ドン・ミチーノという男(セシル視点)
(この男と一緒にいるとどうもおかしな行動をとってしまう……)
場所は天命の街区にある怪しげな連れ込み宿。一緒に潜入したドン・ミチーノの姿をチラリと見ながら、私は困惑するしかなかった。
ルブラン家の屋敷を部下に任せて、ドン・ミチーノと一緒に行動を共にするなんて、あまりにも馬鹿げている。ましてやこんな場所に来てしまうなんて。
でも謎に包まれるこの男といると、私は何も考えられなくなってしまうのだ。
元々ドン・ミチーノの行動原理は不明でしかなかった。ガンビーノファミリーの縄張りであるポルナイを荒らし、カポネファミリーの若頭グリッツと戦闘するレオンを助け、二つの闇ギルドを敵に回すなんて命知らずにも程がある。
その後の経過も不可思議だ。
聖騎士団が行った調査によればガンビーノ所属のキルケに報復されることになったが、ミチーノファミリーは反対に返り討ちをし、瀕死の状態にまで追いやった。さらにここ二ヶ月の間、カポネ所属の実力派の異端者複数名が敗者の街区に送り込まれたが、同じく全員撃破されている。
奇妙なのは送り込まれた異端者の多くがその後、なぜかミチーノファミリーに加入している点だ。しかも、脱獄異端者のソクラテ、ペテン賭博師のヘーゲ、無情のキルケなど、強力な異端者ばかり。それほど資金が潤沢とは思えないミチーノファミリーに彼らが吸い寄せられる理由は謎でしかない。
そして今日、この男のことがつくづく分からなくなった。
(なんで闇ギルドのボス本人が警護の仕事をしてるのよ……)
ルブラン家が独自にエレナ令嬢の警護をミチーノファミリーに依頼したことは内々の報告で知っていた。
だけども、ルブラン家の甲冑を着て私の前に現れた男がドン・ミチーノその人だと気づいた時は言葉を失うしかなかった。闇ギルドのボスが警護の仕事を自ら引き受けるなんて聞いたこともない。
部下が仕事をしている間、酒でも飲んで享楽的な生活をしているのが普通だというのに。
この男の私に対する態度も不可解極まりない。
二ヶ月前、私はドン・ミチーノにレオンを探して欲しいと依頼した。小さな闇ギルドにとって大金である金貨百枚以上を成功報酬として掲示し、聖騎士団長という立場を忍んで誠心誠意頭を下げて頼んだ。それにも関わらず、この男はこの二ヶ月間ただの一通の報告書も送ってこなかったのだ。
それはまるで聖騎士団長である私などどうでもいいような対応だった。
今日にしたって、一緒に協力してエレナ令嬢を保護しようと提案したにも関わらず、口から出てくるのは「帰った方がいい」「この街を離れるべきだ」、そんな言葉ばかり。いやいや、あなたの目の前にいるのは聖女かつ聖騎士団団長であるセシル・ウェイブ、今回の作戦の総責任者なんですけど、そんな言葉が喉から出かけたほどだ。
「やっぱりあなたはこんな所にいない方がいいですよ」
男女の淫らな声が響く薄暗い廊下でドン・ミチーノが本日何十回目かの帰れ通告をしてきた時、私はついムキになっていた。
「そもそも、こんな場所に来ないといけなくなったのも、あなたの部下であるエルフがカポネにおびき寄せられたせいでは?」
「俺の部下がいなかったらエレナ令嬢はとっくに連れ去られてましたよ。現にエレナ令嬢を監視しているはずの聖騎士は何をしてたんです?少なくとも三人は配備されていたはずでしょう?」
その言葉にぐうの音も出なかった。本来なら私の部下が適時エレナ令嬢を保護し、屋敷外に連れ出しているはずだったのだ。もしエレナ令嬢の扱いが上手いレオンがいてくれたら、こんなことにはならなかっただろうに。
まぁなんにせよ、今はエレナ令嬢を保護するのが先決。私は革袋から解毒剤が入った瓶を取り出して、一気に飲み干した。
解毒剤が体に回ると、一時的に私の能力を阻害していた媚薬の効果が消えていく。
すでに複数名のカポネの異端者がこの宿に向かって移動してきている。手早くエレナ令嬢を追う異端者を捕縛しようと聖言を詠唱し始めた時、突然ドン・ミチーノが私の手首を握った。
瓶を見つめるドン・ミチーノの目は不安げだった。
「これは、なんです?」
もちろん、レイモンド王子に媚薬を盛られて、頭も体もおかしくなっているなんて説明するわけにはいかない。
「あなたには関係のないことです。それで、仲間のエルフからは連絡は来ないのですか? 早く保護してやらないとエレナ令嬢が可哀想でしょう」
「その件については上手く行ったようです」
「上手く行った?」
戸惑っていると、廊下に連なる客室の扉の一つが突然勢いよく開いた。そして元気な声が響く。
「兄貴! 任務完了!」
扉の向こうから現れたのは年端もいかない少年だ。少年は得意げにナイフをくるっと回した。
「お嬢様とカノも無事だよ!」
その言葉通り、少年の背後にはエレナ令嬢と若い女エルフの姿がある。エレナ令嬢は半分涙ぐみながらドン・ミチーノの元に駆け寄った。
「遅いじゃないの! ドン・ミチーノ! 怖かったんだから!」
「申し訳ありません、お嬢様。少々、イレギュラーなことが起きたので。うちのカノに失礼はなかったですか?」
エレナ令嬢が答えるより先にカノという名の女エルフが不満げに言った。
「めちゃくちゃやばい異端者に追われたんですからね! セネカ君が追い払ってくれなかったら今頃死んでましたよ。ちゃんと褒めてください!」
ドン・ミチーノは優しくカノにねぎらいの言葉をかけてから私の方を向いた。
「ではセシル様、エレナ令嬢を連れてすぐさまこの場を離れてください。これ以上あなたがこの街にいると騒動が大きくなる。脱出の際は目立たないよう、くれぐれも派手な聖術はお控えください」
そう言って立ち去ろうとするドン・ミチーノに慌てて声をかけた。
「待ってください! あなた方は?」
「俺たちは別ルートから脱出してカポネの注意を引きます。あなたも知っての通り、すでに何人もの異端者が集まってきているので」
「それなら私も手伝います。一緒に協力して脱出しましょう」
ドン・ミチーノは首を振った。
「すぐにでもあなたは戻って、直接聖騎士団に指示を下すべきだ。ここは私どもにお任せください」
そしてドン・ミチーノは私の目をじっと見つめた。
「今日はいろいろ無礼なことを言いましたが、あなたと一緒に王都を走り回れて本当に楽しかった」
そう言い終えると、ミチーノファミリーの三人はすっと姿を消した。しばらく立ち尽くすが、エレナ令嬢が私の手を引いて我に帰る。私はすぐにエレナ令嬢に護符の聖術を施した。
きっと彼らの仕業だろう。程なくして街の方で大きな爆発音が鳴る。私は宿を出て、混乱する街の中をエレナ令嬢を抱き抱えながら足早に抜けた。
これでルブラン家全員の安全を確保することができた。ルブラン家を囮に使い、反乱分子を炙り出すというルブラン公爵自身の計画は博打としか言えなかったが、ギリギリのところで成功を収めることができたようだ。
今回の叛乱の大元が誰か分かれば、カポネとの抗争も新たな局面に入る。亡くなった聖騎士、そして復讐を宣告されているレオンのためにも徹底的に戦い続けなければならない。
それにしても、なぜだろう。ずっと神経をすり減らしていた計画が上手く行ったというのに、ドン・ミチーノのことばかり考えてしまう。
最後まで食えない男だったけど、もう少し一緒にいたかった、そんなことを考えている自分に私は戸惑いを覚えていた。




