レイモンド王子とレオン(三人称視点)
レイモンド王子は一人取り残された寝室で「リリー! セシルをここに連れ戻せ!」と叫び続けていた。
リリーは媚薬漬けにされており、どんな要求でもすぐに応えてくれるレイモンド王子の最も可愛がっている愛人だ。それなのに、全く反応がない。
城内で戦闘でも起きているのか、時折城が大きく揺れる。一体何が起きているのかレイモンド王子にはさっぱり分からなかった。でも王子にとって城内の状況などどうでもいいことだ。
レイモンド王子の頭にはセシル・ウェイブとの性交のことしかない。目には薄手の聖衣だけを着たセシルの神秘的な姿が焼きついている。セシルにたっぷりと種付しなければ一睡だってできそうにないのだ。それなのに肝心のリリーから何の反応もない。
リリーは眠っているのかもしれない、そう思い部屋を出ようとした時、寝室に備え付けられているクローゼットの扉が静かに音を立てた。
扉から出てきた人物を見て、レイモンド王子は言葉もなかった。リリーの手を引いて出てきたのはあのレオン・シュタインだったのだ。
レオン・シュタインを間近で見ていると、レイモンド王子は怒りで頭が沸騰しそうになる。目の前にいるのは初恋の相手、そして今でも心を寄せる幼馴染を自分から奪い去った男。権力を握る自分に屈辱を味わせ続けている張本人があろうことかリリーの手を握っているのだ。
気づくとレイモンド王子は口から泡を飛ばしながら怒声をあげていた。
「リリー! この男を眠らせろ! 僕自ら、レオン・シュタインを始末する!」
この男さえいなくなれば、セシルは自分のことを好きになってくれる。そんな理屈の成り立たない考えをレイモンド王子は抱き始めていた。
ただ、いつも命令に忠実なリリーに反応がない。レイモンド王子は繰り返し言った。
「聞こえないのか!? リリー! レオン・シュタインを眠らせるんだ! この無能で、どうしようもないクズを眠らせることくらい容易なはずだ!」
リリーは思っても見ない反応をした。レオンの手を引いて言ったのだ。
「レオンさん、いきましょう。やっぱり王子の精神操作の影響が少し残ってます。ここにいるとスキルの解除が阻害され、皆を起こすのに時間がかかります」
レイモンド王子はリリーの態度を見て呆気に取られた。骨の髄まで媚薬が染み込んだリリーが自分を無視してレオンと会話するなんてありえないこと。余程の強い力が働かなければ、リリーの心は解放できないのだ。
「リリー! レオン・シュタインに何をされた!? スキルの解除とはどういうことだ!?」
リリーは答えずにレオン・シュタインの顔を不安そうに見つめた。その表情にレイモンド王子の心は再び掻き乱された。
そうだ、あの時のようだ。
まだ幼少の頃、レオンとセシルが二人で凱旋広場を歩いているのを馬車から見かけた時に覚えた激しい嫉妬心。今でもあの光景を思い出すと、大事な人を寝取られたような気分になるのだ。
レイモンド王子は声を張り上げた。
「リリー、僕が君のことをどの娘よりも可愛がってきたのはよく知っているはず! 命令を聞きたまえ! 今すぐその汚い男の手を振り払うんだ!」
リリーは俯いて何も答えようとしなかった。レオン・シュタインが無言のままリリーの手を引いて寝室の出入り口にまで連れていこうとした時、ついにレイモンド王子は我を失った。
レイモンド王子はベッドのそばに立てかけられた長剣を掴み、レオン・シュタインの背中に襲いかかる。
「無能馬鹿のお前など、僕一人で十分だ!」
しかし王子の意図に反して剣先はレオン・シュタインの背中に届かなかった。突然、目の前に想像だにしない異形が現れたのだ。
レイモンド王子を見下ろすのは巨大な軍馬にまたがる顔のない騎士。魔王時代に存在したとされるデュラハンというアンデッドだ。デュラハンに剣を突きつけられると、レイモンド王子は思わず震え上がってしまった。
レオン・シュタインは背中を向けたまま言った。
「これでも叙任式の日、王家に絶対の忠義を誓った身。命までは取りたくはありません。しかしあなたには聖騎士を疎かに扱うことの意味を分かってもらわないといけない」
その声と共に、王子は突然身動きが取れなくなる。見ると背後からスケルトンが出現し、王子の体を取り押さえているのだ。地面からはさらにもう一体のスケルトンが現れる。その醜悪な魔物は地面に落ちていた小瓶を手にした。レイモンド王子はゾッとするしかなかった。
「やめろ! まさかそれを僕に飲ませるつもりじゃないだろうな!」
レオン・シュタインは何も答えず、寝室を出ていった。レイモンド王子は叫び声を上げた。
「レオン・シュタイン! これは命令だ、僕を助けろ! それは聖女の精神すら狂わせる劇薬! 僕が飲んだら取り返しのつかないことになるぞ!」
王子の命令は虚しく、レオンとリリーが戻って来る様子はまるでない。続いてレイモンド王子は近衛騎士に助けを求める。しかし日頃王子を守ることに命を捧げる聖騎士は一向に姿を現さない。それは当然のこと。レイモンド王子の命令でリリーが眠らせてしまったのだから。
そうこうしてるうちに、背後にいるスケルトンが王子の口を大きくこじ開けた。レイモンド王子は体を捩らせた。
「やめろ! やめろ! やめろ!」
レイモンド王子の口に小瓶が近づいて来る。王子は失禁していることも気づかずに声を上げ続けた。「セシル! 助けてくれ! 僕はこんなものを飲みたくない!」
そんな王子の絶叫はドロリとした液体が舌に触れた瞬間止まる。この薬は聖女の力を奪うべく、ルイ・カポネが特殊異端者に調合させた劇薬中の劇薬。王子の意識を奪い去るのにはほんの一滴で十分だった。
王子の絶叫が消えた時、まるで全ての人も同時に消えてしまったかのように、城内は厳かな静謐に包まれた。ただそれも一瞬。眠りについた巨石城は再び目を覚まし始める。
宮廷楽団が奏でる幻想夜曲が流れはじめると、眠らされたことさえ気づいていない貴族たちの賑やかな歓談が大広間に広がった。
城門を守る聖騎士は顔を上げ、執事たちは空いたグラスに温くなった酒を注ぐ。深更を告げる大聖堂の鐘の音を聞くと、もうこんな時間かと不思議に思うものの、国の危機が過ぎ去ったことなど彼らは知る由もない。
もちろん、彼らは王都史に残るほどの歴史的な夜が続いていることだって知らないのだ。
ミチーノファミリーとカポネファミリーのトップであるドン・ミチーノとルイ・カポネが巨石城内で二者会談を行い、電撃的に手打ちをしたこと。大商人であるルートヴィッヒ頭取が全ての商権利をミチーノ商会に移譲した上で、妻と大事な一人娘リリーを客船に乗せ、朝日が昇る前に異国に旅立ったこと。
何より、聖女セシルと魔王マニーナが顔を合わせたこと。眠っていた彼らには何一つ知る由もなかった。




