戦の予兆
太陽の民の隊列が完全に視界から消えると野営をして、シーシアと交換で見張の番をしながらひとときの休息を取る。そして朝の太陽が荒野を照らす前、まだ微睡んだ顔をするニーナを促して出発した。
時折、太陽の民が警戒に使うサウザンイーグルの姿が視界に入る。存在に気づかれないよう、スキルで姿を消しながら道を進んだ。
(それにしてもカノの存在はありがたかったんだな)
「夢幻術数」といった高度な異端スキルほどではないが、姿を消すことができる「シャドーウォーク」も常時発動し続けると体力が消耗していく。そのため姿を消したり、消さなかったり、臨機応変に旅路を進める必要があるが、もしカノがいたらこんな苦労をしていなかっただろう。
そして、荒野で警戒すべきなのは太陽の民だけではないようだ。歩き始めてから数刻が経った頃、狼の群れに出くわした。数は五頭。見ると王都近くの平原で見るような狼とは毛並みが違う。狼の体は異様に大きく、毛は針金のように固く尖り、呼吸するたびに口から赤い炎が吐き出された。
シーシアは剣を抜いた。
「気をつけろ。辺境地の獣には魔物の血が混じっている。ただの狼だと思っていたら喰い殺されるぞ」
「ああ、そうらしいな」
俺はそう言って狼に近づいていくと、シーシアは声を上げた。「怪我じゃ済まないぞ、ドン・ミチーノ!」
俺は黙ったまま、唸り声を上げる狼の前で足を止めた。
(さて問題は今の俺がどれくらい戦えるのか、その一点にある)
猫と戯れる程度にサイードファミリーのチンピラを可愛がってやったのを除けば、実戦は巨石城の夜以来だ。俺は異端者の王の能力の一つを思い出しながら拳を構えた。
(王の増強 忠誠を誓わせた異端者の能力値を自身に自動付加する)
現在ミチーノファミリーに在籍する異端者は総勢五十名。当然、全員が俺に忠誠を誓っている。一体、自分がどれくらい強化されたかも実は分かっていないのだ。
そして目の前の狼が飛び上がりながら牙を向けた時、俺は拳を振るった。
次の瞬間、俺の拳は空を切った。拳に何か当たった感覚もまるでないが、目の前の景色だけが大きく変わっていた。
シーシアの当惑を多分に含んだ声が聞こえる。
「おいおいおい、嘘だろ。どうなってるんだ……」
乾いた大地はクレーターのように大きくえぐれ、中心部にはピクピクと痙攣する狼たちの姿があった。スキルを発動したわけではない。俺の能力に加算された五十人の異端者の総力がこれをやってのけたのだ。
俺は革袋からポーションを取り出して、倒れる狼に振りかけてやる。しばらくすると狼たちはフラフラっと立ち上がり、弱々しい足取りで逃げて行った。当の俺は冷や汗ものだ。
(もう少し力をこめてたら大地に血のプールができていた……気をつけなければ)
振り返ると、シーシアは言葉もなく目を見開いていた。
俺は言った。
「ニーナ、シーシア、先を急ぐぞ」
すでに俺たちは太陽の民たちが住む辺境地の腹の中にいるようなものだった。石組みの荒屋が連なる小さな集落や、ラクダに乗る行商人、狼を追う狩人。様々な太陽の民たちとすれ違う。
姿を消していない時に野生の狼やサーベルタイガーにも出会ったが、俺の拳とニーナの魔術があれば一瞬で追い払えた。俺たちの能力に最初は驚いていたシーシアも、いつしかこういうものなのかと受け入れたようだ。
そして先を進むほど、シーシアの表情は厳しいものとなっていった。
それも仕方がないことだ。昨晩見たあの太陽の民の隊列が暗示していたこれから起こるであろう、戦の予兆が至る所で広がっているのだから。武装をし、隊列を組む太陽の民の集団を俺たちは何度も目にした。彼らは皆、東の方角、つまり聖女の壁に向かって行軍していた。
俺は言った。
「こうなることが分かっていながら、ベルナール伯爵は事実を隠蔽し続けてきたのか?」
シーシアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「伯爵様には伯爵様の考えがあったのだ。私はそれに従うまでだ。それにここまで急速に太陽の民がまとまるとは想定外だった」
シア・セイレンもそうだが、歴代の太陽の民の族長は小さなクランの自治権を尊重し、大きな組織にまとめ上げるようなことをしてこなかった。しかし俺たちが目にしているのは一つの意思を持った軍隊とも呼べる組織だ。
これだけの太陽の民が一度に聖女の壁に押し寄せてきたら、ベルナール聖騎士団だけでは対応できないのは明らか。それはつまり、ベルナール領に住む一般市民の血が流れることを意味する。
本来であれば王都聖騎士団の大隊が着任していてもおかしくないはずだが、グレン・ディースに王位を継承させる、そんな野心を持っていたベルナール伯爵の隠蔽工作によりそれも叶わなかったわけだ。
それからも太陽が照りつける中、あるいは満天の星の下、俺たちは歩き続けた。途中でキャンプを張り、用意しておいた干し肉とパンを食べて腹を満たす。それからしばしの睡眠をとってから、また歩き始める。
そして三日後の夕刻、俺たちはナイメリア霊廟が見渡せる丘に到着した。夕日が照りつける丘に立った時、シーシアは顔を歪めて立ち尽くした。
荒野には地下へと続く巨大な霊廟門が聳え立っていた。門は固く閉ざされているが、その周りでベルナール聖騎士団の甲冑を着たアンデッドたちが行くあてもなく彷徨っていた。
先日全滅したというベルナール聖騎士団の精鋭達なのだろうが、肉が削げ落ち、口から緑の液体を滴らせるアンデッドたちはその甲冑しか生前の面影を残してはいない。
シーシアは唇を噛み締め、彼らを言葉もなく眺めていた。
俺は言った。
「剣を抜け、シーシア。任務に命を捧げた彼らを俺たちの手で弔ってやろう」
シーシアはそれから半刻、何も言わず体をかためた。そして決心がついたのか静かに頷いてから、背中の剣を抜きながら「ドン・ミチーノ、お前ほどの男なら何かを変えられるかもしれないな」と言った。
「彼らを弔った後で、今回の一件でまだ話していなかった事実を伝えよう」




