セシルの依頼
こうしてセシルと二人っきりになるのはいつ以来だろうか?そう長くは経っていないはずなのに、セシルが遠征に出かけていった朝の記憶は遠くの出来事に思えた。
何かの聖術で聖女特有の威圧感を消しているらしいが、長い金色の髪をたなびかせるセシルを前にすると否応にも緊張感が増す。
リスクを考慮して俺の主室には他のファミリーは誰も入れなかった。もちろんレオン・シュタインとバレるわけにはいかないから俺自身はスキル「裏の顔」で顔を変えてある。リリスとの約束はあるが、ドン・ミチーノとしてセシルに会うことは構わないだろう。
部屋に入ってきたセシルは俺を見定めてから「本日、うちの聖騎士が貴方のファミリーに助けてもらったとのこと、心より感謝いたします」と言った。
「実は前々からドン・ミチーノ、あなたとは直接話がしたいと思っていたのですよ」
一体どんな言葉遣いでセシルと対話していいのかも分からなかったが、闇ギルドのドンらしい恭しい言葉で対応する。
「それは、光栄ですね。聖騎士団史上最強の聖騎士団長、セシル・ウェイブ様に興味を持たれるとは」
「ええ、奇妙な人物ですからあなたは。数ヶ月前までは王都では全くの無名。それが突然、ガンビーノファミリーの縄張りにあるラ・ボエームという娼館の用心棒を引き受けた。おまけに今度はルブラン家の後ろ盾を得たとのこと。興味を持って当然でしょう」
俺が何も答えられないでいると、セシルは続けて言った。
「貴方は何者なのです? 経歴を調べましたが、闇ギルドを運営するまでの記録が一切存在しない」
「そもそも私どもの組織は闇ギルドでなく、一般の商会です。私の素性にしてもセシル様が興味を抱くようなことは何もありませんよ」
セシルは俺の顔を検分するような目つきでじっと見つめた。しばらくしてから、ツカツカとこちらに向かって歩いてきて、俺の左腕を掴んだ。
突然のセシルの行動に心が凍りつく。グリッツとの一戦で疲労困憊しているのだ。何か疑問を持たれて捕縛術でも使われたら一瞬で取り押さえられるのは間違いない。
俺の能力で異端スキルの検知はされていないようだが、左腕に刻まれる異端スキル名が視認されたら即刻異端審問行きだ。
セシルは言った。
「ドン・ミチーノ、これはなんですか?」
「どう言う意味ですか?」
「大変な傷を負っているようですが」
「傷?」
セシルは俺の腕を掴んだまま聖言をつぶやいた。脳裏にセシルの聖術で緊縛された時の記憶が蘇り、思わず体を強張らせる。
ただ俺の心配は杞憂だった。しばらくすると体の痛みがさっと引いていく。セシルは俺を聖術で治癒してくれているのだ。続いてセシルはグリッツに串刺しにされた俺の太ももに触れた。
治癒をしながらセシルは言った。
「あたかも死闘後のような傷を商会の頭取が負っているとは奇妙な話ですね」
俺とセシルは至近距離で目を合わせた。まるで何かを見透かされているような目つき。一人焦っていると、セシルは俺の体から手を離した。
「応急措置をしておきましたが、深い傷ですからこれでは不十分です。しばらく無理はしないほうがいいですよ」
「お気遣いありがとうございます。それで、セシル様。本日の要件は? まさか私なぞを治癒するためにこんな場所まで足を運んだわけじゃないでしょう」
「貴方にお聞きしたいことがあるのです」
セシルは胸ポケットから一枚の映し絵を取り出した。「貴方はこの男のことを知ってますか?」
映し絵には俺とセシルの姿が収められていた。聖騎士時代の休養日、珍しく二人でピクニックに行った時に撮ったものだ。聖騎士団長の任務についているときのセシルは滅多に表情を崩すことはないが、映し絵の中の彼女は優しい笑みを浮かべていた。
「ここに映る男は元聖騎士で、名はレオン・シュタイン。彼はここ敗者の街区で目撃情報がある。この街を縄張りとする貴方なら彼について何か知っているんじゃないかと思ったのです」
「さぁ、この男に見覚えがありませんな」
「今日、レオンは貴方のファミリーに所属するカノ・レインウッドとセネカ・フォレストと共同でカポネのグリッツ・マーズに立ち向かった。それなのに貴方はご存知ないと?」
知らないとかぶりを振ると、セシルは押し黙って俺の目をじっと見つめた。
「分かりました。そう言うなら、正式に私からあなた方ミチーノファミリーに依頼をします。レオン・シュタインを見つけ出し、私の前に連れてきて欲しい。報酬はそうですね、最低でも金貨百枚お出ししましょう」
俺は何も言葉が出てこなかった。そしてリリスが話していた事、「俺のことになると今のセシル様は幼児レベルに知能指数が下がる」という言葉を思い出す。
リリスのいう通りだ。今のセシルは少なからず常軌を逸している。
だって人探しに金貨百枚なんて莫大な金を掲示するなんて、どう考えてもぶっ飛んでいる。
それにこんな依頼は受けられるわけもない。リリスとの約束があるし、異端者である俺は聖女セシルに顔向けできるような人物ではない。流石に断ろうと思うが、言葉は喉から出てこなかった。
セシルが俺のことをすがるような目つきで見ていたのだ。不安で仕方がない、そんな顔つきだった。
「受けてくれますね。ドン・ミチーノ。王都でこんなことを頼めるのは貴方しかいないのです」
「初対面だというのに、えらく信用してくれたものですね」
セシルは俺の目を一心に見て言った。
「自分でも戸惑っています。なぜ素性も知らない貴方を信用しようと思ったのか」
「そのレオン・シュタインという男を見つけて、セシル様はどうするおつもりなのですか?」
一呼吸置いてからセシルは言った。
「ゆくゆく彼を王都聖騎士団団長に据えるつもりです。レオン・シュタイン以外この腐敗し切った王都を立て直せる人物はいませんから」
あれから二ヶ月。依頼の期限が迫っているが、いまだに俺は判断に苦慮している。
そもそも俺が聖騎士団団長に就任させるいうのはあまりに荒唐無稽な話だ。きっと俺がグリッツを捕縛したからだろう。セシルはレオン・シュタインに強力なスキルが発現したと考えているようだが、事態はまるで逆。俺が発現するスキルは異端スキルだ。聖騎士団長になれるような人間ではない。
何よりセシルと会うと、もう叶うことのない未来が頭に浮かんで、忘れたはずの気持ちが揺れてしまう。
俺はすでに十人以上の異端者を抱える闇ギルドのドンなのだ。彼らの命を預かっているのに、こんな生半可な気持ちになってはダメだ。
やはり彼女にはレオン・シュタインなる男は見つからなかったとだけ書簡で伝えるべきだろう。そう結論を出した時、勢いよく扉がノックされた。続いて慌てた様子で部屋に入ってくるのは俺の右腕であるカノだ。
「ドン! 大変です!」
カノは王都新聞を俺に手渡した。王都新聞には大きく号外との文字。
カノは言った。
「何者かにルブラン公爵が襲撃されたとのこと! リュカ・ルブラン子爵も大怪我を負ったと言う話です!」
「ルブラン公爵が襲撃されただと?」
俺は発行されたばかりの号外に目を向けた。紙面にはカノが伝えたままのことが書かれていた。
程なくしてルブラン家から書簡が俺たちのギルド本部に届いた。書簡の内容はルブラン家の令嬢、エレナ・ルブランの二十四時間体制での警護依頼。
セシル率いる第一聖騎士団もルブラン家の屋敷を特別警護中なので上手く立ち振る舞って欲しいとも書簡には記されていた。




