眠りの城
当初の計画通り、隠し通路出口付近で待機していたファミリーにトルケマダ異端審問官、エスとサダ、さらにトルケマダの配下だった二名の異端者を引き渡すと俺とカノはすぐに巨石城へと戻った。
書庫から城内の通路に出るとカノはか細い声で言った。
「ドン、これは一体何が……」
俺も何が起きているのか分からなかった。再び戻ってきた巨石城内は不思議なくらい静まり返っている。静かなだけじゃない。まるで城全体が眠りについてしまったかのように、微睡んだ気配が城内に漂っていた。
この区画の警護を担当する聖騎士もおかしい。ゆらゆらと頭を揺らし、立ちながらうたた寝をしているのだ。
そして城内を歩くほどにリリーのスキルの異質さに圧倒される。
「全員が眠らされている……」
大広間では貴族の他、警護担当の聖騎士、さらに先ほどはいなかった第一聖騎士団に所属する五名の上級騎士も眠りについていた。
通常上級騎士らはパーティーの警護などの任務にはつかないから、この五人は今の事態が起き始めてから任務についたと見て間違いない。
俺とカノは警戒しながら全速力でルブラン公爵の部屋へと向かった。
公爵の部屋もまた同じ状況だった。椅子に座って眠る公爵を囲うようにして配置されているのは特級を含む最精鋭の聖騎士たちからなるチーム。彼らすらも同様に眠らされてしまっている。
「ドン、この方、怪我を負っています!」
カノの指し示すのはミシェルという特級聖騎士だ。任務を愚直に遂行する、昔ながらの聖騎士で、密かに俺が尊敬していた人物でもある。
ミシェル特級聖騎士は自らの手で短剣を自分の太ももに突き刺したまま眠りについていた。おそらく睡魔に抗おうとしての行動だろうが、その後の結果は同じだったわけだ。
俺はミシェル特級聖騎士の太ももからナイフを引き抜き、ポーションを振りかけてやった。こうでもしておかないと、眠りながら命を落とすことになる。
ミシェル特級聖騎士のもう片方の手には紙の断片が握られている。その紙を手に取って開いてみると、紙片には判読が難しいほど震える文字が書き残されていた。
「セシル聖騎士団長よりルブラン公爵を死守せよとの命を受けるが、仲間の聖騎士は一人、また一人と眠りに落ちる。私もいつまで耐えられるか分からない。激しい睡魔の中、力も衰え、ルブラン公爵を連れ出すことも叶わない」
メモの最後にはこう記されていた。
「先刻、セシル聖騎士団長の気配がレイモンド王子の寝処にて消える」
ゾクリと悪寒が走った。聖女セシルまでもが異端スキルに屈するのは流石に想定していなかった。
トルケマダは特殊異端者リリー・ルートヴィッヒの能力は桁違いだと言っていたが、セシルがいれば対応可能だと捉えていたのだ。
俺はカノの能力を通じて、巨石城付近で待機中の脱獄異端者ソクラテにルブラン公爵を巨石城外へと連れ出すよう命じた。俺たちはもちろんのこと、ソクラテも眠らされてしまう可能性は大きいが何もしないよりはマシだ。
ソクラテに伝え終わると、俺とカノはレイモンド王子の寝室に足を向けた。セシルが赴いたということは、そこに異端スキル発動源があると判断したのだろう。
レイモンド王子の寝室は巨石城でも高階に位置している。階段を駆け上り、部屋に近づくほどに巨石城に漂う異様な気配はより濃くなっていく。
レイモンド王子の寝室がある巨石城八階に到達した時、俺はカノに指示を送った。「上に飛べ!」
俺とカノが飛翔した次の瞬間、二発の斬撃が足元に飛び交った。続いて城内に置かれていた英雄の石像がスパリと半分に切断される。
俺とカノが再び地面に降り立つと、斬撃を放った主と顔を合わせた。
俺たちの目の前にいるのはあたかもカマキリのように両の手を強靭な刃物へと変化させた男の異端者。
この異端者の名は聖騎士時代に見た手配書で知っている。カポネ幹部のマルキリという男だ。
マルキリは言った。
「全員、眠っているって報告を受けてたのに、なんで君らはここにいるのぉ?」
「それはこっちのセリフだ。なんでカポネの幹部が巨石城にいる?」
「あっあんたの顔は知ってる。抗争相手の親分じゃん! 出世の大チャンス!!」
マルキリは笑いながら波動を伴った斬撃を連続して放つ。俺とカノはそれを避けるが、斬撃が放たれるたびに城内の調度品や壁がスパリと切り刻まれていった。
「へぇ、すばしっこいんだね!」
そう言ってマルキリはカノに目を向けた。「あれ! 君、すごく可愛いね!」
マルキリが連続して斬りつけると、カノが着ているドレスがスパスパッと切断されていく。
カノは声を上げた。
「このドレス、ドンと一緒に選んだものなんですよ!」
「ごめんね、媚薬でアヘ顔丸出しになるセシル様のことを想像していたら僕まで盛り上がってきちゃってさ、次は下着も切っちゃうよ!」
マルキリがニヤけた顔で下品な言葉を放つのを聞くと、何も考えられなくなる。まるであの時のようだ。ナダエル副団長扮するグリッツからレイモンド王子とセシルの映し絵を見せつけられ、嘲られた時のように。
気づくと俺はマリキリの顔を拳で殴打していた。
マリキリは後ろへ吹っ飛び、壁がドンと崩れ落ちた。瓦礫の中でマルキリはしばらく呆然としていたが、ゆっくりと立ち上がり、再び俺たちの行手に立ち塞がる。鼻血を垂らすマルキリの表情からは笑みが消えていた。
「噂通りめちゃくちゃ強いじゃん……何者なのよ、ドン・ミチーノ」
「俺は俺だ。それより答えろ、媚薬とはなんのことだ」
マルキリは腕を構え直して、刃を俺に向けた。
「媚薬は媚薬でしょ。ねぇ君たちも喜んだ方がいいよ。この計画がうまくいけば僕たち異端者を苦しめる聖女の力が消えるんだからさぁ。闇ギルド黄金時代の幕開けだよ!」
聖女の力が消える?俺は無言のままレイモンド王子の部屋の扉を見つめた。すかさずマルキリが「ラッキー! 隙だらけ!」と叫びながら腕を十字にしてから一閃を放つ。
俺は視線を扉に向けたまま、先ほど隠し通路で交戦した女異端者のスキル「帯電」を発動した。俺に触れた瞬間、マルキリはギャっと悲鳴を上げた。雷属性の痺れに身体を強張らせるマルキリ。続いて殴打すると、カポネ幹部は地面に崩れ落ちた。
俺は即座にレイモンド王子の部屋の前に向かい、扉を開け放った。
視界に不自然とも思える暗闇が広がるとともに、男女の囁き声が聞こえてくる。そして俺はゆっくりとレイモンド王子の部屋へと足を踏み入れた。




