西の街へ
俺と魔王の器ニーナは馬に跨り、延々とつづく西の街道を進んでいた。西に進めば進むほど太陽がジリジリと体を焼き、汗が吹き出す。
最近ではドン・ミチーノは王都の裏社会を操っているなどと言われているらしいが、当の俺は相も変わらず依頼を受注しては汗をかく日々。それも仕事量が以前と比べようもないので休む暇すらないのだ。
今回の依頼主は王都の闇商人で「西の地帯を治めるベルナール伯爵領に小包を届けてほしい」とのこと。例の部族の蜂起以降、西の領地の治安が急速に悪化しており一般の冒険者ギルドも運搬の仕事を引き受けたがらないらしい。そういうわけで、俺たち闇ギルドに仕事が回ってきたわけだ。
今回は魔王問題で何かと王都内で行動が制限されるニーナを気分転換になればと思い連れてきた。
そして俺の目論見通り、ベルナール領の最大の街「ナシーム」が見えてくると、ニーナは目を輝かせた。
それもそのはず。降水量が少なく、年中乾いた風が吹き荒ぶベルナール伯爵領の風景は何もかも王都とは違っている。赤岩で組まれた独特な家屋やこの地方でしか見ない太陽の木を見るたびに、王都の修道院で暮らしてきたニーナは好奇心いっぱいの表情を浮かべた。
特に活気のある市場には王都では見慣れない食べ物が並ぶ。ニーナは果物を差しながら言った。
「ドン、これなに? 食べれるの?」
「バテッカという果物だよ。雨の少ないこの地方の大事な水分補給手段だ。食べてみたらいい」
俺は腰布から銅貨を出して頭にターバンを巻く屋台の親父にバテッカを切り分けてもらった。
ニーナはしばらくじっとバテッカを見てから、一気に頬張った。滴る果肉を噛み締めるたびにニーナの表情は綻んでいく。
「ドン、これすごく美味しい」
おそらく、こんなに無邪気に果物を食べる少女が、王都の神学界を騒がせている張本人だとは誰も思わないだろう。
もちろん旅装束をきた俺を見て、ミチーノ・ファミリーのドンだと見破ることができるものもそうはいないはずだ。そしてそれはこの街にいるにあたって好都合なことでもある。
当然、どの町にも表と裏の顔が存在する。この街を牛耳るのはサイード・ファミリーという闇ギルドで、複数のファミリーが勢力争いをする王都と違って一強独占しているというのは有名な話だ。もちろん俺たちのような余所者の闇ギルドがうろちょろすれば、いい気分はしないのは当然のこと。無用な争いを避けるために、できる限りただの冒険者を装わなければならないのだ。
「なんにせよ、まずは宿の確保だな」
長い道中、ろくに風呂付きの宿屋が見つからず、もう何日も体を流していない。依頼の品を商人に届けるにあって、多少清潔感も欲しいところだ。
ニーナがバデッカを食べ終えると、俺たちは今度は宿屋街の方へと足を向けた。
賑やかなバザールを抜け、冒険者街の宿をあたるが風呂付きの部屋は全て満室だ。ここは多少奮発することになるが高級宿に泊まろうかと考えながら街を歩き回っていると、思わず足が止まった。
俺たちが足を踏み入れたのは清浄の広場と呼ばれるこの街の中央にある賑やかな場所。この土地の治安を司る聖騎士に連れられて歩く男女が視界に映った。
男女は皆一様にボサボサの髪で穴の空いた貧相な布だけを纏っている。手首には木製の手枷が嵌められ、腰には逃げれないよう縄が巻かれていた。
通りを歩く人々はありありと軽蔑心を含んだ視線を彼らに送り、中には石を投げつけたり、唾を吐くものもいる。
そして示し合わせたかのように、次第に騒がしい掛け声が広場を占めていった。
「聖女セシル様の名の下に穢らわしい異端者に罰を! 苛烈な死を!」
その光景を前にしてニーナは不安げな表情を見せた。王都ではこれほど露骨に異端者が人々の面前で罵倒されることは少ないからだ。
「ここは西の辺境部族たちの脅威に常に悩まされてきた土地柄だから異端者に対する弾圧もさらに強いんだよ」
清浄の広場の中心には立派な聖女セシル像が立っていて、祈りを捧げる人々の姿も目に映る。過酷な環境下にあると、聖女信仰もより強くなる傾向があると聞いたことがあるが、この街はその典型だ。
それからなんとか風呂付きの宿を見つけ、汗を軽く流した後、王都で受け取った小包をこの街の商人のもとに届けた。
俺たちに舞い込む依頼は面倒なものが多いのだが、今回はあっけなく小包を先方に届けることができて依頼が完了した。
定食屋で異国の料理に舌鼓を打った後、宿に戻ると珍しくゆったりとくつろぐ時間ができる。
同室で泊まることになったニーナは旅の疲れからかベッドに寝そべるとすぐにすやすやと寝息を立て始めた。
俺は客室の窓の横にある椅子に座り、異国の夜の風景を見渡す。夜の帷が降りても街は昼と変わらず人でごった返している。
一方で、街の最果てには国全体を守る巨大な「聖女の壁」が聳え立ち、なんともいえない静けさに包まれていた。
あの向こうには辺境が広がっていて、そこでは派兵された王都の聖騎士たちが辺境民と戦闘を繰り広げているはずだ。
しばらく外の風景を眺めていると、客室の扉がトントンと音を立てた。宿の人かなと立ち上がるが、いつ間にか俺は近くに立てかけられていた双子剣の柄を握っていた。
(なんだこの気配は?)
今の今まで気づかなかったが、ゾクリと嫌な気配を扉の向こうで感じたのだ。それも王都で感じたことはない異質な気配だ。
そしてまた扉がトントンと音を立てた。俺は息を殺して、客室の扉をじっと見つめる。武装した何者かが三人。おそらく異端者。どんな形であろうとこの異国の地で戦闘行為は避けたかった。
新しく覚えた「夢幻術数」で眠らせてしまおうか、そう考えていた時、脳裏に声が響いた。女の声だった。
「ドン・ミチーノ、私はあなたと敵対するものではありません。あなたに依頼があって訪れたのです」
続いて女は自分の名を告げた。その名は「シア・セイレン」、この度の辺境民反乱の首謀者の名だった。




