやらないともう気が済まないわよ!」

「あれは…」


(あれは間違いなく本気で執着されていると思いますが…今伝えるのは薮ぶさかですね)


ローラはいつもの冷静さを取り戻し、言いかけた言葉を飲み込んだ。

主人の身の安全のため、激昂する彼女を鎮めるための最適解を頭の中で思案する。



「そういえば、また例の夜会の招待状が届いてましたよ。参加で返信して良いですか?」


「もう次がやって来るのね!もちろんよ。あぁ今から楽しみだわ!」


ぱっと表情が明るくなり、きらりと瞳を輝かせたケイト。

あっという間に彼女の関心はあの小説の世界へと移り、好きなシーンに想いを馳せて胸をときめかせていた。次はどんなことを語り合おうかと考えを巡らせている。


無事ラケルへの仕返しから関心を逸らすことが出来たローラは、人知れずほっと安堵の息をついていた。



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