シア・セイレンの訪問
肩にかかる銀髪の髪、透き通った碧眼。この若い女が今現在起きている辺境民反乱の首謀者だとはすぐには信じられない。
後ろには屈強な体格をした浅黒い肌の男が二人おり、女を含めて全員の頭上にはもやがかった古代文字が浮かんでいた。
能力は判然としなくても、三人から漂う気配からして只者ではないことは明らかだ。
俺とシア・セイレンが向き合って座る場所からは、忙しく聖騎士たちが行き来している姿が見える。
通りからこの客室を目を凝らして見ればシア・セイレンの姿を認めることもできそうだが、誰一人としてこちらに気にかけようとするものはいない。
まぁ俺が巡警担当の下っ端の聖騎士だったとしても、こんな安宿に敵軍の指導者が潜んでいるなんて想定もしないだろうが。
俺は視線を目の前のシア・セイレンに戻した。それにしても一体、この女の訪問は何を意味していると言うのだろう。
最初に口を開いたのは彼女の方だった。しばらく俺の目を食い入るように見つめていたシア・セイレンは静かに言った。
「お会いできて光栄です、ドン・ミチーノ。長旅でさぞお疲れのところ、押しかけるような形となり大変申し訳ありません」
「別に俺は構わないが……」
もしあなた方が聖騎士団に見つかったら、数日後、聖女の壁に三人の雁首が並んでいても不思議じゃない、そんな言葉がでかかったが俺は幾分ソフトに返答した。「命を大事にしたいなら、壁外に帰ったほうがいいと思うが」
シア・セイレンは微笑を浮かべる。
「あなたと会うことは私にとって命を賭するほどの価値があるのです。そして何より、太陽の民の長として、ドン・ミチーノ、あなたに感謝を伝えなくてはならないのです」
「何を話しているか分からないな。あなたに感謝される理由など全く思い当たらないが」
「ベルナール領の主席異端審問官を長らく務めていた人物はあなたもよくご存知のことでしょう」
そう言われて暗い地下通路で涙を流す一人の男の姿が浮かぶ。
(なんでもしますから助けてください……殺さないで欲しい……)
「ああ、トルケマダ・スロブリンだな」
シア・セイレンは頷いて答えた。「彼がこの地でどのようなことをしてきたかもよくご存知のはずです」
もちろん元聖騎士である俺はトルケマダがこの地で何をしてきたかはよく知っている。トルケマダが教皇庁の秩序体系外にいた辺境民に対しても異端審問の対象とし、類稀な数の異端者の命を奪ったことは有名な話だ。その結果、地方の異端審問官に過ぎなかったトルケマダは王都の教皇庁所属の主席異端審問官に推挙されるという異例の出世を遂げた。
「トルケマダ・スロブリンが冥府に赴いたという一報が届いたとき、どれだけ多くの民の眼から歓喜の涙が流れたか、あなたはもちろん知らないことでしょう」
シア・セイレンがそう言って恭しく頭を下げる。
俺は「おいおい、頭など下げないでくれ」と言った。
「なぜあなた方がそのことを知っているか分からないが、感謝されても困る。俺たちは依頼を受け、金のために仕事をしたに過ぎない。それから俺たちに依頼があるという話だが、残念ながら引き受けることはできないぞ」
「……なぜでしょう?」
「ここは他のファミリーの縄張り。我々がこの地で仕事を引き受けることはルールに反するわけだ」
「王都を支配下に収めたあなたにとってこの地の闇ギルドなどとるに足らない存在ではありませんか」
「例えそうでも引き受けるわけにはいかない」
そう俺が言った時、窓の外から騒がしい声が聞こえてきた。
「聖女セシル様の名にかけて穢らわしい異端者に罰を! 苛烈な死を!」
宿の前の路地には昼間と同じように聖騎士に囲まれて連行される異端者たちの姿がある。石を投げられ、罵声を浴びせられる異端者たちは皆一様に下を向いていた。
シア・セイレンはじっと外を見つめながら言った。「辺境民の異端者というだけで彼らは皆、すぐに嘆きの川を下り、冥府に赴くことになる。見ての通り、まだ年端がいかないものもいます」
「それは異端審問の結果次第でしょう」
「あなたが知らないはずがないわ。この地で異端者がどのような扱いを受けるかを」
それはシア・セイレンの言う通りだ。この地の異端審問の結果は一つ、死しかないのだ。そしてシア・セイレンの思惑が少しずつ透け見えてきた。
「まさか我々に彼らを救い出せというんじゃないだろうな。つまり、聖騎士団に剣を向けるあなたたちの味方になれと」
シア・セイレンはしばらく黙ってから、言葉を選ぶかのようにゆっくりと言った。「あなたに助けてほしいと言う意味ではそうかもしれません。ただし、今起きている事態は敵や味方で区別できるほど単純なものでもないのです」
シア・セイレンは宿に備え付けてあるテーブルに映し絵を数枚置いた。そこに広がる光景を見て俺は思わず息を呑んだ。
映し絵には先日派兵された王都聖騎士団の部隊、かつての同僚や先輩聖騎士が映っている。男たちの体には過酷な拷問受けたことを示す傷が刻まれ、彼らの横では女の聖騎士たちが見ぐるみを剥がされ、辺境民の男たちになすがままにされている。地面に付着する血液からして、純潔が奪われてしまったのは明らかだ。
シア・セイレンは言った。
「このような野蛮な行為は太陽の民が受け継いできた戒律によって厳しく禁じられております。しかし今の状況においては戒律などという古い足枷はもはや意味を成さず、長である私でさえ彼らを統御することができないのです」
「それはわかるが、どうしてこんなことが……」
辺境の民がこれだけの聖騎士を捕縛するなど、普通であれば不可能な話だ。そもそも王都にいた時から疑問だったのだ。一体なぜ、蜂起の鎮圧などにこれほどまでに手間取っているのかと。
そして映し絵を見ているうちに一つのことに気づく。王都聖騎士団所属の女聖騎士を暴行する男の中に知っている顔が紛れているのだ。
その男はベルナール聖騎士団所属の聖騎士。彼は一度王都の駐屯地に滞在したことがあるから知らない仲じゃない。当然、王都聖騎士団と連帯して辺境民と戦っていなければならない人間だ。なぜこの男が俺の先輩である女聖騎士に辱めを与えているというのだ。
「一体、この地で何が起きているんだ?」
シア・セイレンは「それは王都で起きたことと同じです」と言いながら俺の左手を握った。
「聖女と王を巡る戦いです」




