変転する世界(セシル視点)
(グレン・ディース、グレン・ディース、どこかで聞いたことがあるような……)
目の前の聖騎士が名乗ったのはどこかで聞いたことがある名前だった。なんとなくだけれど、以前に王都の駐屯地で耳にしたような気もする。
まぁなんにせよ、今の状況から言って、私から革袋を盗んだのはこのグレン・ディースという聖騎士の可能性が高い。つまり私の正体を知って接触してきたと考えるのが妥当だろう。
グレン・ディースの「街を案内します」という申し出を断り、もう一度お礼を言ってから私を一人で歩き始めた。混ぜ物をされてないことが分かったから解毒薬を飲むと、徐々に重い体が和らいでくる。
案の定、グレン・ディースは私の跡をつけていた。ただ、それほどうまい尾行とは言えない。秘匿の聖術を使用していないから気配が強すぎる。もしかしたら意図的に私にその存在を知らせているのかと思い、私は逆に秘匿の聖術を発動し、足を早めた。
(昔からレオンとたくさん遊んでいたから、見かけによらず追いかけっこは得意なんですよね)
賑やかなバザールを抜け、冒険者街に入る。間違いなくグレン・ディースの方がこの街に詳しいわけだから地の利はあちら側にある。
さてどれくらいの実力の持ち主なのだろうと街を歩いていると、呆気ないことにほんの数分で私はグレン・ディースを撒いてしまった。遠くからでも彼がバザールの人混みの中でキョロキョロと私を探しているのが手に取るようにわかる。
(一体、何が目的だったんだろ……)
屋根に飛び乗り、街の中をフラフラと歩き始めたグレン・ディースを見下ろしながら私は一人困惑していた。今回の聖騎士の拘束に関わっているとされるベルナール聖騎士団の一人にしては、能力が欠けているように見える。
もしかしたら別の目的があったのかもしれないけど、私にはこれ以上遊んでいる時間がない。とりあえずのところグレン・ディースの追跡は取りやめ、元の任務に戻り情報を集めることにした。
次の日、私はベルナール聖騎士団の駐屯地に潜入した。秘匿と幻惑の聖術を併せて発動すれば、駐屯地を歩いたとしても彼らに私の存在はまず感知されない。
手始めに複数の聖騎士を聖術で半催眠状態にした上で事情を聞いた。下級から上級の聖騎士、様々な人の話を聞けたが、彼らは王都聖騎士団の聖騎士が拘束された事実すら知らなかった。全員が全員、辺境地での作戦は継続中だと認識していたのだ。
一つ気になるのはベルナール聖騎士団の上層部、シーシア聖騎士団長をはじめ精鋭の聖騎士たちが不在だということ。何か特別な任務についていると思われるが、駐屯地に残る聖騎士たちは彼らの不在に困惑している様子だった。
次に私は思い切って団長室に足を運ぶ。当然のことながら、団長室の扉は強力な聖術で封印がなされていた。
(部下の聖騎士を救うため。シーシア聖騎士団長、申し訳ない)
背徳的な負い目を感じながら私はさらに強力な聖術で部屋に張られた結界を解いた。そして主のいない聖騎士団長室に私は足を踏み入れる。
室内は私が使う団長室とさほど変わり映えがしない。執務用の机と椅子に書棚、あとは長椅子があるくらいのものだ。私は検知の聖術を発動し、この部屋に保存されているはずの機密資料を探した。そして、程なくして書棚の一角に隠し金庫が収まっているのを見つけた。
やはり金庫には聖術で他人が中を開けられないよう封印がなされている。しかもかなりトリッキーな聖術だ。聖術で封印を解いたとき、強い念のようなものを感じたので私は剣を抜いた。
私の前に現れたのはシーシア聖騎士団長が聖術で作り出した三人の守護兵。封印を解こうとした時、物理的に解除者を攻撃するよう聖術が組み込まれていたらしい。
私は一斉に振り下ろされた三人の斬撃を双子剣で受け止めつつ、聖言を詠唱する。
その間も容赦なく守護兵たちは剣を振るってきた。金庫を守るには通常考えられないくらい強力な聖術だ。私は斬撃を払い除けつつ、「散逸」の聖術を発動した。
程なくして三人の守護兵は光の渦に飲み込まれ、文字通り散逸していく。対人で発動すると瞬く間に人間が肉片となって散逸するという、そうそう使えない聖術ではあるが、こんな場面では大変便利だ。
剣を鞘に収めると、封印が解かれた金庫を開け、中に入っていた書類の束を机の上に広げた。
機密文書はおおよそ私が王都で目にするものと似ていた。枢機卿と男爵夫人の姦通、異端審問官が辺境民の娘を妊娠させた際の報告書。王都でもさまざまな醜聞が起きているけど、この土地でもそれは同じようだ。
その他にも苛烈な異端審問記録など、世に出回ってはいけない情報が巡っていくが、今回の件と結びつく文書は見当たらない。それでも私は重要な何かを見落としたというような違和感を覚えていた。そして、もう一度最初から機密書を読み返しているうちに、聞き覚えのある名前を見て文書をめくる手が止まった。
「グレン・ディース……」
とある不正賄賂に関する調査を執り行った聖騎士は、昨日会った奇妙な聖騎士の名前と同じだ。そしてこの文書こそが私が覚えた違和感の原因。おそらく、暗号文だ。
その見立て通り、解読の聖術を発動すると、文字が自動的に入れ替わっていく。新しく生成された文書は公的なものではなく、シーシア聖騎士団長の雑多なメモのようだった。
そして読み始めてすぐに、私は言葉を失ってしまった。書かれていることがあまりにも途方もない話なのだ。
今回の太陽の民の蜂起の首謀者が昨日会ったグレン・ディースだというのは驚きだけど受け入れることにした。だけどその出自が問題だ。
(嘘でしょ、ヴァルデリオン国王の血が流れているなんて……)
しかも母親は太陽の民の前族長ノエラ・セイレン。つまり、シア・セイレンの母親だ。そんなこと信じられるわけがない。
私は半信半疑のまま文書を読み進めた。
ただ、読めば読むほど、ここに書かれていることは単なる創作なんてものではなく、シーシア聖騎士団長が実際に見聞きした内容であることがわかってきた。同じ聖騎士団長として葛藤するシーシア聖騎士団長の苦悩が手に取るように分かる。
グレン・ディースが太陽の民とつながっていることが判明した後も、ベルナール伯爵はグレン・ディースの王位継承を諦めてはおらず、シーシア聖騎士団長に隠蔽工作を指示する。
その一方で、シーシア聖騎士団長はシア・セイレンとの二者会談の場を取り持つことに成功する。その時のことをシーシア聖騎士団長はこう記していた。
「私としては辛い立場ではあったけれど、グレンの望みであるシア・セイレンとの婚姻を進めることによって、今回起きた両者間の対立を和らげられると考えた。ベルナール伯爵とは考えが異なるが人民のために動くべき時だった」
「しかしシア・セイレンはその条件に首を縦に振らなかった。曰く、自分はドン・ミチーノと呼ばれる西の都で生まれた新たな王と連帯する定めにあると……」
そして王都から派遣された王都聖騎士団の部隊がこの地に着任する。王都聖騎士団の部隊は私が報告を受けていた通り、多少手間取るものの蜂起する太陽の民を効率よく捕縛していった。
しかし、ここで私が想定していなかったことが起きた。シーシア聖騎士団長の筆致は震えていた。
「グレンに王のスキルが発現してからというものの、私は彼の命令に背けなくなってしまった。彼が使う王命は私が聖騎士団で培った忠義心に顕著に作用する。そして、私は王命のまま、太陽の民が待ち受ける峡谷に王都聖騎士団の部隊を連れていき、彼らに捕縛させたのだ」
「さらに私はグレンの王命のまま二十三人の精鋭をナイメリア霊廟に派遣した。グレンが聖女と王による魔封を解き、ナイメリア霊廟がダンジョン化していることを知りながらも。そして尊い命は失われた」
文書の最後はこう書き記されていた。
「昨晩、グレンからシア・セイレンとの婚姻を邪魔するドン・ミチーノを殺せとの王命を受ける」




