レイモンド王子のお見舞い
「レ、レオン?」
俺の脳裏にセシルの声が響いた。
そもそも俺がカノのスキル「サイレントボイス」を使用するのはこれが初めて。おまけに意識がセシルに向いていたせいもあったのだろう。俺の声はセシルに届いてしまったのだ。
スキル「裏の顔」で見た目を変えている時は声も変化するのだが、どうやらサイレントボイスを通すと俺の声がそのまま伝わるらしい。
顔をチラリとあげるとセシルはキョロキョロと辺りを見回している。俺はルブラン家の甲冑を纏っている上に、中身もドン・ミチーノの顔。見つかるわけがない。
まぁでもこれは好都合だ。裏の男はセシルの異端者検知の聖術を掻い潜っているらしいし、この場の状況を彼女に伝えておくのは俺たちの依頼を遂行する上でも有益だろう。
俺はもう一度セシルに言葉を送った。
「セシル、落ち着いて聞いてくれ」
そう言葉を送ってみたもののセシルは混乱しているようだ。
「な、なんでレオンの声が? もしかしてここにいるの?」
ルブラン家に雇われて令嬢の警護をしているなんて話せるわけもないし、説明するほど混乱させるだけだろう。俺は手早く情報だけ伝えることにした。
「とにかく事情は後だ。セシル、レイモンド王子の裏にいる長身の男は……」
単刀直入に異端者の位置を伝えようとした時、思いがけないことが起こった。
俺の脳に見知らぬ男の声が響いたのだ。ぞくりとする嫌な声だった。
「元聖騎士のレオン・シュタイン、邪魔はしないでもらいたい」
そして次の瞬間、スキル「サイレントボイス」の効果がかき消え、セシルとの交信も途絶えてしまう。
もう一度スキルを発動しようとするも、再び同じスキルを行使するには時間を空ける必要がある。そうこうしている間に、セシルをはじめレイモンド王子に帯同する聖騎士たちは玄関ホール中央にある螺旋階段を登っていってしまった。
「ドン、姿を消して追いますか?」
隣のカノがボソリと呟く。どうやらカノにも一応俺の言葉は届いていたらしい。
「ああ、二手に別れよう。俺とカノはあの異端者を追う。キルケは令嬢の警護に当たってくれ」
そう言って立ち上がった時、俺たち三人のもとにエレナ令嬢お付きの執事が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「た、大変です。お嬢様が少し目を離した隙に部屋から脱走しました!」
やれやれと、俺はため息ひとつつく。
まだルブラン家の屋敷に到着してから三十分程度。どう考えても、今回の依頼が面倒なことになることは確定していた。
「はい、すぐにお嬢様を見つけますのでご安心を」
異端者の男はひとまずセシルに任せて、今はあのわがまま令嬢を探すしか選択肢はないようだった。
「そんなわんぱくなガキは紐かなんかで縛り付けておけばいいんじゃないんですかねぇ」
そうこぼすのはキルケ。俺とキルケは二人でルブラン家の屋敷を周り、エレナ令嬢を探している最中だ。
カノは一人別にエレナ令嬢を探すよう指示してある。カノはおそらく王都で一番と言っていいくらいの猫探しの達人。きっと猫並みに気ままな令嬢を探すのにはうってつけだろうと単独行動してもらっているのだ。
キルケは辺りを見回しながら言った。
「しっかし、聖騎士団は戦争でもおっ始めようとしてるんすかね。少し見ただけでも、闇ギルド幹部の捕縛経験がある聖騎士がゴロゴロいて、おっかねぇっすね」
今この屋敷には傷を負うジャン・ルブランとレイモンド王子という国でも最高峰のVIP二人がいるわけだから警備体制が厚くなるのは当然だが、流石にこれは異常だ。
さらに聖騎士たちは大物異端者の捕縛前かのように気が立っていて、ただの警護の様相ではない。
エレナ令嬢を探している間も、何度も聖騎士に呼び止められ、その度に兜を外すよう指示をされた。聖騎士に比べて貴族の私兵は立場が弱いから「うろちょろ歩くなよ」と釘を刺されて、少し歩くだけでも一苦労だ。
おまけに常に俺たちの背後には監視しているのか聖騎士がぴたりと張り付いている。
居心地の悪さを感じながらも、メイド部屋、調理場、バラ園などエレナ令嬢のお気に入りの場所を満遍なく探すが、どれも当てが外れてしまった。
そして屋敷を回るごとに違和感だけが募っていく。特に気になるのは聖騎士の警護の動き。一糸乱れぬ警護体制が敷かれているように見えて、時折普通では考えられない配置にいる聖騎士が目につく。
まるで指揮系統が二つに分かれているような、そんな印象を覚えた。
レイモンド王子やセシルたちがジャン・ルブランの寝室に入ってからすでに三十分ほど経過している。周りの聖騎士の様子からして現時点では何も起きていないらしいが、屋敷内に漂う緊張感だけは強くなっていく。いつの間にかキルケも言葉少なくなっていた。
(さっきの異端者といい、一体これは、どういう状況なんだ)
その時、脳にカノの声が響いた。
「ドン、エレナ令嬢を無事見つけました」
なんでも自室を脱走したエレナ令嬢は馬丁が使う物置小屋に隠れていたらしい。そしてある程度予想していた報告をカノは伝えた。
「理由はわかりませんが、エレナ令嬢はずっと聖騎士さんに追われています。今は令嬢と共に姿を消してなんとか逃げれてますが、どうしたら良いでしょうか?」
俺は今起きている状況をようやく理解してカノに指示を送った。
「令嬢を連れてこの屋敷から離脱しろ。数分以内に大きな戦闘が発生する。この会話も聞かれているだろうから、くれぐれも気をつけろ」
「……了解です、ドン」
カノとの会話が終わるとキルケが言った。
「ドン、魔壁で防御を固めておきますよ。どうもやばい感じなので」
「ああ、今から俺たちはジャン・ルブランの寝室に向かう」
そんな会話をしてから数秒後、ドンと大きな爆発音が鳴るとともに屋敷全体が大きく揺れた。これは間違いなくセシルの聖術。
そして、まるでその爆発が合図だったかのように、俺たちの周りでは見たこともない光景が広がっていた。
突如、一部の聖騎士たちが他の聖騎士やルブラン家の兵士に剣を向けたのだ。まるでこの場にいた全員が予め知っていたかのように屋敷内は一気に交戦状態に突入する。
俺とキルケにも襲いかかる聖騎士がいるが、正直俺とキルケの相手にはならない。俺は捕縛術、キルケは火球で応戦すると一瞬で相手は地面に崩れ落ちた。
周りをぐるりと見渡しても、混乱としか言えない。突如暴れ出した一部の聖騎士を他の聖騎士が取り押さえているのだが、どちらも身につけるのは同じ甲冑。敵味方が判然としない状況なのだ。
彼らとやり合ってる暇も、考えている暇もなかった。周りでは交戦が続いているが、俺とキルケはセシルたちがいるジャン・ルブランの寝室へと足を向けた。
ジャン・ルブランの寝室がある二階もまたすでに戦場と化していた。煙が立ち込め、地面には怪我をする聖騎士やルブラン家の兵士、メイドの姿がある。至る所で刃と刃がぶつかり合う硬質な音が響き渡っている。
セシルが聖騎士に指示を送る声も聞こえる。
「リュカ・ルブラン子爵をすぐに運び出して!」
それと同時に男の声も屋敷内に響き渡っていた。
「セシル! もうルブラン公爵は息をしていない! 公爵や子爵は見捨ててこの場を離れよう! 君は僕だけを守ってくれればいい!」
おそらくその声の主はレイモンド王子。セシルはレイモンド王子とルブラン公爵二人を守って交戦中のようだった。
選択肢は一つだ。俺は背中の剣を抜いて、キルケと共に異例としか言えない現場に足を踏み込んでいた。




