トルケマダ異端審問官
リリスから受け取った情報を頼りに、清貧の街区と呼ばれる地区を訪れた。ここは教皇庁に所属する人々が生活する地区だが、清貧とは名ばかりで、豪華絢爛な屋敷が立ち並び、宗教を司る教皇庁の権力を象徴する街だ。
その街の中で一際立派な建物があるが、リリスの情報によればこここそがトルケマダが管理する屋敷だという。
今回偵察のため、カノと一緒に姿を消しつつ訪れてみたが、すぐにこの屋敷の異様さを理解する。
外門には警備担当者なのだろう、僧服を着る男二人がいるのだが、彼らの頭上には白い靄が浮いている。つまり異端者を取り締まる異端審問官の屋敷を異端者が警備しているのだ。
この屋敷にはひっきりなしに貴族やら宗教家が出入りしているが、王都の大物たちが平然と異端者の横を通り過ぎる光景は異様としか言えない。
当然、貴族らを警護するのは聖騎士だが、異端者の存在には気がついていないようだ。その理由をちょうど、カノが口にする。
「ダメです。どういうわけか、索敵スキルが働かず、ここ近辺の人員の動き、異端者の存在が感知できません」
どうもこの街全体に何かの力が働き、索敵系のスキルが妨害されているらしい。つまりそれは、異端者の存在も検知できないということ。
カノのスキルがあれば、外からでも屋敷内の情報を集めることができたはずだが、それは無理のようだ。
結局、俺とカノは丸一日かけて地道に屋敷周りを偵察した。外門の警護は朝昼晩の三回交代制で、やはりいずれも異端者。どんな能力なのかは分からないので、迂闊に屋敷に潜入するは極めて危険だ。
「いろんな人がこの屋敷に出入りしてますけど、肝心のトルケマダさんは姿を見せませんね」
リリスから譲り受けた資料にはトルケマダの映し絵もあり、できればあの男を自分の目で見ておきたかったが、なかなかそれは難しいらしい。
「まぁ、今日の偵察はこれくらいにしておこう。まだ依頼を受諾すると決めたわけじゃないから、少しずつ情報を集めていけばいい」
すでにあたりは暗くなっている。この街を訪れた時からなんとなく居心地の悪さがあったが、暗くなるとこの街全体が俺たちを監視しているような、得体の知れない気味の悪さを感じる。
カノもそれは同じようだ。
「なんかこの街は苦手です。早く敗者の街区に帰りましょう」
遅くなってしまったし、凱旋広場の屋台飯を買って今晩の夕食にしようなどと話していると、カノは声を上げた。
「ドン! あの馬車の中の人!」
カノが指し示す方向に目を向けると、リリスから渡された映し絵の男が視界に映る。
年齢は四十代らしいが、見た目は若々しく、女受けが良さそうな外見。まさにあの男こそがトルケマダ異端審問官だ。
トルケマダの隣にはこれまた目を惹く美女の姿がある。捕縛紐で緊縛されており、顔面は蒼白。頭上にモヤが浮いているところから見て、捕まったばかりの異端者なのだろう。
馬車が俺たちの前を通り過ぎようとした時、俺の脳裏に嫌なイメージが広がった。
俺が発現するスキル「異端者の王」は異端者の忠誠心を獲得したり、忠誠を誓う異端者のスキルを使用することができる能力。それはある意味で他の異端者の精神と共鳴しあうということ。そのため、ごく稀に異端者の思念が、俺の頭に入ってくることがあるのだ。
今の俺の脳裏に広がる光景は、トルケマダに捕縛された女の身に起きた出来事だ。場所は異端者の女とその夫が暮らしていた家。
俺の脳裏には、捕縛しようとするトルケマダたちから妻を必死に守ろうとする夫の姿がはっきりと映っていた。
女の夫は短刀を振り回すが、異端審問官の戦闘能力は極めて高く、トルケマダの配下にすぐさま拘束されてしまう。
トルケマダは震える女の前に立ち塞がった。
「私に従順になればなるほど、長生きできることをまず理解してください。まずはあなたの異端スキル名を確認します」
次の瞬間、トルケマダの手は女の方へと伸び、衣服を乱暴に引き剥がす。
夫の悲痛な叫びが響く中、トルケマダは女の体を抱き寄せた。しばらく女は抵抗をしていたが、次第になすがままになり、ついにはトルケマダに体を委ねてしまう。
トルケマダは僧衣を脱ぎながら言った。
「やはり異端者は実に下賤だ。愛する夫の前で快楽を感じるとはね。これじゃ獣と一緒じゃありませんか」
そしてその後起きたのは悲惨としか言えない出来事だった。
おぞましい光景が脳裏から消えた後も、しばらく何も言葉が出てこなかった。カノが不安げに俺の腕を引くと、ようやく我に帰る。
気づくとトルケマダと女の異端者を乗せた馬車はすでに屋敷の敷地内に入ったようで、姿を消していた。
カノはハンカチで俺の額を拭った。「ドン、すごい汗ですよ。大丈夫でしょうか?」
もちろん、今見たことをカノに伝える気にはなれなかった。代わりに俺は言った。
「カノ、商人の男に依頼を受諾すると伝えてくれ」
「ドン、それってつまり……」
「ああ、これはミチーノ・ファミリー初の殺し案件となる。トルケマダ・スロブリン、あの鬼畜をこの王都から消し去る」




