夢の記憶 (セシル視点)
夢から覚める間、レオンは「スキルが新たに解放した今の俺だったらリリーを制御できるかもしれない。セシルは聖騎士団長としての職務を果たせ」と言った。
私は混乱しながらレオンの手を握るしかできなかった。何か伝えたいのに、言葉にならない。私はただただ、レオンがカポネの異端者に囲まれてやってのけたことに圧倒されていたのだ。
かつて魔王が自在に操ったとされる、スケルトンやデュラハンといったアンデットがレオンのスキルで大量同時生成され、私たちを守った。それは控えめにいって異様な光景でしかなかった。
無数の異端審問に立ち会ってきた聖騎士団長の立場から判断すると、レオンはただの異端者ではなく、特殊異端者だ。それも王都史に残るほどの能力だと見て間違いない。当然、異端審問の結果は目に見えていた。
でも今はそんなことより、レオンに何か声をかけたかった。レオンは誰よりも聖騎士になることを望んできた。その彼に異端スキルが発現したことはあまりに残酷としか言えない。
それなのに言葉にならない。そうしている間にも、徐々に夢は薄れていき、私の手を握るレオンの存在が遠のいていった。
せめて少しでも長くレオンと一緒に留まっていたい。その願いとは裏腹にレオンは消えていった。そして夢の記憶も少しずつ朧げになり、遠ざかっていく。いやだ、たとえ夢だとしてもレオンと一緒に懐かしい学舎を走った記憶だけでも消えないで欲しい、そんな声にならない言葉と共に目を覚ます。
目を見開いた私はゾッとして小さく声を上げた。
至近距離で半裸のレイモンド王子が血走った目つきで私を見つめていたのだ。聖衣を強引に引っ張りながら、私の唇に小瓶を押し付けている。
咄嗟に王子の手を払って後ろに飛ぶと、レイモンド王子は驚いた様子だ。
「リリー、どう言うことだ」
「えっ?」
「リリー! セシルが目を覚ましたぞ。話が違うじゃないか!」
その言葉で今の状況を理解する。レイモンド王子は私の結界が弱まるのを待ち、小瓶に入っている怪しげな液体を飲ませる気でいたらしい。
レイモンド王子は声を上げた。
「リリー! セシルを再び眠らせろ!」
それはまずい。眠ってしまったら、マナが枯渇した私はあまりにも無防備。次、目覚めた時にはレイモンド王子が私の上で腰を振っているなんてことだってありうる。ここにいてはいけない、私はそう判断して扉に向かって走る。
背中でレイモンド王子の怒声が聞こえた。
「セシル、君がこの部屋から出たら、ルブラン公爵を殺害するよう命じてあるのだ!」
足が止まる。そうだ、ルブラン公爵らが人質に取られている状況に変わりはないのだ。振り返ると、レイモンド王子は笑みを浮かべていた。
「セシル諦めるんだ。これ以上、僕を拒めば、一人ずつ貴族どもを殺していく。そうなったら国は破滅だ。僕を受け入れるしか、君には選択肢がない」
レイモンド王子はゆっくりと近づいてきて、小瓶を私の唇に押し付けた。「これを飲め。少しでも抵抗したら貴族を殺す」
悪臭を放つこの媚薬はいつも飲まされてきたものとは段違いに強力な気配がある。どうすればいい? 今の私にこの薬が耐えられるのだろうか。やはり聖女の能力を失うしか私には選択肢がないのだろうか。
助けてほしい、そんな聖騎士団長として最も相応しくない言葉が口からでかけたその時だった。突然、寝室の扉が勢いよく開いたのだ。
続いて素早く何者かが飛翔する。レイモンド王子の手から小瓶を奪い、地面に降り立ったのは思わぬ人物だった。確か、ミチーノファミリーに所属するカノというエルフ。カノは拷問でも受けたのか、顔が真っ赤に腫れ上がっていた。それでも元気よくカノは言った。
「セシル様! 巨石城を守るにはセシル様の力が必要です!」
呆気に取られる私の手をカノは引いて、走り出した。背中ではレイモンド王子の発狂にも似た声が響いていた。
「な、何をしている! 部屋から一歩でも出たらルブラン公爵を殺害すると言ったのを忘れたか! セシル! 部屋に戻ってこい!」
もちろん公爵を死なすわけにはいかないが、レイモンド王子の部屋に戻っても打開策は見つかりそうにない。私は手を引かれるままカノと一緒にレイモンド王子の部屋を駆け抜けた。
レイモンド王子の寝室を出て巨石城の状況を理解した。
廊下には頭から血を流して倒れる男。間違いない、この男はカポネ所属のマルキリという異端者だ。つまり、聖騎士が眠らされている間に闇ギルドの異端者が城内に入り込むという恐れていた事態が起きている。
私は言った。
「カノちゃん、確かあなたは索敵スキルに長けていたはず。異端者の位置を把握することはできる?」
カノは耳をピンと張る。
「地下五階に異端者が七名。二階大広間に二名います!」
「ありがとう。あとで報酬を支払いますから、手伝ってもらいたい!」
「はい!」
ルブラン公爵の部屋がある三階に降りると、すでに戦闘が開始されていた。しかし一目では誰が敵か味方なのかも分からない。
ミチーノ所属のソクラテという男が眠るルブラン公爵を抱え、聖騎士と交戦状態。普通に考えれば、聖騎士に加勢するべきだけど、どうも事情は異なるらしい。
ソクラテは大きな巨体を器用に動かし、聖騎士の剣を避けながら言った。
「カノちゃん助けて! ドンの命令で、ルブラン公爵を巨石城外に連れ出さないといけないんだよぉ! 俺が反撃したらこの聖騎士らを殺してしまう!」
私は咄嗟に判断を下す。双子剣を引き抜いて、聖騎士らの剣を受けた。「ここは私が対応します。ソクラテ、あなたはルブラン公爵を安全な場所へ!」
「分かったぁ!」
私は聖騎士の剣をいなしながら周りの状況を読む。この聖騎士は眠ったままリリーのスキルによって操作されている。つまりルブラン公爵の安全が確保できても、聖騎士に囲まれる大広間の貴族たちは危険に晒されたままだ。
私は手早く聖騎士の兜を脱離させた上、殴打する。後頭部を打たれた聖騎士たちは次々と地面に崩れ落ちた。すぐに大広間に向かおう、そう思った時、巨石城が大きく揺れた。
次に、今までに感じたことのない何かが確かに起こった。ゾッとするほど禍々しい気配が全身を覆っている。
なぜだか隣にいるカノは気まずそうに苦笑いを浮かべていた。
「うちの魔王……じゃなかった、エースの仕業ですから安心してください。手荒な性格ですが、誰も殺さず巨石城を守れとドンは命令しておりますので」
いやいや、こんな化け物じみた気配は闇ギルドに所属するような輩のそれではないだろう。そう当惑していると「セシル様!」と呼びかけられた。
振り向くとリリスをはじめ上級騎士がこちらに向かってきていた。どうやらリリーのスキルが解けて目が覚めたらしい。一体誰がリリーのスキルを解いたのかも分からないけど、これは千載一遇のチャンスとしか言えなかった。
聖女スキルを保ったまま、貴族たちを守るというどう考えても不可能な作戦の成功条件が整いつつあるのだ。
全く誰がこんな一か八かの無謀な作戦を考えついたのだろう。私は苦笑しながら双子剣を掲げた。
「依然として大多数の人間が危険に晒されています! ただ一つの命たりとも失ってはなりません!」




